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週間版【今日の歴史】(3月25日〜3月31日)黄金の床几戦争

日本の三種の神器みたいな伝説の王位継承の証というのはファンタジーなどによくありがちですが、実際の歴史にはそうそうあるものではありません。
そういう数少ない王位継承の秘宝の一つを巡って戦争になったのが「黄金の床几戦争」
アフリカのガーナにあったアンシャンティ王国の王位継承の証を巡ってイギリスと4回も戦争したというのが凄いですが、何より凄いのはアンシャンティ王国は未だにガーナ共和国内の立憲君主国として未だに存在しているということ。
伝統の力を感じますね。


☆ 3月25日 黄金の床几戦争(1900年)☆


1900年の今日、ギニア湾岸への勢力拡大を狙うイギリスは西アフリカのアンシャンティ王国に対し王位継承の証である黄金の床几(しょうぎ 玉座のこと)を引き渡し、帰順するよう要求した。
Asante_mapこの玉座は天からアンシャンティの民に授けられ、祖霊が宿るとされ、軍事武力連合だったアンシャンティの宗教的な結びつきを象徴するものだった。
この時点でアンシャンティとイギリスは4回に渡って戦争をしており、敗北したアンシャンティは事実上イギリスの属国となっていたが、日本で言えば三種の神器を渡せという要求にアンシャンティ側は激怒。
全土で反英反乱が勃発し、黄金の床几戦争と呼ばれる戦争となった。

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激戦の末アンシャンティは敗北しイギリス領黄金海岸に併合されたが、抵抗の激しさに驚いたイギリは、結局アンシャンティ自治を認め、アンシャンティは無事黄金の床几を守り抜くことに成功した。

☆ 3月26日 史上初の社会主義政府 パリコミューン(1821年)☆


1821年の今日、普仏戦争に敗れたナポレオン3世による第二帝政が崩壊すると、王政復古に反対するパリ市民が蜂起し、パリコミューンと呼ばれる臨時革命政府を樹立した。

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パリコミューンは史上初の社会主義政府であるとともに、同時に政教分離、女性参政権、言論の自由、義務教育の無償化など様々な革新的な政策を打ち出した近代的政府でもあった。
しかし主導権争いが続き、パリを包囲していたプロイセン軍やヴェルサイユ軍に対し軍事的に一致した対応ができず、僅か78日間で崩壊した。


☆ 3月27日 ナチスの命取りになったユーゴのクーデター(1941年)☆


1941年の今日ユーゴスラビアでクーデターが起こり親独政権が崩壊、2日前に加盟したばかりの日独伊三国同盟から離脱した。
これに対しソ連侵攻を目前にしていたドイツは、側面から連合軍の攻撃を受けることやドイツ機甲軍団の補給線であるルーマニアの油田が危機にさらされることを恐れ、4月6日ユーゴスラビアに侵攻、僅か10日間でユーゴスラビアを降伏させた。

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しかし、この予想外の作戦のため3個軍団、70万もの大軍と虎の子の機甲師団を使用せざるを得なくなり、5月15日に予定されていた独ソ戦は1ヶ月以上も延期となった。
この些細なタイムロスの結果、ドイツは真冬にモスクワ攻略戦を実行しなければならなくなり、結果的にドイツの命取りとなったと言われている。


☆ 3月28日 競売で皇帝位を買った男(193年)☆


193年の今日、皇帝を僭称したペルティナクスが暗殺され空位となったローマ皇帝位を、親衛隊が競売にかけるという前代未聞の事態が発生した。
この時、富裕な元老院議員で元執政官だったディディウス・ユリアヌスが2万5000セステルティウスで帝位を競り落とした。

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しかしユリアヌス自身は決して無能だった訳ではないが、流石に国民は金で買った皇帝に従うはずもなく、各地で反乱が続発。
パンノニア総督のセプティミウス・セウェルスのドナウ軍団がローマに進軍すると、金を払った親衛隊にも裏切られ僅か2ヶ月でユリアヌスは暗殺された。
暗殺された時の皇帝の最後の言葉は、「私がどんな悪いことをしたというのだ!」だったという。


☆ 3月29日 薔薇戦争の関ヶ原(1461年)☆


1461年の今日起こったタウトンの戦いは薔薇戦争前半の関ヶ原ともいうべき戦いだった。

兵力は王妃マーガレットとヘンリー6世率いるランカスター軍4万2000、キングメーカーウォリック伯に擁立されたエドワード4世率いるヨーク軍3万8000。
イギリスの主要諸侯の大部分である28ものイギリス貴族がこの決戦に参加するというイングランド史上最大の戦いであった。

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猛吹雪で視界が効かない中両軍は極めて接近して戦うことになり、双方に膨大な死傷者を出す中、当初兵力に勝るランカスター軍が押し気味に戦いを進めた。
しかし、間も無くノーフォーク公の率いるヨーク軍の援軍が戦場に姿を現すと、ランカスター軍は大混乱に陥って総崩れとなった。
マーガレット王妃とヘンリー6世は戦場から逃走し、ヨーク派のエドワード4世がランカスター派のヘンリー6世を廃位し、イギリス国王として即位することとなった。


☆ 3月30日 シチリアの晩鐘(1282年)☆


1282年の今日、フランスのシャルル・ダンジュー統治下のシチリアで、シチリアの晩鐘事件と呼ばれる大反乱が発生した。

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シャルル・ダンジューは神聖ローマ皇帝とローマ教皇との争いに乗じてシチリア王位に就いたものの、イタリア系の住民はフランスの支配には不満を抱いており、又シャルル・ダンジューは更にビザンチン帝国の 皇位をも狙い、その遠征費用の為シチリアに重税を課していた。
反乱は忽ち全シチリア島に広がったが、ローマ教皇マルティヌス4世はシチリアの全住民を破門し、シャルルも反撃に出て、反乱鎮圧は目前に思われた。
しかしこの機会に乗じ、前シチリア王の甥スペインのカスティーリャ・アラゴン王ペドロ3世がシチリアに上陸し、シャルルの軍勢を撃破。
ペドロはシチリア王に即位し、カスティーリャがフランスに代わって西地中海への勢力を拡大するきっかけとなった。


☆ 3月31日 迷宮入りの怪事件(1922年)☆


1922年の今日、ドイツのバイエルン州の農場で家族と使用人6人がツルハシで惨殺されるという事件が発生した。

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ヒンターカイフェック事件と言われたこの事件は、ドイツ犯罪史上最も謎の多い事件であり、動機も手がかりも全く分からない上、被害者の行動にあまりにミステリーじみたことが多いことで知られる。
犯人は6人を殺害後数日間農場で寝泊まりし、金銭には一切手を触れず、驚くべきことに家畜にエサまでやっていた 。
家族は近親相姦を繰り返す、不気味で閉鎖的な変人たちであり、当然に村人とも一切交流のない中での犯罪でもあった。
かくてこの事件は史上最も有名な迷宮入り事件の一つとなったのだった。