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【本日の思いつきバックナンバー】「短歌シリーズ」版バックナンバー

酒井貴弘さん撮影

【前書き】

自分の1日を、適宜、備忘録的につぶやいたり、メモ等を残しておくことで、今年の自分シーンへの振り返りのためとか、友人への近況報告になったりしてオススメかなって思います。

三日坊主でも続く日記と考えれば、案外、楽しいかもしれません。

つぶやくスタイルは、日記・随筆・エッセイっ風でも、五・七・五の俳句風でも、面白ければいいのかなって、そう感じます(^^)

みなさんは、日記・随筆・エッセイって、どんな違いがあると思いますか?

書いた本人が「これは日記」と言えば日記とも言えるし、「エッセイ」と言えばエッセイになるような。

例えば、エッセイは、随筆に似ているけれど、もうちょっと軽い感じのものって気がします。

だけど、自分の目でよく見たり、よく人のお話を聴いたり、読んだり耳にしたこと、その中で心の底から感動したり、感じたことを自分なりに深く考え、ある程度考えがまとまったら、ダラダラとした形ではなく、それをできるだけ簡単、明瞭にわかりやすく書き表すことが大切なのかなって気がします。

まあ、あまり堅苦しく考えずに、これまで、インプットしたものの中から、心に浮かんだことを、どんどん「エッセイ」みたいな形で表現して記事を書いてきました。

ここで、何かのテーマを日記・随筆・エッセイなどで書くことの意義を考えてみると、自分の思考を文章にして書き出すことで思考が整理できたり、それを読み返すことによって、自分の思考に対し客観的な視点を持てたり、そのため脳内だけで考えているよりも、より思考が進むといった利点があると思います。

そこで、必要な行動として、どんなテーマでも思考すること、書くこと、後で読み返すこと、読み返してまた考えること、また考えたことを書くことの繰り返し、要は、その習慣づけがメタ認知のために大切なんだなって、今回の作業で再認識した次第です。

振り返りは、とても大切で、書くことによる思考の外化・メタ認知の促進によって、自分ひとりの中で効率よく学習(=いろんな理解、思考)を進めることが可能になるなどの効果が期待できるから、みなさんも、お試しあれ!

さて、これまでに、その時々で、書けそうだと思ったテーマをベースにして、記事を書いていたら、結構シリーズ化していて、記事のストックも多くなってきたため、備忘録(バックナンバー)としてまとめてみました(^^)

【漫文】色に出る

その感情に反射して、目の前が、色づくことがりませんか。

好きな色を持ち寄って、明日を、もっと賑やかにしたいと思いませんか。

真っ赤な情熱の真っ赤って、どんな真っ赤だろう。

せっかくなら、昨日まで、思いもよらなかった私の変化を、起こしてみたいと思いませんか。

心の色まで、見えるか。

心の色まで、残せるか。

心の色まで、映せるか。

例えば、似合わないと避けていた色を選ぶ。

そう、人生は、色で、できている。

偶然は、何色?

どきどきは、何色?

勇気は、何色?

はじめましては、何色?

優しさは、何色?

微笑は、何色?

何色の今日になる日だろう。

今日の心の色は、今日しか出会えない、大切なあなたの、そして、私の色。

夢、うた、涙、憧れ、悲しみを下塗りにして、喜びの色は、深まり、色とりどりの大切な色へと変わっていく。

寂しさも、強がりの何色や、「なんとかなるさ」の色、そして、「とりあえずやってみよう」の色を重ねてみれば、そう、希望の色に変わっていく。

そうやって、明日は、明日の色へと、つながっていき、そう、あなたが創る色とりどりの世界へと変わっていく。

何気ない今日の、今日だけの、彩へと。

想像を超える自分に、止まっていた心も、動き出して行くはずです(^^)

■究極の短歌50

【01】額田王・飛鳥時代

熟田津に

船乗りせむと

月待てば

潮もかなひぬ

今は漕ぎ出でな

【02】柿本人麻呂・飛鳥時代

楽浪の

志賀の唐崎

幸くあれど

大宮人の

船待ちかねつ

【03】山上憶良・奈良時代

世の中を

憂しとやさしと

思へども

飛び立ちかねつ

鳥にしあらねば

【04】大伴家持・奈良時代

うらうらに

照れる春日に

雲雀上がり

情悲しも

独りし思へば

【05】在原業平・平安時代

月やあらぬ

春や昔の

春ならぬ

わが身ひとつは

もとの身にして

【06】小野小町・平安時代

思ひつつ

寝ればや人の

見えつらむ

夢としりせば

さめざらましを

【07】紀貫之・平安時代

桜花

ちりぬる風の

なごりには

水なき空に

浪ぞたちける

【08】和泉式部・平安時代

黒髪の

乱れも知らず

うち臥せば

まづかきやりし

人ぞ恋しき

【09】西行・平安時代

年たけて

またこゆべしと

思ひきや

命なりけり

佐夜の中山

【10】式子内親王・鎌倉時代

玉の緒よ

絶えなば絶えね

ながらへば

忍ぶることの

弱りもぞする

【11】藤原俊成・鎌倉時代

夕されば

野辺の秋風

身にしみて

鶉鳴くなり

深草の里

【12】藤原定家・鎌倉時代

春の夜の

夢の浮橋

と絶えして

峰にわかるる

横雲の空

【13】藤原家隆・鎌倉時代

ながめつつ

思ふも寂し

ひさかたの

月の都の

明け方の空

【141】源実朝・鎌倉時代

箱根路を

われこえくれば

伊豆のうみや

沖の小島に

波の寄る見ゆ

【15】永福門院・鎌倉時代

花の上に

しばしうつろふ

夕づく日

入るともなしに

影きえにけり

【16】良寛・江戸時代

霞立つ

ながき春日を

子どもらと

手まりつきつつ

この日暮らしつ

【17】橘曙覧・江戸時代

たのしみは

まれに魚烹て

児等皆が

うましうましと

いひて食ふ時

【18】与謝野晶子・明治時代

春みじかし

何に不滅の

命ぞと

ちからある乳を

手にさぐらせぬ

【19】長塚節・明治時代

馬追虫の

髭のそよろに

来る秋は

まなこを閉ぢて

想ひ見るべし

【20】山川登美子・明治時代

後世は猶

今生だにも

願はざる

わがふところに

さくら来てちる

【21】若山牧水・明治時代

白鳥は

哀しからずや

空の青

海のあをにも

染まずただよふ

【22】石川啄木・明治時代

不来方のお城の草に寝ころびて

空に吸はれし

十五の心

【23】北原白秋・明治時代

君かへす

朝の舗石

さくさくと

雪よ林檎の香のごとくふれ

【24】齋藤茂吉・大正時代

のど赤き

玄鳥ふたつ

屋梁にゐて

足乳根の母は

死にたまふなり

【25】釈迢空・大正時代

人も 馬も 

 道ゆきつかれ

死にゝけり。

旅寝かさなる

ほどのかそけさ

【26】齋藤史・昭和戦前

濁流だ

濁流だと叫び

流れゆく

末は泥土か

夜明けか知らぬ

【27】近藤芳美・昭和戦前

たちまちに

君の姿を

霧とざし

或る楽章を

われは思ひき

【28】前川佐美雄・昭和戦前

春がすみ

いよよ濃くなる

真昼間の

なにも見えねば

大和と思へ

【29】宮柊二・昭和戦前

軍衣袴も

銃も剣も差上げて暁渉る

河の名を知らず

【30】葛原妙子・昭和戦後

早春の

レモンに深く

ナイフ立つる

をとめよ素晴らしき

人生を得よ

【31】中城ふみ子・昭和戦後

灼きつくす

口づけさへも

目をあけて

うけたる我を

かなしみ給へ

【32】大西民子・昭和戦後

かたはらに

おく幻の

椅子一つ

あくがれて待つ

夜もなし今は

【33】寺山修司・昭和戦後

マッチ擦る

つかのま海に

霧ふかし

身捨つるほどの

祖国はありや

【34】春日井建・昭和戦後

大空の

斬首ののちの

静もりか

没ちし日輪が

のこすむらさき

【35】前登志夫・昭和戦後

夕闇に

まぎれて村に

近づけば

盗賊のごとく

われは華やぐ

【36】河野裕子・昭和戦後

たとへば君

 ガサッと落葉

すくふやうに

私をさらつて

行つてはくれぬか

【37】小野茂樹・昭和戦後

あの夏の

数かぎりなき

そしてまた

たつた一つの

表情をせよ

【38】塚本邦雄・昭和戦後

馬を洗はば

馬のたましひ

冱ゆるまで

人恋はば人

あやむるこころ

【39】佐藤佐太郎・昭和戦後

冬の日の

眼に満つる海

あるときは

一つの波に

海はかくるる

【40】道浦母都子・昭和戦後

催涙ガス

避けんと秘かに

持ち来たる

レモンが胸で

不意に匂えり

【41】高野公彦・昭和戦後

白き霧

ながるる夜の

草の園に

自転車はほそき

つばさ濡れたり

【42】馬場あき子・昭和戦後

夜半さめて

見れば夜半さえ

しらじらと

桜散りおり

とどまらざらん

【43】栗木京子・昭和戦後

観覧車

回れよ回れ

想ひ出は

君には一日

我には一生

【44】竹山広・昭和戦後

人に語ること

ならねども

混葬の

火中にひらき

ゆきしてのひら

【45】岡井隆・昭和戦後

手をだせば

とりこになるぞ

さらば手を、

近江大津の

はるのあはゆき

【46】俵万智・昭和戦後

寄せ返す

波のしぐさの

優しさに

いつ言われても

いいさようなら

【47】佐佐木幸綱・昭和戦後

のぼり坂の

ペダル踏みつつ

子は叫ぶ

「まっすぐ?」、そうだ、

どんどんのぼれ

【48】穂村弘・平成

サバンナの

象のうんこよ

聞いてくれ

だるいせつない

こわいさみしい

【49】山中智恵子・平成

昭和天皇

雨師としはふり

ひえびえと

わがうちの天皇制

ほろびたり

【50】永井陽子・平成

ひまはりの

アンダルシアは

とほけれど

とほけれど

アンダルシアのひまはり

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【エッセイ】詩と暮らす-うたう(歌う×詠う×訴う)-
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【迷文】短歌の文字数も端数処理してみたら・・・
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【漫筆】語幹と語感と五感
https://note.com/bax36410/n/ncd18e145b0ac

【備忘録】2023年度版trafalgar・選短歌集
https://note.com/bax36410/n/n49baf4001888

【自由詩】わかってあげたい(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n555785764274

【自由詩】あなた(きみ)にとっての空でありたい(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/ne3021649628c

【自由詩】大切なもの(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n31f8a57b10fd

【自由詩】あったかい言葉(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n86790a7b55da

【自由詩】小確幸(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n0cb3d2bec3bb

【自由詩】風に舞うように(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n35fbae482059

【自由詩】出会いを大切に(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n2c0455fb6c78

【自由詩】話して分かりあえること(音楽&短歌付き)
https://note.com/bax36410/n/n7499632e40a7

【一筆】詩はうたに恋している ことばは音楽に恋している
https://note.com/bax36410/n/need41255790d

【一筆】絵と短歌と詩と
https://note.com/bax36410/n/n22eb1d3ec7ba

【「短歌シリーズ」版バックナンバー】

【新鋭短歌シリーズ】生きたことばを掬う短歌たち。生活に「うた」の彩りを。 「うた」のある暮らしのすすめ
https://note.com/bax36410/n/n2af562456d6f

【現代短歌クラシックス】星の林と遊び種
https://note.com/bax36410/n/n045a544ef068

【現代歌人シリーズ(その1)】青空の青ってどんな色?
https://note.com/bax36410/n/na61f3d32da4f

【現代歌人シリーズ(その2)】言葉に選ばれる
https://note.com/bax36410/n/nfbfd9fac438b

【現代歌人シリーズ(その3)】心で感じなければ
https://note.com/bax36410/n/n889688a247f8

【コトバンク】

https://kotobank.jp/

改訂新版 世界大百科事典 「短歌」の意味・わかりやすい解説
短歌 (たんか)

目次
俳句とともに日本の伝統的詩歌を代表する5拍7拍5拍7拍7拍の,5句31拍からなる詩。
7世紀に成立し,1300年を経た今日もなお多くの支持を得ているきわめて長命な詩である。
連歌,俳句を生み出しただけではなく,仏教とも深くかかわりを持ち,さらに謡曲,歌舞伎などにも深い影響を及ぼした。
その意味で,文学史の中だけではなく,文化史,芸能史などへも広く深く影響を及ぼした独自な歴史を持つ。

呼称
〈短歌〉は,31拍からなるために俗に〈三十一文字(みそひともじ)〉とも称せられ,〈みじかうた〉と呼ばれることもあった。
さらに〈敷島(しきしま)の道も盛りにおこりにおこりて〉(《千載集》序)とあるように〈敷島の道〉と呼ばれもした。
ここでの〈敷島〉は〈敷島の大和〉の意味で,古くからの日本の道といった意味での呼称である。
また,〈和歌〉あるいは,ただ単に〈うた〉と呼ばれることもある。
短歌は,長歌,旋頭歌(せどうか)などとともに和歌の歌体の一つであったが,他が時代とともにすたれていったのに対して,短歌だけが持続的に支持を得てきた。
そこで〈和歌〉といえば短歌をさすことになり,〈うた〉とだけいっても歌の代表である短歌をさすことになったようである。
さらに,これは特殊なケースであるが,長歌を〈短歌〉と呼んでいた例もある。〈次に短歌といへるものあり。
それは五文字・七文字とつづけて,わがいはまほしき事のある限りはいくらとも定めずいひつづけて,はてに七文字を例の歌のやうに二つつづくるなり〉(《俊頼髄脳》)などがその例である。
ここで〈短歌〉と呼んでいるのは長歌のことであり,〈例の歌〉と呼んでいるのが5・7・5・7・7の〈短歌〉のことである。
ちなみに《俊頼髄脳(としよりずいのう)》では,短歌を〈反歌〉〈例の歌〉〈例の三十一字の歌〉などと呼んでいる。
こうなったのは,《古今集》巻十九の雑体部が,長歌の分類項目を〈短歌〉と誤記したためである。
中世の歌論書には,この例のように,長歌を〈短歌〉と称する場合があるので注意されたい。

〈短歌〉という呼称は古く,《万葉集》に早くも登場する。
名称の由来は,長歌に対するもののようである。
《万葉集》では,このほか短歌を呼ぶのに〈反歌〉という呼び方も広く行われている。
長歌に付される歌を〈反歌〉と呼ぶが,その大部分が短歌(旋頭歌が1例あるだけで,ほかはすべて短歌)であるために,そう呼ばれたのであろう。

また,自作の短歌を謙遜して〈腰折れ〉という場合もある。
5・7・5・7・7の第3句目の〈5〉を腰句と呼ぶが,中心となるこの句の出来の可否が作品的価値を左右するところから,腰句が折れた短歌,下手な短歌という意味になるのである。
ついでに,各句の呼び方も記しておこう。
5・7・5・7・7を上3句(5・7・5)と下2句(7・7)とに分け,前者を〈上句(かみのく)〉,後者を〈下句(しものく)〉と呼ぶ。
第1句(5)を初句,頭句,起句,第2句(7)を胸句,第3句(5)を腰句,第5句を結句,尾句,落句などと呼んでいる。
5句31拍に合わない作を〈破調〉といい,長すぎるものを〈字あまり〉,短いものを〈字足らず〉と呼ぶ。
また〈首(しゆ)〉という単位を用いて,1首,2首というふうに数える。
《万葉集》以来の数え方である。

なりたち
短歌形式の成立事情は,今日までの研究ではまだ分明ではない。
《古今集》の序文に〈素戔嗚(すさのお)尊よりぞ,三十文字(みそもじ)あまり一文字(ひともじ)はよみける〉として,〈八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を〉の一首を最初の〈短歌〉の例としているが,にわかには信じがたい。
今日のおおよその了解では,〈短歌〉が定着したのは舒明朝(629-641),成立はそれをさかのぼるやや以前とみなされ,成立への道筋としては次の三つが考えられている。
(1)長歌の末尾5句が独立して短歌となった。
(2)5・7・7からなる片歌(かたうた)による唱和・問答のうちから短歌が成立した。
(3)5・7・7・5・7・7という旋頭歌の第3句目が脱落して短歌となった。
この三つが有力視されている。
なお,なぜ5・7・5・7・7がとくに選びとられたかについても,日本語の音節,漢詩の影響,息づかいの問題等々がその理由の候補に挙げられているが,これに関しても定説はない。
ただ,いずれにしても,8世紀に成立した《万葉集》全作品約4500首の9割強が短歌である事実は,5・7・5・7・7という形式が選ばれたのが単なる偶然の結果ではないことを語っていよう。
以下,1300年にわたる短歌の歴史を概観してみよう。

古代
奈良時代以前の時代,具体的には記紀歌謡から《万葉集》の時代を古代とする。
記紀の時代の〈短歌〉は,短歌形式の短い歌謡と見るべき作がほとんどで,〈短歌〉のいわば胎生期とみなすことができる。
そうした歌謡の中からしだいに個人の歌声が聞こえるようになって,万葉時代へと入ってゆくのである。
記紀の時代の最末期,万葉時代の最初期に当たる斉明天皇,額田王(ぬかたのおおきみ)の作は,その数はごく少数ながら短歌胎生期の様相を示すものとして短歌史上注目されるのである。
〈今城(いまき)なる小山(おむれ)が上に雲だにも著(しる)くし立たば何か嘆かむ〉(斉明天皇)。
これは早世した孫建王(たけるのみこ)への挽歌(ばんか)である。
万葉時代第2期に入ると柿本人麻呂という偉大な才能が登場して,短歌史は一挙に前進した。
人麻呂は持統天皇の宮廷に仕えた人物と考えられているが,専門意識をもった最初の歌人として意欲的に作歌にとり組んだ。
文字どおり短い短歌作品に作者の個性を刻印するという困難をなし遂げたのだった。
〈小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげどもわれは妹思ふ別れ来ぬれば〉(柿本人麻呂)。
旅の歌のみを残した高市黒人(たけちのくろひと),戯笑歌という宴席歌に優れた長意吉麻呂(ながのおきまろ)も第2期の歌人である。
万葉第3期,奈良時代に入ると,多様な個性を持った歌人たちが出現した。
〈酒を讃むる歌十三首〉の短歌連作がある大伴旅人は人生を深く見透す大人の歌を,〈田子(たご)の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は降りける〉で知られる山部赤人は自然をうたって卓抜な作を残した。
儒教思想を体しつつ独自な社会詠を残した山上憶良,伝説歌人として知られる高橋虫麻呂の2人は,むしろ長歌を得意としたが,短歌史の上でもやはり忘れることはできない。
第4期に入ると,孤独や疎外感,美や季節の移りをうたってデリケートな抒情世界を確立した大伴家持が登場する。
〈うらうらと照れる春日に雲雀(ひばり)あがり情(こころ)悲しも独りし思へば〉(大伴家持)。
このほか,個性的相聞歌を残した笠女郎(かさのいらつめ),万葉女流中一番数多くの作を残した大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の2女流の存在も忘れられない。
なお,〈東歌(あずまうた)〉〈防人歌(さきもりうた)〉は,都人たちの作とは内容・用語ともに異なる東国人独自の歌声を短歌によって伝えている。
この時代の短歌には,5・7/5・7/7というかたちで2,4句で切れるいわゆる五七調の歌が比較的多い。

中古
10世紀初頭に《古今和歌集》が成立して短歌史の流れは大きく変わる。
勅撰集の時代に入るのである。
この後,21代目の勅撰集となる《新続古今和歌集》までの約500年間にわたって勅撰集の時代がつづくが,その前半約300年が中古の時代となる。
政治史でいえば平安時代と重なる。
その劈頭(へきとう)を飾って中古の短歌全体の性格を決定づけたのは,《古今集》であった。
《古今集》といっても多様な側面がある。
時代的に早い在原業平,小野小町,僧正遍昭らのいわゆる六歌仙の歌風は,優美典雅な王朝的豊麗さをたたえた世界であった。
そして,紀貫之,紀友則ら選者たちの時代の短歌は,鮮明かつ明確さを求めた表現世界であった。
規範性をもって後の時代に広く影響を及ぼしたのは,選者たちの歌風である。
〈袖ひちてむすびし水の凍れるを春たつ今日の風やとくらむ〉(紀貫之)。
自然および社会の秩序に絶対的な信頼をよせる明快な世界観および明晰な言語観は,その切れ味のよい理知性とともに以後の短歌の規範とされたのであった。
その後,《後撰和歌集》《拾遺和歌集》以下次々と勅撰集が出され,曾禰好忠(そねのよしただ),源経信,源俊頼らが用語,素材などにおいて革新的な立場をとって保守派と対立することで歌壇は活気づいたが,やがて藤原俊成が登場して新旧両派の歌風を統一,中世短歌の土台を築くのであった。
なお,中古の時代に入って,上句(5・7・5)と下句(7・7)とが分離する傾向が見えはじめ,いわゆる七五調が優勢になってくる。

中世
中世のはじまりは,ふつう政治史と重ねて鎌倉幕府の開幕を起点とするが,実質的な意味での短歌史における中世は,その少し前からすでに始発している。
勅撰集でいえば《千載和歌集》(1188成立),歌人でいえば藤原俊成,西行がそれで,時代的には平安朝最末期ながら,その内実はいちじるしく中世的な色調をすでに強く帯びていた。
中世短歌の特質は,象徴性と哲学性とを基調としつつ内面化の方向を強めた点に認められるが,俊成の歌論の核心をなす幽玄,《山家集》に見られる西行の短歌作品は,はっきりとそうした特質を示しているからである。

 《千載集》の次の勅撰集《新古今和歌集》(1205成立)は,上に記したような中世短歌の特質を典型的に体現したもので,選者の一人藤原定家の歌論の中心をなす有心(うしん)は,この方向の極北へ言及したものとみなしてよい。
 〈見わたせば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮〉(藤原定家)。
ほかに,後鳥羽院,藤原良経,式子内親王,慈円,さらには選者の藤原家隆,寂蓮らが《新古今集》の歌人としてその実力を示した。
 なお,《新古今集》に作品はないが,東国でひとり作歌をつづけて《金槐(きんかい)和歌集》を残した源実朝も,中世初頭を飾る歌人として忘れられない。
その後,《玉葉和歌集》(1312成立),《風雅和歌集》(1349成立)といった特色ある勅撰集が出現し,万葉風をとり入れた自然観照に新歌風をひらいた京極為兼,さらに伏見院,永福門院,頓阿,正徹(しようてつ)といった優れた歌人があらわれもしたが,歌壇は,二条,京極,冷泉(れいぜい)3派に分かれて派閥争いをくり返ししだいに沈滞していった。
こうした歌壇状況の中から,連歌が広く行われるようになってゆくのである。
中古以来,初句切れ,3句切れの歌が多くみられるようになっていたが,その傾向がいっそう強まって,上句と下句の分離度が強まってきてもいた。
 正徹の弟子であった心敬(しんけい)は短歌作者としても活躍したが,連歌界でも大いに重きをなした。

近世
江戸期は,大局的に見れば短歌の衰退期と見ることができる。
俳句がこの時代の詩として隆盛してきたのに対して,短歌は全体的には低調だった。
が,個々の歌人にはむろん優れた業績を認めることができる。
前期は,豊臣秀吉の一族で家集《挙白(きよはく)集》のある木下長嘯子(ちようしようし),長嘯子の流れをくみ,ともに万葉研究に深い関心を示した下河辺長流(しもこうべちようりゆう)と契沖(けいちゆう)らが短歌史の上でも注目すべき作を残した。
中期に入って,《万葉集》の精神,用語を積極的にとり入れることを主張する賀茂真淵が登場して,以後の短歌史に大きな影響を及ぼした。
真淵の門流は県居(あがたい)派と呼ばれたが,やがて分派し,〈江戸派〉(加藤千蔭,村田春海ら),〈鈴屋(すずのや)派〉(本居宣長,加納諸平ら)としてともに競い合った。
さらに〈ただごと歌〉を主張した小沢蘆庵,〈調べの論〉を提唱した香川景樹の2人は,反真淵の立場を前面に出すことで,自身の作風を鮮明にした。
とくに,古今風を標榜(ひようぼう)した景樹の門流は隆盛をきわめ,江戸時代最大の流派〈桂園派〉を形成した。
なお幕末にいたって,流派にとらわれることなく,自在な詠風を見せる歌人が登場した。
越後の良寛,備前の平賀元義,筑前の大隈言道(ことみち),越前の橘曙覧(あけみ)らである。

近・現代
この時代に入って短歌史は大きな展開を遂げる。
印刷技術の発達による出版事情の変化,大衆化社会を背景にした歌人層の変遷,小説の時代への対応の仕方等々の新しい状況に対面して,短歌史は新しい局面をむかえたのであった。4回にわたって,いわゆる短歌否定論論議が行われたのも故なしとはしないのである。
それは,(1)《新体詩抄》(1882),(2)尾上柴舟《短歌滅亡私論》(1910),(3)釈迢空(しやくちようくう)(折口信夫)《歌の円寂する時》(1926),(4)小田切秀雄《歌の条件》,臼井吉見《短歌への訣別》,桑原武夫《第二芸術》(1946)である。
短歌史はここで,大きく次の3点を選び換元を行うことで新しい局面に対応しようとした。
(1)は連作(複数の短歌によって一つの主題をうたうこと)を主流に据えたこと。
(2)門流組織を排して結社雑誌中心の歌壇を形成したこと。
(3)家集から歌集へと作品発表の形態を変えたことである。
(1)の例として,正岡子規の藤の花の連作,石川啄木の〈忘れがたき人々〉,斎藤茂吉の〈死にたまふ母〉,長塚節の〈鍼(はり)の如く〉,前田夕暮の〈天然更新の歌〉,釈迢空の〈供養塔〉,木下利玄の〈曼珠沙華(まんじゆしやげ)の歌〉等々の連作短歌をいくつもこの時代の代表的成果として挙げることができる。
これらはすべてひとまとまりが数首から数十首によって成る作品である。
(2)として,佐佐木信綱の《心の花》(1898),与謝野鉄幹の《明星》(1900),伊藤左千夫の《アララギ》(1908),若山牧水の《創作》(1910),前田夕暮の《詩歌》(1911),尾上柴舟の《水甕(みずがめ)》(1914),窪田空穂の《国民文学》(1914),太田水穂の《潮音》(1915)等々が早く興され,昭和20年代に入ってからも,佐藤佐太郎の《歩道》(1945),窪田章一郎の《まひる野》(1946),近藤芳美の《未来》(1951),宮柊二の《コスモス》(1953)をはじめ数多くの結社雑誌が創刊され,それぞれの主張と個性とを競い合うことになったのである。
(3)の例としては,与謝野晶子《みだれ髪》,若山牧水《別離》,石川啄木《一握の砂(いちあくのすな)》,北原白秋《桐の花》,斎藤茂吉《赤光(しやつこう)》,窪田空穂《濁れる川》,前川佐美雄《植物祭》,土屋文明《山谷集》,坪野哲久《桜》,斎藤史《魚歌》,塚本邦雄《水葬物語》等々の多数の名歌集が生み出されている。
古典の場合の家集は,一世一代の集大成として作品をまとめるのがふつうであったが,歌集はその時点であるまとまった数の短歌を世に問うものである。
したがって,より時代社会の文学状況との的確な対応を強いられることとなる。
この期の短歌の特質として,現実との対応関係の切実さが指摘できるが,そうした文学主潮が家集から歌集への選択を決定づけたと見ることもできよう。
いずれにしても,この期の短歌は,連作,歌集の問題を抜きにしては語り得ず,歌人については,結社および結社雑誌の問題を抜きにしては語り得ないのである。
なお,この期の短歌運動として,口語自由律短歌運動,プロレタリア短歌運動,前衛短歌運動があって,短歌史の推進に貢献したことも忘れられない。
執筆者:佐佐木 幸綱

【後書き】

【雑考】絵画的風景写真と絵画と短歌と
https://note.com/bax36410/n/n6a79af986e3d

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