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『まちがい』

人間はまちがいを犯す生き物だと言われています。

でも、まちがいを犯したのなら謙虚に反省する。

謙虚な心は「自分はまだまだ」と素直に思える心。

謙虚でいられれば失敗しても学び、成功しても感謝を忘れることはない。

また、他に迷惑をかけたなら素直に謝罪し、それを今後の成長の糧とすればいい。

だめだったっら何度でもやり直せばいい。

失敗することが恥なのではなく、失敗して再び立ち上がらないことのほうが恥ずかしいことだから。

失敗は成功の母という格言もあるくらいだから。

以上の話は、人間という生き物の不完全さを容認する考えにとれますよね。

そう、だれだってまちがう。

だれだって不完全だ。

ん?

ちょっとまてよ。

何かおかしくない?

だけど、それがただの弁解や逃げ口上になっている場合がないでしょうか?

そう「まちがい」の種類が問題なんだってことを。

だから、人間はまちがいを犯す生き物なんだからこそ、まちがってはならないと。

人間は、やはり完全を目指す生き物であるべきなのかなと思います。

要は、最初から不完全によりかかって、自分の甘さ弱さの弁解の口実にするなど、間違っているんじゃないかと。

医者も飛行機のパイロットもバスや電車の運転手もまちがってはならない。

不完全を容認しながらも、それをいかに完全なものに近づける努力をするのかが大切なんだと感じます。

たしかに人間は間違いを犯すのだけれど、そのまちがいを自分に許さないケジメが必要なんです。

たぶん、このように考えないところに、おそらく、成長はないんじゃないかと思います。

そして、大人としての成熟もない。

自分がまだ一人前の大人になってないことを棚に上げて、子どものままの大人でいていいわけがないから。

「子ども大人」「子ども中年」「子どもジイさんバアさん」にならないよう、他人の行為や起こってきた事情には全て“意味”があるから、その全てが、自分の実力をつける素材として現れているのであり、試されているのかもしれないと思い、まちがっても「そっか」と、まず受け入れる心の素直さがあれば、強情さから卒業できるはず。

素直な心ほど真実に近づけるものですね(^^)

素直に見れば、世界はクリア!

ひとみの輝きを、いつまでも・・・・・・

そして、大人として成熟したいものです(*^^*)

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