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【備忘録】2023年度版trafalgar・選短歌集

@crypingraphyさん撮影

原田知世「コトバドリ」(NHK「みんなのうた」)

人間は言葉を使う存在です。

自分があることを感じています。

そのことを例えば「あ、ぼくは嬉しい(楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい)んだ」と「嬉しい(楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい)」という言葉で呼んでみる。

それで終わる場合もあるのですが、ときには別の言葉を、さまざまに組み合わせて、この嬉し(楽し、悲し、悔し、寂し、苦し)さの感じを、さらにていねいに言葉にしてみようとする。

そういう努力から、おそらく、詩や短歌、俳句のようなものが生まれるのであろうと思われます。

「白」原研哉(著)

「僕らは世界に対して永久に無知である。

そしてそれでいいのだ。

世界のリアリティに無限におののき続けられる感受性を創造力と呼ぶのだから。」(「白」原研哉(著)より)

言葉というのは、単語一つ一つをみれば、極めて一般的なもので、嬉しい(楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい)などという言葉にしてもありふれています。

しかし、それらを、ある形で組み合わせることでもって、自分の固有な「この感じ」を言い表し表現しようとします。

これが、たぶん詩の世界であり、小説の世界だと思います。

そこに、詩や小説を作るおもしろみがあるのではないでしょうか。

自分の嬉しい(楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい)という気持ちがあれば、その嬉しい(楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい)という気持ちを見つめて、それを、なんらかの言葉の組み合わせのかたちにして、自分の中で、その気持ちを確かめ、味わいなおす。

そして、ほかの人にも、その思いを伝えることができる。

人間というのは、考えてみると、すごいことをしているのだなあ~って、改めて、そう感じられた一年でした(^^)

こうして、人間は、ただ嬉しい(楽しい、悲しい、悔しい、寂しい、苦しい)とかではなくて、そこに言葉を与えることで、その感情を振り返って対象とする生き物なんでしょうね。

そういう存在になっているのだと思います。

人間は、ただ感じたり、苦しんだり、気持ちよかったりする存在ではない。

苦しみがあれば。

「どこからその苦しみはくるのだ、どうやったら解決できるのだろう」と問いを発したり(思想=人生の考え方)。

また、特に苦しいわけではなくても、人は、いろんなことに疑問をもち、答えを与えようとする(哲学=人生の生き方)。

そして、その苦しみを見つめて、その感触を他者に伝えようとする(芸術=その人の生き方・考え方として尊重し、自分は自分の意見を述べる、あるいは行動をする)。

あらゆる神話が、宇宙の成り立ちや、「人間はどこから来て、どこに行くのか」を語っている事実によって歴史的にも裏付けられているのではないでしょうか。

ReoNa「地球が一枚の板だったら」(NHK「みんなのうた」2023年4-5月)

さて、今年は、思い切って参加した「みんなの俳句大会」のおかげで、大袈裟ではなく、私の人生の中で一番多くの俳句、短歌、川柳に接する機会に恵まれ、且つ、とても貴重な経験が得られた、とても楽しい一年でした(^^)

みんなの俳句大会関連記事
https://note.com/bax36410/m/ma5515c07a6bd

折角の機会だったから、みん俳で愛された「春」「夏」「秋」「冬」の季語を含めた漢字で詠んだ俳句で、選句集を勝手に作ってみたり(^^)

【勝手に賞】みんなの俳句大会「Award for Most Beloved Word 2023」&みん俳選句集付
https://note.com/bax36410/n/nbdf056a04ce5

そこで、2023年度に私のnote記事の中で紹介した短歌等について、勝手に「2023年度版trafalgar・選短歌集」として纏めてみました♪

そして、東郷雄二さんの短歌の違いに関する以下の指摘を読んだ後で、それらの短歌やみんなの俳句大会の短歌を改めて読み込んでみると、新たな発見や視点が得られて面白かったです(^^)

①「あるある系」の歌がしばしば構造的に平板に見えるのは、歌が呼び出す共感が、受け手(読み手)の側に期待されているのであり、送り手(書き手)は相手の陣地にボールを投げるだけでよい理由による。

②それは共感という意図された目的により選択された形と言える。

③これにたいして、近代短歌と近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造かつ複線構造を好むが、それは歌の目的が「あるある」という共感ではなく、文学空間において屹立することである。

「たやすみなさい」岡野大嗣

「知らないのに覚えがある、知っているのに覚えはない。

今なのに昔、昔なのに今。

見知らぬ誰かと誰かの間に静かに横たわる、時間と光景のささやかな差異を歌えていることを願う。」

【2023年度版trafalgar・選短歌集】

「〈あげた愛〉〈ほしい愛〉とのバランスを計りかねてるセーの法則」(田中槐『ギャザー』より)

「「smileの綴りはスミレとおぼえてた」どうりでそんなふうに微笑む」(西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』より)

「「ありがとう」よりも「ごめんなさい」が増え 僕の日記が遺書に近づく」(島井うみ『うたらば』より)

「「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑」(穂村弘 『シンジケート』より)

「「ほんとうは誰も愛していないのよ」ペコちゃんの目で舐めとるフォーク」(ゆず/穂村弘編『短歌ください』より)

「「好きだつた」と聞きし小説を夜半に読むひとつまなざしをわが内に置き」(横山未来子『水をひらく手』より)

「「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」」(穂村弘『シンジケート』より)

「『鶴の恩返し』で鶴に共感するぼくは身体にいいやつTSUTAYAで探す」(永井祐『広い世界と2や8や7』より)

「Amazonのどんなサイズの箱であれ中身はいずれ猫になります」(木村比呂『うたらば』より)

「SOMETIME AGO 海辺 あなたの菫色の日傘が揺れていしが 戻らず」(谷岡亜紀『風のファド』より)

「twilight in L.A./golden shining reflections/on asphalt pavement/the city becomes holy/everything forgiven」(Ron L. Zheng(鄭龍超)『Leaving My Found Eden』より)

「ああいたい。ほんまにいたい。めちゃいたい。冬にぶつけた私の小指(←足の。)」(千葉すず(水泳選手)『FAX短歌会「猫又」』より)

「ああ人は諭吉の下に一葉をつくり英世をその下とした」(工藤吉生『うたらば』より)

「あいうえおかきくけこさしすきでしたちつてとなにぬねえきいてるの」(まひろ(葛山葛粉)『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「アエイオウ 口つぼめたりひろげたり 窓の向こうの雪の唇」(長澤ちづ『海の角笛』より)

「あかときの雪の中にて 石 割 れ た」(加藤克己『球体』より)

「あたまでは完璧にきみが描けるからときどきわたしは目を閉じている」(樋口智子『つきさっぷ』より)

「あたらしい明日があなたにくるようにかうして窓をあけてゐる」(中山明『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「アドレスが一件増えて着信のすべてに期待が生まれてしまう」(とき『うたらば』より)

「あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに」(木下侑介/穂村弘編『短歌ください』より)

「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」(小野茂樹『羊雲離散』より)

「ありがとう なんてことない人生をちゃんと物語にしてくれて」(檀可南子『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「アリよ来い迷彩アロハシャツを着た俺が落とした沖縄の糖へ」(小林晶/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「あんかけのあん煮立つような音させてぼこりと夫が寝入る木曜」(てこな/穂村弘編『短歌ください』より)

「イカ墨のパスタを皿に盛るように洗面器へと入れる黒髪」(麻倉遥/穂村弘編『短歌ください』より)

「いちまいの皮膚にほかならない皮膚を引き裂くほどに愛してもみた」(菊池裕『アンダーグラウンド』より)

「エスカルゴ用の食器があるのだし私のための法で裁いて」(麻倉遥/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「エックス線技師は優しい声をして女の子らの肺うつしとる」(猿見あつき/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「おうどんに舌を焼かれて復讐のうどん博士は海原をゆく」(山中千瀬『さよならうどん博士』より)

「おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする」(東直子第一歌集『春原さんのリコーダー』より)

「カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨」(木下ルミナ侑介/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「かなしくも恋と知る日はかたみにも悔いて別るる二人なるべき」(原阿佐緒『白木槿』より)

「かまわないでかまわないわよかまってよ(フリルのついた鎌振り下ろす)」(峰子/穂村弘編『短歌ください』より)

「かみくだくこと解釈はゆっくりと唾液まみれにされていくんだ」(中澤系『uta0001.txt』より)

「きみの名とわたくしの声吸いこめるケルト渦巻模様円盤」(大滝和子『竹とヴィーナス』より)

「きんにやもんにやきんにやもんにやと踊りゆくしだいにきんにやもんにやにわれもなるなり」(馬場あき子『太鼓の空間』より)

「この顔にピンときたなら110番キュンときたならそれはもう恋」(山本左足『うたらば』より)

「この国に愛されたいと書店にて詩集一冊もとめていたり」(鑓水青子「真冬ロシア」(「短歌人」2018年7月号)より)

「この星の重力美しく青々と梅の葉かげに球体実る」(清水あかね『白線のカモメ』より)

「この道はいつか来た道 ああそうだよ 進研ゼミでやったところだ」(あみー『うたらば』より)

「こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう」(枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』より)

「こんにちは私の名前は噛ませ犬 愛読書の名は『空気』です」(冬野きりん/穂村弘編『短歌ください』より)

「コンビニに生まれかわってしまってもクセ毛で俺と気づいてほしい」(西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』より)

「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」(穂村弘 『シンジケート』より)

「さみしいとうつくしいって似ているね 青海と青梅を間違えず乗る」(ショージサキ(あるきだす言葉たち)「遠くの国」朝日新聞夕刊2022年07月13日より)

「さみしいは何とかなるがむなしいは躑躅の低いひくい木漏れ日」(千種創一『千夜曳獏』より)

「さらさらさらさらさらさらさらさらさらさら牛が粉ミルクになってゆく」(穂村弘『水中翼船炎上中』より)

「しあわせにしてますように でも少しわたしが足りていませんように」(月夜野みかん『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「ジャンヌ・モローのややよぢれたる唇のやうな小説読みをり深夜」(花鳥佰『しづかに逆立ちをする』より)

「しらさぎが春の泥から脚を抜くしずかな力に別れゆきたり」(吉川宏志『夜光』より)

「スカートにすむたくさんの鳥たちが飛び立つのいっせいに おいてかないで」(ちゃいろ/穂村弘編『短歌ください』より)

「すれ違うときの鼻歌をぼくはもらうさらに音楽は鳴り続ける」(阿波野巧也『さらに音楽は鳴り続ける』より)

「セーターの編み目のとこから指を出し「ハロー」とか言ってしあわせだった」(ユキノ進『うたらば』より)

「だしぬけに葡萄の種を吐き出せば葡萄の種の影が遅れる」(木下龍也/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「たまり水が天へかえりてかわきたるでこぼこの野のようにさみしい」(中野昭子『草の海』より)

「ドアの隙間に裏の世界が見えました線対称な隣の間取り」(弱冷房/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「トウキョウノユキハナキムシぐちゃぐちゃに轢かれた青い雑誌を濡らす」(加藤治郎『ニュー・エクリプス』より)

「どうしても思い出せない色がありその空白を黒と名付けた」(実山咲千花『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「どこでもないところへゆきたい あなたでなければならないひとと」(山崎郁子『麒麟の休日』より)

「どこにでも行ける気がした真夜中のサービスエリアの空気を吸えば」(木下ルミナ侑介/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「ともにゐてかなしいときにかなしいと言はせて呉れるひとはゐますか」(資延英樹『抒情装置』より)

「トンネルをいくつも抜けて会いにゆく何度も生まれ直して私は」(藤田千鶴『貿易風(トレードウインド)』より)

「なだれこむ青空、あなた、舌の根をせつなくおさえこまれるままに」(佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』より)

「なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた」(林あまり『MARS・ANGEL―林あまり歌集』より)

「なんでも麻雀で喩えたがるならこのドッグランも ETERNAL」(郡司和斗「犬の話」『くくるす』創刊号より)

「ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段」(むしたけ『うたらば』より)

「ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた」(岡野大嗣『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「パンセパンセパン屋のパンセ にんげんはアンパンをかじる葦である」杉崎恒夫『短歌タイムカプセル』より)

「ビール狂体に悪いと改心しワインに変えるもアンドレは死す」(ターザン山本(プロレスラー)『FAX短歌会「猫又」』より)

「ピクニックって想像上の生き物だそれにはあなたがいたりしていて」(西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』より)

「ひそやかな祭の晩に君は待つ コンビニ袋に透けるレモンティー」(ちゃいろ/穂村弘編『短歌ください』より)

「ひた泣きて訴へたりし幼の日よりわが身に添へる不安といふもの」(さとうひろこ『呑気な猫』より)

「ひとすじの光はここへ本、扉、すべての閉じていたものたちへ」(星乃咲月『うたらば』より)

「ひとりでも生きていけると知ったからきちんと君と手を繋ぎたい」(とき『うたらば』より)

「ブラウスを着ればブラウスの形にて私は座る職場の椅子に」(川本千栄『青い猫』より)

「ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる」(冬野きりん/穂村弘編『短歌ください』より)

「ホームと車体とを他者にした闇によだれを垂らす聖者は8歳」(冬野きりん/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「ぼくの聴く音楽こそが素晴らしいと思いながら歩く夜が好きだよ」(岡野大嗣『たやすみなさい』より)

「マヨネーズ時計ではかるゆうぐれの時間は赤いところへ降りる」(やすたけまり/穂村弘編『短歌ください』より)

「みそ汁に口を開かぬしじみ貝はじめて母に死を教わりぬ」(麻倉遥/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「みづからの恋のきゆるをあやしまぬ君は御空(みそら)の夕雲男」(与謝野晶子『佐保姫』より)

「めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ」(鶯まなみ(女優・本上まなみ)『FAX短歌会「猫又」』より)

「もう一軒寄りたい本屋さんがあってちょっと歩くんやけどいいかな」(岡野大嗣『たやすみなさい』より)

「もう一度言うがおれは海の男ではない」(フラワーしげる『ビットとデシベル』より)

「もう何も傷つけぬよう切る爪が思いもよらぬ方向へ飛ぶ」(ちょこま『うたらば』より)

「もう無理!無理無理無理無理テンパってぱってぱってと飛び跳ねており」(花山周子『屋上の人屋上の鳥』より)

「ゆきたりと知りて極まるさびしさのなか揃へある赤きはきもの」(百々登美子『大扇』より)

「ゆふがほのひかり一滴露けくて永遠(とは)にわれより若き恋人」(河野裕子『森のやうに獣のやうに』より)

「ゆるやかに櫂を木陰によせてゆく明日は逢えない日々のはじまり」(加藤治郎『昏睡のパラダイス』より)

「よくみれば体育座りは複雑に折り畳まれたこころのようだ」(柳本々々『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「ラーメンを食べてうとうとしているとゴールしていた男子マラソン」(綿壁七春/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「ルーベンスの薔薇色の雲わが手には君の重たき上着が眠る」(梅内美華子『若月祭』より)

「レディレディ、位置に着いたら一番になりたい理由を考えなさい」(リオ『うたらば』より)

「わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん」(寺山修司『空には本』より)

「わが額にかそか触るるはわが髪にあらねはるけき岬(さき)に潮(しお)鳴る」(中野照子『しかれども藍』より)

「わたくしも誰かのカラーバリエーションかもしれなくてユニクロを出る」(辻聡之『あしたの孵化』より)

「わたくしを温めるため沸かす湯はかつて雪なる記憶を持てり」(中畑智江『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたしたち/わたし」(今橋愛『短歌WAVE』創刊号より)

「わたしたち全速力で遊ばなきや微かに鳴つてゐる砂時計」(石川美南『砂の降る教室』より)

「われを抱く荒々しき腕かいなありジャーマンスープレックスホールドということばのなかに」(肉球『FAX短歌会「猫又」』より)

「愛してる、幸せ、だけどこの先は別料金が発生します」(赤井悠利『うたらば』より)

「愛を告げすぎて不安になるこころあまたなるゆすらうめの実のゆれ」(渡辺松男『けやき少年』より)

「愛恋のはざまむなしも雪崩つつけぶるがままに幾夜ありけむ」(小中英之『翼鏡』より)

「逢えばくるうこころ逢わなければくるうこころ愛に友だちはいない」(雪舟えま『たんぽるぽる』より)

「逢ひたいと思ふ、思へば昼も夜も緋の澱を手に掬ふきさらぎ」(高島裕『雨を聴く』より)

「胃からりんご。/りんごの形のままでそう。/肩はずれそう/この目。とれそう」(今橋愛『O脚の膝』より)

「育つとは大きくなることではなくてもう戻れなくなることである」(泳二『うたらば』より)

「一口のパンが喉(のみど)を通った日私は真紅の薔薇になった」(柳澤桂子『冬樹々のいのち』より)

「一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの」(伊藤真也/穂村弘編『短歌ください』より)

「雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって」(盛田志保子『木曜日』より)

「雨の日の空間がぴたぴたとしててほんとはぼくじゃないかもしれない」(阿波野巧也『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「雨後の筍のように私が生える 狩ってそれから食えるように炊いて」(柴田葵『母の愛、僕のラブ』より)

「影として水面うつろふ水鳥にこころ寄りゆくふたり黙せば」(柚木圭也『心音(ノイズ)』より)

「永遠と思いこんでた「青春」の二文字の中に「月日」があった」(逢『うたらば』より)

「屋外は現在、屋内は未来、中庭は過去、につながりて夜の秋」(松平修文『トゥオネラ』より)

「音は消ゆ人も逝きたりめぐりやまぬ季節のなかに残る音楽」(河野美砂子『ゼクエンツ』より)

「下駄箱の前にちいさなやぎがいてまた食べられるあたしの勇気」(山田水玉『うたらば』より)

「夏の朝体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と」(木下ルミナ侑介/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「家に着くまでが遠足帰りたい家を見つけるまでが旅です」(空木アヅ『うたらば』より)

「家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい」(小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』より)

「花の散る速度と競ひ音階をのぼりたりわが少女期のカノン」(米川千嘉子『夏空の櫂』より)

「花水木いつまでも見上げる君の 君の向こうを一人見ており」(前田康子『ねむそうな木』より)

「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」(吉川宏志『青蟬』より)

「花瓶だけうんとあげたい絶え間なくあなたが花をうけとれるように」(笠木拓『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「我のみが知る記念日は数ありてそのたびひとりのさびしさに気付く」(田中雅子『令月』より)

「会えない人はみんなきらいだ眠ったらぜんぶ忘れる話は好きだ」(嶋田さくらこ『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「会えるとは思わなかった 夏が麻痺してゆく船の倉庫のかげで」(千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』より)

「会心の一撃として向日葵が天に撃ち込む黄の鮮やかさ」(中西大輔『うたらば』より)

「街のここかしこにカノン湧き上がり落ち葉は落ち葉を掃く人に降る」(稲葉京子『花あるやうに』より)

「乾いてる春をかわして行く君はさよならのときも振り返らない」(中島裕介『Starving Stargazer』より)

「顔文字の収録数は150どれもわたしのしない表情」(一戸詩帆/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「幾人もわたしを腹に詰めこみてときおり淡く声が重なる」(辻聡之『あしたの孵化』より)

「気持ちだけいただこうかと思ったら気持ちの方が空っぽやんか」(じゃこ『うたらば』より)

「君が火を打てばいちめん火の海となるのであらう枯野だ俺は」(真中朋久『雨裂』より)

「君の事忘れるための旅なのに 話したいことばかりが増える」(きつね『うたらば』より)

「君の手のひらをほっぺに押しあてる 昔の日曜みたいな匂い」(木下ルミナ侑介/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「君を待つ3分間、化学調味料と旅をする。2分、待ち切れずと目を覆い、蓋はついに暴かれた。」(せつこ/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「君一人置きしベンチに近づきて横顔はかくも侵し難かり」(吉野亜矢『滴る木』より)

「結界のように真白い冷蔵庫ミルクの獣臭も冷やして」(高橋徹平/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後」(虫武一俊/穂村弘編『短歌ください』より)

「言い訳はしないましてやきみのせいにしないわたしが行く場所のこと」(谷村はるか『ドームの骨の隙間の空に』より)

「枯れたからもう捨てたけど魔王つて名前をつけてゐた花だつた」(藪内亮輔『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「後ろから抱きしめるとき数一〇〇〇(かずいっせん)の君のまわりの鳥が飛び立つ」(白瀧まゆみ『自然体流行』より)

「誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど」(大松達知『アスタリスク』より)

「好きだって言うより先に抱きしめた言葉はいつも少し遅れる」(木下龍也『うたらば』より)

「好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ」(陣崎草子/穂村弘編『短歌ください』より)

「好き嫌い嫉妬妄想妻妥協「女」のつく字がみなおそろしい」(瀬波麻人『うたらば』より)

「幸せがのびのびしてる小説で少し曇った眼鏡を掛ける」(今野浮儚『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「降りては来ないあふれるのよ遠いはかないまなざしからきっとここへ」(井上法子『永遠でないほうの火』より)

「降りみだれみぎはに氷る雪よりも中空にてぞわれは消ぬべき」(浮舟の歌 『源氏物語』「浮舟」の巻より)

「告げざりし心愛(お)しめば一枚の画布(トワール)白きままにて残す」(安永蕗子『魚愁』より)

「今どこにいますか何をしてますかしあわせですかもう春ですか」(たきおと『うたらば』より)

「今二匹蚊を殺したわ息の根を止めましたこの手あなたをさわる手」(森響子/穂村弘編『短歌ください』より)

「砂たちに行動の自由与えたら湘南海岸どうなるだろう」(奥村晃作『スキーは板に乗ってるだけで』より)

「再びを調べつつ書く楽しさを吾に給えな越えるべき日々」(大島史洋『どんぐり』より)

「細々と暮らしたいからばあさんや大きな桃は捨ててきなさい」(木下龍也『うたらば』より)

「昨年の夏に野球を共に観た女子はファウルをよけられなくて」(ハレヤワタル/穂村弘編『短歌ください』より)

「雑踏にまぎれ消えゆく君の背をわが早春の遠景として」(大辻隆弘『水廊』より)

「散髪の帰りの道で会う風が風の中でいちばん好きだ」(岡野大嗣『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「四十肩 三段腹に 二重あご 一重まぶたで ツルツルあたま」(水野川順平/穂村弘編『短歌ください』より)

「指切りのゆび切れぬまま花ぐもる空に燃えつづける飛行船」(穂村弘『シンジケート』より)

「死というは日用品の中にありコンビニで買う香典袋」(俵万智『チョコレート革命』より)

「私って幸せだったのかなーと四つ葉のクローバーが死ぬ夜」(こしあん『うたらば』より)

「詩はすべて「さみしい」という4文字のバリエーションに過ぎない、けれど」(木下龍也『オールアラウンドユー』より)

「試着室くつを脱ぐのかわからない わからないまま一歩踏み出す」(竹林ヾ来/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「自動巻き腕時計ってどういう仕組み? 勝ってうれしいサッコ&ヴァンゼッティ」(由良伊織「よくできた蓋」『早稲田短歌』より)

「七階からみおろす午後の がらくたの あのごみどもの 虫けら達の ああめちゃめちゃの東京の街」(加藤克己『宇宙塵』より)

「煮えたぎる鍋を見すえてだいじょうぶこれは永遠でないほうの火」(井上法子『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「煮え切らぬきみに別れを告げている細胞たちの多数決として」(九螺ささら/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「手套(てぶくろ)に さしいれてをり Debussyの 半音に触れて 生(なま)のままのゆび」(河野美砂子『無言歌』より)

「拾い読みして戻すその本の背文字が光りその本を購う」(浜田康敬『梁』98号より)

「終わらせる為の「レモン」に君がすぐ「ソーダ」を足して続くしりとり」(こころ『うたらば』より)

「十二月二十四日と十二月二十五日は異様に長い」(木下龍也『うたらば』より)

「縦書きの国に生まれて雨降りは物語だと存じています」(飯田和馬『うたらば』より)

「重ねればやわらかい指ぼくたちは時代錯誤の愛を着ている」(東直子『青卵』より)

「助走から疾走までにあったこと君に話そうひと夏のこと」(紗都子『うたらば』より)

「女には人生一度か二度くらい逃さねばならぬ終電がある」(倉野いち『うたらば』より)

「少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!」(古賀たかえ/穂村弘編『短歌ください』より)

「寝た者から順に明日を配るから各自わくわくしておくように」(佐伯紺『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ相手はパーだ」(枡野浩一『てのりくじら』より)

「森を歩す、新秋を歩す 美しき言葉のありていま月を歩す」(高野公彦「「カノン」の迷子」『短歌』より)

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」(明石海人『白描』より)

「神妙な面持ちですねあと少し待てば赦すと思ってますね」(こはぎ『うたらば』より)

「図鑑には載ってないけど木漏れ日が一番きれいなのは栗の木」(山本左足『うたらば』より)

「水の輪が水の輪に触れゐるやはらかなリズムのうへにまた雨が降る」(河野裕子『紅』より)

「水際に夕日を引き込む重力が遠いわたしに服を脱がせる」’平岡直子『同人誌「町」4号』より)

「水筒を覗きこんでる 黒くってきらきら光る真夏の命」(木下ルミナ侑介/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月」(大塚寅彦『声』より)

「世界一やさしい単語のひとつだと思うあなたのなまえ呼ぶとき」(月夜野みかん『うたらば』より)

「星あかりのわずかに届く闇を来てものやわらかな音楽ひとつ」(甲村秀雄『短歌往来』4月号より)

「晴れの日は風と暮らして雨の日は涼しいなって気持ちと暮らす」(岡本真帆『水上バス浅草行き』より)

「生きるとは硬貨を抱いていつまでも着かないバスを待つ人のごと」(田中ましろ『燈心草を香らせて』より)

「生と死のうづうづまきてをりにけむ丸縁眼鏡の志功のなかに」(花鳥佰『逃げる!』より)

「生態系食物連鎖をくつがえしあたしがあなたをたべる日が来た」(小玉裕理子/穂村弘編『短歌ください』より)

「青き空 わたしの上にひるがえる旗には「壊せ神殿を」とありぬ」(大島史洋『どんぐり』より)

「静やかにスノードームが飾られた空を研究する人の部屋」(廣野翔一『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「雪国に行くトンネルを反対に抜ければそれが春ではないか」(あみー『うたらば』より)

「蝉が死んでもあなたを待っています バニラアイスの木べらを噛んで」(ゆず/穂村弘編『短歌ください』より)

「痩せようとふるいたたせるわけでもなく微妙だから言うなポッチャリって」(脇川飛鳥『かんたん短歌の作り方』より)

「脱ぎ捨てた服のかたちに疲れても俺が求めるお前にはなるな」(奥田亡羊『亡羊』より)

「誰のこともさして恋はずに作りたる恋歌に似て真夏のうがい」(石川美南『砂の降る教室』より)

「単純でいて単純でいてそばにいて単純でいてそばにいて」(嵯峨直樹『神の翼』より)

「男ゆゑ男への恋が実らずと高校生が保健室で泣く」(大松達知『アスタリスク』より)

「男女とは一対にしてはるかなる時間差で置く白き歯ブラシ」(大野道夫『秋階段』より)

「地球上すべてのひとが信号を渡ったあとで青は渡った」(実山咲千花『うたらば』より)

「潮のおと耳より心に入れながら脱にんげんの一瞬もある」(伊藤一彦『言霊の風』より)

「長雨の明けてとんぼの高く飛ぶいのち余さず秋空をゆけ」(久我田鶴子『転生前夜』より)

「鉄分が不足しているその期間車舐めたい特に銀色」(九螺ささら/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「電子レンジは腹に銀河を棲まわせて静かな夜に息をころせり」(陣崎草子/穂村弘編『短歌ください』より)

「冬の朝つめたき陶となる髪に従容と来てひとは唇触る」(佐竹彌生『雁の書』より)

「冬の朝窓開け放ちてあおむけば五体にひろがりやまぬ風紋」(寺井龍哉/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「入賞じゃ以下同文の賞状をもらってお辞儀して下がるだけ」(じゃこ『うたらば』より)

「脳みそがあってよかった電源がなくても好きな曲を鳴らせる」(岡野大嗣『うたらば』より)

「薄っぺらいビルの中にも人がいる いるんだわ しっかりしなければ」(雪舟えま『たんぽるぽる』より)

「髪あげてやや美しと思ふときひとと別れむ心定まる」(石川不二子『牧歌』より)

「抜けてきたすべての道は露に消え連続わたし殺人事件」(吉岡太朗『ひだりききの機械』より)

「非常口マークの奴も時々は逃げたくないと思うんだろう」(葛山葛粉『うたらば』より)

「風が苦しみ始めたやうだわたくしの深い疲労に気づいたらしい」(岡井隆『阿婆世あばな』より)

「歩きつつ本を読む癖電柱にやさしく避けられながら街ゆく」(柳澤美晴『一匙の海』より)

「母からの「可愛い」という一言をお守りにしてゆく夏祭り」(小川千世『うたらば』より)

「母語圏外言語状態(エクソフォニー) この美しき響きには強風に立つ銀河が見える」(黒瀬珂瀾『空庭』より)

「忘れてく思い出たちは優しいと午後四時半の物理実験室」(マイ/穂村弘編『短歌ください』より)

「僕らはママの健全なスヌーピーできるだけ死なないから撫でて」(柴田葵『母の愛、僕のラブ』より)

「本当は声に言葉にしたかつた空を歌つてにごしたあの日」(中野迪瑠『青色ピアス』より)

「味の素かければ命生き返る気がしてかけた死にたての鳥に」(九螺ささら/穂村弘編『短歌ください 2』より)

「無理をしてほしいと言えば会いにくる深夜かなしく薔薇を抱えて」(俵万智『チョコレート革命』より)

「毛を刈ったプードル怖いと言う彼にあれは唐揚げと思えと伝えた」(モ花/穂村弘編『短歌ください』より)

「黙らせるために渡した飴なのに「おいしいね」って君は笑った」(赤井悠利『うたらば』より)

「夜は来る(地球四十六億年ぶんの)不安を引き連れてきて」(二玉号『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「夜光虫のニュースのなかにくりかえし生れては死ぬるひかり わたしの」(辻聡之『あしたの孵化』より)

「野イバラが素足に痛くて今きみをみたら泣いてしまうなきっと」(北川草子『シチュー鍋の天使』より)

「優秀なペンギンなので空を飛ぶことを望んでなんていません」(谷じゃこ『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「友だちが百人できてもさみしいと先生ちゃんと教えてください」(chari『うたらば』より)

「夕やけよあらゆる色を駆逐せよ 頬が冷めてくモザイクの街」(めぐみ・女・21歳『短歌ください』より)

「夕空を旅客機一機離り行き工学はいま文学を呼ぶ」(曽川文昭『スイッチバック』より)

「夕暮れの書店に集ひ一冊の本選ることに安らぐ者ら」(柴田典昭『樹下逍遙』より)

「卵らが身を寄せあってひからびる二十時の回転寿司銀河」(古屋賢一/穂村弘編『短歌ください』より)

「履歴書は白紙のままで鶴になる 折るという字は祈るに似てる」(山本左足『うたらば』より)

「旅先で僕らは眠るすべてから知らない街の匂いをさせて」(ソウシ/穂村弘編『短歌ください』より)

「林檎からうさぎを創り出すような小さな魔法に生かされている」(松尾唯花『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』より)

「淋しい人影が夢の芯になり銀河を擁いて傾いてくる」(糸田ともよ『しろいゆりいす』より)

「冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし」(岡井隆『神の仕事場』より)

「恋ですよ芋の芋まで掘り起こしありったけポテトフライにしたい」(阿波野巧也『さらに音楽は鳴り続ける』より)

「釉薬を身体(からだ)に巻きて佇つごとし近づくわれをかすか怖れて」(島田幸典『no news』より)

「銜(くは)へ来し小枝はくちばしより落ちぬ改札を抜け君に笑むとき」(栗木京子『けむり水晶』より)

「みんなに素敵な笑顔つもりますように♫」

【参考図書】
「あんたがサンタ?」佐々木マキ(著)

短歌 2018年9月号
論考特集 現代短歌の論点2018
短歌と純粋読者 「純粋読者」はどこにいる

「文学入門」(岩波新書)桑原武夫(著)

「現代百歌園―明日にひらく詞華」塚本邦雄(著)

「百句燦燦 現代俳諧頌」(講談社文芸文庫)塚本邦雄(著)

「解析短歌論―喩と読者」永田和宏(著)

「表現の吃水―定型短歌論」永田和宏(著)

「短歌と俳句の五十番勝負」(新潮文庫)穂村弘(著)

「日本人の脳に主語はいらない」(講談社選書メチエ)月本洋(著)

【参考記事】


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