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【メモランダム】《反省》

《反省》についてのメモランダムです。

私は、可能な限り、一日の決算は、一日にやることを心がけています。

うまくゆくこともありますが、しくじることもあります。

しくじれば、その日のうちに始末する。

省みるということです。

今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へもちこしたりしない様に心掛けてみる。

昨日を悔やむことも、出来るだけしない様に心掛けて、明日を思いわずらうこともしない様に注意していますが、上手く行かない時もあります。

明日のために何をするかということばかりに目がいくと、現実を見る目がおろそかになりがちです。

夢を見るのはかっこいいですが、内実が伴わないと、単なる夢物語で終わってしまいますからね。

新しいことを考えようとするとき、そのヒントやきっかけは、反省のなかにあるものです。

「苦痛+反省=進歩」のマインドセットは、ブリッジウォーターを創業したレイ・ダリオの哲学の礎でした。

これは勝負においてもそうです。

批判や反省は、ネクラの難クセと片付けられ、前向き単純思考の「ノリ」が大事にされます。

衣を透かして本質をつかむ訓練が不足しているから、悪徳商法や怪しげな神秘主義集団に取り込まれる若者が後を絶たないのだと思います。

情報化は進んでも、個人が相手の手連手管を見抜く能力は低下しているのかもしれません。

ここで、注意したい事は、自己弁護をせず、純粋な好奇心を持って、自分自身の強みと弱点を見つめ、そして、一心に真実を追究してはじめて人は成長することができるのだと考えています。

己を批判にさらすことで、自分の人柄や仕事や人間関係を高みから、客観的に見る(俯瞰する)ことができます。

そして、エゴにとらわれずに自分を客観視できてはじめて、人は真にロジカルな判断を下せるようになるのだと、そう思います。

肝心なのは、失敗の痛みを受けとめ、言い訳せず、謙虚に失敗を振り返ることの難しさを認めた上で、積極的に原則を学ぼうとする姿勢だと考えられます。

成功も失敗も、公平に正面から見つめることができなければ、正しいゴールを設定するどころか、同じ失敗を繰り返すことになるので要注意です。

この点を踏まえた上で、「反省しなさいと」と人に強いるのは、日本的思考の最も良くない点ではないでしょうか?

私なら「これを契機に、もっと感受性を鋭敏にして、未来をみつめてみてはどうでしょうか?」と言うと思います。

感受性の鋭い人間なら、失敗をすれば痛いほどそれを強く感じるので、二度とそれを繰り返さないように、人生の手引きは自分で作る事を注意するだろうと思うからです。

そのうえもっとばかげているのは「あいつに反省の色が見えたから許してやる」という考え方です。

反省したからといって、事態が好転するわけではないのだから、そこで許すのは不合理だと思います。

それより、自分の不注意から生まれた事故なり過失なりに対して、どのくらい感受性を深めたかが問題だと思います。

なぜなら、学習成果のほとんどは、失敗し、その原因を考え、別の方法を工夫することで得られるためです。

痛みを伴う問題を解決する唯一の方法は、それについて深く考えること。

すなわち、反省することだからです。

痛みに直面したら、可能な範囲で、まず、闘わず逃げもせず、反射的に省みる癖をつけてしまえば、速やかに学び、そして進化できるではないでしょうか?

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