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【エッセイ】日本の美意識

日本の美意識の基層をなし、自然に美を見いだした「優美」。

演技を七分にとどめ、完全に演じ切らないことを説いた世阿弥の「幽玄」。

慢心する秀吉を戒め、侘びることを説いた利休の「侘び」。

旅の途中で、寂びつくして、命つきることを願った芭蕉の「さび」。

西欧文化の影響が背景にある「きれい」。

そして、二一世紀に世界を席巻する「かわいい」。

偏狭なナショナリズムに陥ることなく、我が祖国、日本の魅力を海外に発信しようとするとき、伝統文化に見いだされる日本的な美は、世界に誇れるもののひとつだと私は思っています。

もっと、この日本的な美を大切にし、そのかけがえのないオリジナリティを自覚し、守り育てていくことが必要だとも考えています。

「優美」、

「幽玄」、

「侘び」、

「寂」、

「きれい」、

「かわいい」、

と続く美意識は、一連のものであり、それぞれ独立した概念ではないことがわかります。

時代とともに、日本人のなかに、これらの美意識が育まれ、発展してきたのだと言えそうですね。

人間は、「生」を得た瞬間から、「死」という「滅び」に向かって生きています。

そうであるからこそ、「生」を尊ぶという考え方が、日本人の美意識の基底にあるといいます。

平安末期、この世の無常を嘆き、23歳で出家した西行は、全国各地を遍歴しながら和歌を詠み、旅の途中で世を去りました。

その西行を慕って、江戸期には、松尾芭蕉が、旅と草庵での生活に明け暮れます。

「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」と詠んで、芭蕉は、西行と同様に、旅の途中で客死しました。

そして、昭和期に入ってもうひとり、旅に出て草庵に暮らし、旅先で死んだ人がいました。

ドイツの建築家、ブルーノ・タウトです。

芭蕉の『おくのほそ道』松尾芭蕉(著)/ドナルド・キーン(訳)(講談社学術文庫)はタウトの愛読書のひとつであったといいます。

「英文収録 おくのほそ道」(講談社学術文庫)松尾芭蕉(著)D. キーン(訳)

第二次大戦前のドイツで、親ソ派としてナチスに睨まれたタウトは、職と地位を奪われて日本に亡命しました。

京都の「桂離宮」に日本的美を見出し絶賛した彼は、約3年半の日本滞在中、高崎市郊外の草庵「洗心亭」に住み、やがてトルコのイスタンブールに職を得て移住し、そこで死去しました。

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【読書メモ】「月と日本建築 桂離宮から月を観る」宮元健次(著)(光文社新書)
https://note.com/bax36410/n/n614b9800783d

彼ら三人の人生に共通して見出されるのは、旅の途中で命尽きることを理想の死ととらえていることです。

そこには、未完の美という意識があります。

鎌倉期に、「徒然草」(ちくま学芸文庫)を著した兼好法師は「もののあはれ」という概念を示していましたね。

「徒然草」(ちくま学芸文庫)兼好(著)島内裕子(訳、校訂)

彼が言わんとした、仏教の死生観にもとづく無常観は、時間的に、限りある美をいとおしく思う心でした。

人の一生は有限であり、そのさなかに出会う「美」もまた、一瞬のものです。

また、能楽の大成者、世阿弥は、「せぬ能」、あるいは、「せぬひま」ということを強調していましたね。

完全に演じきってしまうのでなく、身体の動作を、七分に控えることによって、そこに心を表現できるというものでした。

世阿弥は、これを、無心でやれと説きます。

あえて演じないことによって、そこに、漂う情感のことを、余情、あるいは余韻といいます。

能がめざしているものは、まさに、未完の美です。

生ある限り、無心で道を究めようとする(旅を続ける)。

そして、その完成形を、あえて求めず、そこに表現される心を求めよ。

ということなのでしょうね。

日本画における余白も、この余情と同じことではないかと思われます。

あえて描かないことによって、画面に心を表現するとなんだろうね。

こんな風に捉えてみると、未完の美というものを、何となく理解できた様な気がしてくるから不思議です。

21世紀に入り、日本のサブカルチャーが、海外で高く評価されていましたね。

「クール・ジャパン」、あるいは「かわいい」が、現代日本発の新たな美意識として、世界中で受け入れられていました。

「クール・ジャパン」の「クール」とは、「かっこいい」という意味です。

国内では、「おたく文化」として蔑まされてきた感のあるキャラクターやアニメが、もはや、日本のメインカルチャーを凌ぐほど、高い人気を集めているのは、皆さんもご存じのことと思います。

アメリカでも「kawaii」は、英語の単語となり、「格好いい」という意味合いで、普通に使用されています。

村上隆さんや、ポケモンや、キティちゃんによって、日本の美意識が輸出され、世界を席巻していきました。

それにしても、どこか、いびつで、不格好なキャラがウケているのは、何故だろうかと疑問を持っている方もいるかもしれません。

「かわいい」という美意識もまた、未完の美であるといえます。

この言葉は、本来、

①未熟なために助けを必要とするか弱いもの

②小さくていまにも壊れてしまいそうなもの

③純粋無垢ですぐに汚れてしまいそうなもの

を守ってあげたいと感じる愛着を指しているそうです。

未完の美は、言い換えれば、滅びの美学でもあります。

「かわいい」もまた、日本の伝統的な潮流の延長線上に位置する美意識であって、「もののあはれ」に通ずる、はかなく、か弱きものを、いとおしいと思う気持ちを表しています。

これが、世界で共感を呼んでいる事実は無視できない現象だと思います。

昔も今も、日本のこの禅的な心持ち(無常観)が、特に、欧米人には、エキゾチックに映っているのかもしれませんね。

「クール・ジャパン」や「かわいい」の正体は、案外そんなところにありそうです(^^)

【参考図書】
「陰翳礼讃」(角川ソフィア文庫)谷崎潤一郎(著)

「日本の美を求めて」(講談社学術文庫)東山魁夷(著)

「日本人の美意識」(中公文庫)ドナルド キーン(著)金関寿夫(訳)

「日本の美意識」(光文社新書)宮元健次(著)

「日本のデザイン―美意識がつくる未来」(岩波新書)原研哉(著)

「美意識を磨く」(平凡社新書)山口桂(著)

「俳句脳 発想、ひらめき、美意識」(角川新書)茂木健一郎/黛まどか(著)

「「かわいい」論」(ちくま新書)四方田犬彦(著)

「美の日本―「もののあはれ」から「かわいい」まで」(明治大学リバティブックス)伊藤氏貴(著)

「化粧の日本史 美意識の移りかわり」(歴史文化ライブラリー)山村博美(著)

「日本人にとって美しさとは何か」高階秀爾(著)

「日本美を哲学する あはれ・幽玄・さび・いき」田中久文(著)

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