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【エッセイ】詩と暮らす-うたう(歌う×詠う×訴う)-

詩と暮らす。

それは、詩で生死の結びつきを訴うことではないかと、感じることがあります。

人は、年を重ねるにつれて、失うことの重さに気づき、その喪失を前にして、慄くのかもしれませんね。

例えば、病を患った方が話される世界、放たれる言葉。

それは、話し切ることからも。

また、語り尽くすことからも。

どこか、遠くに感じられることがありませんか。

そこに存在した空気が。

聞き手の心といっしょに。

いつも、小さく振動するのを覚えます。

また、そこは、日常的なルーティンから。

ちょっと浮き上がった空間と時間でもある様に感じられます。

生への渇望。

病気の苦しみ。

不安になった子どもみたいに。

「たんま」をかけることの出来る次元かもしれません、ね。

そこで、語られる言葉は、訴ではあるかもしれないけれど、ごくごく自然なことだと受け取れるのではないでしょうか。

人は、物語ることで、自分自身を、より広い背景のうちに、また、より深い文脈のうちに、捉え直すことが出来るからなのかもしれません。

語ることには、何時でも、語り手と聞き手双方を解放する機能が秘められているのはないかと、そう感じます。

例えば、自己とか、自分とかいう概念の、不思議さと奥深さみたいなものとの関わりを表現しようとする時。

必要なことは、曖昧模糊とした、それらの感情等を、どれだけリアリスティック(対象をあるがままに写そうとするさま。写実的。)に現すことができるのか。

そうであるかどうかから、スタートしてみることが必要だと考えられます。

例えば、その手段のひとつである小説は、文章によって表現するジャンルの中では新顔です。

エッセイやレポート、伝記、神話、史書、詩、短歌、俳句等とは、異なるものとして生まれました。

だから"Novel(新しいもの)"と名付けられた。

また、その定義も大らかなものであり、散文で書かれた虚構となっています。

散文とは、形式や韻律などによる制限のない文章のことを言います。

つまり、小説は、極論すれば、どう書いても自由ということです。

そんな小説は言うに及ばず、絵画等の美術にしても、そして、音楽にしても、同じはずだと感じます。

古来、優れた芸術作品は、いずれも、リアリスティックであったのではないでしょうか。

さて、詩とは、中国語であり、和訳すれば「うた」になります。

「うた」とは、「うたふ」の連用形です。

もともと、「訴ふ」とか、「打つ」とかという言葉と、同類だったと考えられています。

そのため、このような切実な気持ちを引き摺りながら、身体から発せられた言葉は、すべて「うた(≒詩)」になるしか、ないような気がします。

「うた・歌う」の語源は、折口信夫氏に拠れば「うった(訴)ふ」であり、歌うという行為には、相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としていることも、また確かであると述べていました。

また、徳江元正氏は、「うた」の語源として、言霊(言葉そのものがもつ霊力)によって、相手の魂に対し、激しく強い揺さぶりを与えるという意味の「打つ」からきたものとする見解を唱えています。

私たちの住む、この狭い国土しか持たない日本において、或る場所毎に、実は、違った言葉が群生する空間になってしまっているため、「うた」の形も、その環境の影響を受けてしまっているなんてことも、もしかしたら、無きにしも非ずかもしれません、ね。

そうであれば、生死が迫っている人の内面にひそんでいる言葉達。

それは、どんな言葉なのでしょうか。

たぶん、おいそれとは、言葉にならないものを抱えこんでいる人達の言葉とは、その空間の中で日常の暮らしの言葉とは違う次元に入ろうとして、藻掻き、苦しんでいる言葉が、色んな「訴う」となって現れるのかも、しれません。

そして、「詩(≒訴う)」と生死を結ぶもの。

それは、言葉であると同時に。

言葉では伝えきれない手触りやもどかしさ。

また、言葉の余韻でもあるのでしょう。

それは、正に、豊かな矛盾に満ちていると、そう感じます。

現代は、科学的なエビデンスに基づいた施策が重視されすぎ、一人ひとりの物語に基づいた施策を忘れがちです。

確かに、多数決に依存しがちな世界の中では、致し方ない面もあると考えますが、「エビデンス・ベースド」であっても、最も望ましい施策形成が行われるとは限りません。

如何に施策の形成(立案と決定)を、望ましいものにしていくかという「ポリシー・メイキング」の問題も合わせて考えていく必要があるように思います。

「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」(岩波新書)坂井豊貴(著)

その様な環境下だからこそ、この世界に必要なのは、相反するものが共存可能な場所。

そのひとつの現場が、詩と暮らす事なのだ、と感じます。

言葉であるものと言葉でないもの。

科学的な世界と物語の世界。

人の営みは、とかく矛盾だらけです。

だから、生と死の境も、矛盾に満ちています。

その矛盾を受け容れ、豊かだと捉えること。

そう言えば、ターミナルケア(終末医療)の先駆者である精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスさんは、死にゆく人々のケアに、その生涯を捧げた人物です。

彼女の体験をもとに著した「「死ぬ瞬間」 死を受け容れるプロセス」に「否認、怒り、取引、抑うつ、受容」という5段階があると記した内容が、一大センセーションを巻き起こしていましたね。

「死ぬ瞬間 死とその過程について」(中公文庫)エリザベス・キューブラー・ロス(著)鈴木晶(訳)

70歳を前にして脳卒中に襲われた彼女。

半身不随となった身でテレビのインタビューに答えます。

そこで、神への怒りをあらわにし、自身の運命を呪ったのでした。

死にゆく人々へ尽くした人物が、いざ、自らの死に直面して激昂する。

人格者が死を恐れて怒りをぶつける。

みなさんは、どう想われますか。

それでもいいじゃないか、と想いませんか。

ロスさんの人生には、続きがあります。

彼女の訃報記事に、最晩年は、グループホームで穏やかに暮らし。

2004年、家族に見守られるなか、息を引き取ったことが記されていました。

インタビューを受けた当時の彼女は、自身もまた5段階の2段階目、怒りのステップを踏んでいたのではないか。

そして、そのことを、彼女は、隠しもせず、あるがままを見せていたのではないかと。

生への渇望と死への不安はシーソーみたいに、アンバランスが普通です。

だけど、生への絶望や死と隣り合わせの空間にも、少なからず喜びや笑顔がある。

不安は、不安のまま抱きしめればいい。

そう思えれば、少し肩の荷が下りる様な気がします。

でも、もしも駄々っ子になってしまったら。

「あなたは、死に至る生を恐れているから死が怖いのよ」と、優しく自分に言い聞かせてあげてみてください。

そんな風に、日々、揺らめきながら。

今日も、楽しい「うた」、悲しい「うた」、いろんな「うた」を、言霊を込めて奏でながら、「うた」の世界を泳ぎたいと思います。



シロクマ文芸部に参加させて頂きました。

お題は「詩と暮らす」です。

【参考図書】
「詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡」谷川俊太郎/徳永進(著)(朝日新書)

【歌う×唄う×謡う×詠う×唱う×訴う】
・歌う:

・唄う:

・謡う:

・詠う:
「ひた泣きて訴へたりし幼の日よりわが身に添へる不安といふもの」
さとうひろこ『呑気な猫』

・唱う:
ukabis 和歌シリーズ #6 「海恋し」与謝野晶子(和歌吟詠:松葉水実)

・訴う
ヘンデル:歌劇「リナルド」私を泣かせてください(涙の流れるままに)

【参考記事】

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【小品文】晴耕雨読(縦書きの国)
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【読書メモ】「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹(著)
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【短歌(その2)】「枸橘の棘に守られて咲きたる白き花達」
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あいたくて
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