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【短評】欲望の資本主義の行き着く先

自由は、社会科学の重要なテーマとして扱われてきました。

近代社会は、生命・財産・自由を確保する運動から始まったといわれています。

生命や財産は、自明のものですが、自由は、それが保障された後にも、専門家は、その定義や意味付けに、頭を悩ませてきました。

例えば、リベラリズムでいわれる責任の中心にあるのは、自己責任です。

自分自身に対する責任であって、その論理は、選択する主体は自分だから、選択した結果についても、自分で責任を持つというわかりやすいものです。

自由な選択と自己責任は、対の概念となっています。

だが、これは、リベラリズムの欺瞞に過ぎません。

【参考図書①】
「リベラルとは何か 17世紀の自由主義から現代日本まで」(中公新書)田中拓道(著)

「リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義」(中公新書)渡辺靖(著)

【関連記事】
【読書メモ(その1)】「人間は進歩してきたのか―現代文明論〈上〉「西欧近代」再考」佐伯啓思(著)(PHP新書)
https://note.com/bax36410/n/nefe30662846e

【選書探訪:有難い本より、面白い本の方が、有難い本だと思う。】「集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険」仲正昌樹(著)(NHKブックス)
https://note.com/bax36410/n/ne6c2e038cf5f

犠牲の状況を根底に置けば、本当の意味での責任とは、まずは、死者への責任とならざるを得ないからです。

責任は、自分が、たまたま犠牲者にならずに、生き残ったという偶然性を、運命的なものとして、引き受けることから発するのだから。

ここで、歴史を遡って確認してみると、第一次大戦直後のヨーロッパでは、戦前まで、人々を支えてきた近代思想や、既存の価値観が大きく揺さぶられることになり、そのため、多くの人々は、生きるよりどころを見失っていました。

この様な巨大な歴史の流れの中では、人間の存在は、真に小さく感じられて、吹けば飛ぶような、ちっぽけなものだという、絶望感も漂っていました。

そんな中、ハイデッガーの「存在と時間」が登場し、

「存在と時間〈上〉」(ちくま学芸文庫)マルティン ハイデッガー(著)細谷貞雄(訳)

「存在と時間〈下〉」(ちくま学芸文庫)マルティン ハイデッガー(著)細谷貞雄(訳)

「存在とは何か」を問うための前提として、「人間存在」の在り方(実存)に新たな光をあててくれました。

この「本来的な生き方とは何か」を追求したハイデガーの哲学は、根源的な不安に晒された人たちに、人間の尊厳をとりもどす新しい思想として注目されることになります。

【参考図書②】
「ハイデガー入門」(講談社学術文庫)竹田青嗣(著)

「ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで」(講談社現代新書)轟孝夫(著)

「ハイデガー 『存在と時間』を解き明かす」(NHKブックス)池田喬(著)

「ハイデガー=存在神秘の哲学」(講談社現代新書)古東哲明(著)

「技術とは何だろうか 三つの講演」(講談社学術文庫)マルティン・ハイデガー(著)森 一郎(編訳)

「極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる」(講談社選書メチエ)高井ゆと里(著)大澤真幸/熊野純彦(編)

「ハイデガーの超-政治―ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い」轟孝夫(著)

「千夜千冊エディション 文明の奧と底」(角川ソフィア文庫)松岡正剛(著)

「千夜千冊エディション 神と理性 西の世界観I」(角川ソフィア文庫)松岡正剛(著)

「千夜千冊エディション 観念と革命 西の世界観II」(角川ソフィア文庫)松岡正剛(著)

この現象は、遠い昔の話ではなく、既存の価値観が大きくゆらぐ中で、多くの人々が生きるよりどころを見失いつつある現代にこそ、ハイデガーを読み直す意味があるといえます。

彼の哲学には、

①不安への向き合い方

②生きる意味の問い直し(本来的な生き方とは何か)

③世間との関わり方

等、現代人が直面せざるを得ない問題を考える上で、重要なヒントが数多くちりばめられているからです。

結局ハイデガーは、「存在了解が現存在に先立つ」という意味で、人間存在を規定するものとしての「存在了解」を撤回して、替わりに、「存在の生起」なる概念を据える事になるわけですが、ここの時間性と、自ら成る意味での「存在の生起」の話は、個人的に、ニーチェの「力への意思」や「永劫回帰」の一つの見方のような気がして、とても興味深い内容です。

また、ハイデガーを哲学者であると同時に、哲学史家としても大きく評価するべきであり、ハイデガー自身も、それを自認した上で、西洋哲学史の流れの中で、根本的な意識改革を行うつもりであったといいます。

つまりは、アリストテレス以来の形而上学としての哲学の基軸となった、在る事は作られたものであるという前提に立った"~である"「本質存在」と、単純に、もの自体の存在を指す"~がある"である「事実存在」に分けられた存在論を解体して、

「形而上学〈上〉」(岩波文庫)アリストテレス(著)出隆(訳)

「形而上学〈下〉」(岩波文庫)アリストテレス(著)出隆(訳)

"在る事は成ったものである"とも言うべき「存在の生起」を軸にして、「事実存在」を問う存在論を打ちたてようとしていたのです。

「形而上学入門」(平凡社ライブラリー)マルティン ハイデッガー(著)川原栄峰(訳)

「形而上学叙説 ライプニッツ−アルノー往復書簡」(平凡社ライブラリー)G.W.ライプニッツ(著)橋本由美子/秋保亘/大矢宗太朗(訳)

「形而上学序説」ルネ・ゲノン(著)漆原健(訳)

「哲学がわかる 形而上学」(A VERY SHORT INTRODUCTION)スティーヴン・マンフォード(著)秋葉剛史/北村直彰(訳)

「現代形而上学入門」柏端達也(著)

「ワードマップ現代形而上学 分析哲学が問う、人・因果・存在の謎」秋葉剛史/倉田剛/鈴木生郎/谷川卓(著)

このハイデガー哲学を、現代社会につなげて解釈する時、人は、過去を宿命として受け取り、その伝承されてきたものを使って、死に向かい合い、自分はいったい何をすればいいのかということを己れに問いかけ、それを選び取ることができる筈です。

とういう意味で、人間は死に向かって自由であるのだから、死こそが、人間の自由の根本条件である、というわけです。

但し、我々は、他者に拘束されて生きているとも言えます。

あるいは、生き続けようとすれば、拘束を受け続けなくてはならない存在でもあります。

それなのに、この社会は、自由な社会だと言われいます。

自由とは、拘束を受けないことだという定義と、今の状態は矛盾していることになります。

実際に、社会で生じているのは、富を手にして、享楽を最大限に手に入れようとする欲望自由主義でしかないからです。

「哲学は資本主義を変えられるか ヘーゲル哲学再考」(角川ソフィア文庫)竹田青嗣(著)

【参考図書③】
「千夜千冊エディション 資本主義問題」(角川ソフィア文庫)松岡正剛(著)

「「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理」(講談社現代新書)佐伯啓思(著)

「欲望の資本主義 ルールが変わる時」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)安田洋祐(ナビゲータ)

「欲望の資本主義2 闇の力が目覚めるとき」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)

「欲望の資本主義3 偽りの個人主義を越えて」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)

「欲望の資本主義4 スティグリッツ×ファーガソン 不確実性への挑戦―コロナ危機の本質」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)

「欲望の資本主義5 格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)

「岩井克人「欲望の貨幣論」を語る」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)

「脱成長と欲望の資本主義」丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班(著)

「二十一世紀の資本主義論」(ちくま学芸文庫)岩井克人(著)

「貨幣と欲望 資本主義の精神解剖学」(ちくま学芸文庫)佐伯啓思(著)

「近代の虚妄 現代文明論序説」佐伯啓思(著)

「資本主義の次に来る世界」ジェイソン・ヒッケル(著)野中香方子(訳)


「科学と資本主義の未来  <せめぎ合いの時代>を超えて」広井良典(著)

「無と意識の人類史 私たちはどこへ向かうのか」広井良典(著)

「新しい封建制がやってくる グローバル中流階級への警告」ジョエル・コトキン(著)中野剛志(解説)寺下滝郎(訳)

「ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する」ジョナサン・ゴットシャル(著)月谷真紀(訳)

「暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病」ウォルター シャイデル(著)鬼澤忍/塩原通緒(訳)

「次なる100年 歴史の危機から学ぶこと」水野和夫(著)

「働き方全史 「働きすぎる種」ホモ・サピエンスの誕生」ジェイムス・スーズマン(著)渡会圭子(訳)

「格差は心を壊す 比較という呪縛」リチャード ウィルキンソン/ケイト ピケット(著)川島睦保(訳)

「神の数学」MAHANANDA(ジェームス・スキナー)(著)

さて、外国などでは、企業や、大学など、プロジェクト・チームを組むとき、その方向性とは、必ずしもストレートに合致しない変わり者(オッドマン)を加えることが多いのですが、オッドマンがいるチームは、いないチームより、遥かに早く目標をクリアできるという理由からです。

この「オッドマン(変わり者)仮説」は、NASAで、その運営上用いられた理論といわれているのですが、ある分野のエキスパートばかりで固めたチームの場合、知識が豊富ではあるが、その反面、既成の固定観念に縛られてしまい、動きがとれなくなることがあり得るため、そのとき、突破口を開くのに必要なのは、かえって、専門知識のない素人の突飛なアイデアだという考えに起因しています。

一見、能率的に思える同じ歯車だけの集団は、かえって非効率的なのです。

例えば、アニメ「攻殻機動隊」で、他は、陸自レンジャーなどの軍隊出身者ばかりなのに、警察出身のトグサが採用されたのも、このオッドマン仮説によるものらしいです。

『攻殻機動隊 SAC_2045』劇場記念特番 Section S.A.C.

この様に、同質化した、規格品だけの集団は、大きく失敗することはないのかも知れませんが、飛躍することもない。

急激な変化に対しても、脆い。

自由と自分勝手とは違う、と子供を諌める大人は、自由が、集団にもたらす大変化を恐れ、保身をはかっているにすぎないのです。

自由人は、共同体に対し、一定のリスクを要求します。

そのリスクを取らなければ、勝利や進歩はないわけであって、個人が、自由であることの責任の一部は、きちんと、共同体の方で負うべきなのだと、そう考えられます。

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