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二度とない人生だから

希代の詩人坂村真民が半世紀におよぶ詩作生活のなかで歌い上げた一万余篇の作品から、128篇を厳選して編んだ、詩集『念ずれば花ひら 』の中から、代表作のひとつである「二度とない人生だから」を紹介します。

「随筆集 念ずれば花ひらく」坂村真民(著)

人生をどう生きるか、それを解決しようと詩の道を選び、ただ一筋に生きてきた著者の気持ちが痛いほど感じられる詩ですね。

「二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう

一羽の鳥の声 にも 無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも踏みころさないように こころしてゆこう

どんなにかよろこぶことだろう

二度とない人生だから いっぺんでも多く便りをしよう

返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから まず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう

貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから のぼる日 しずむ日 まるい月 欠けてゆく月

四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し そうゆう詩を一遍でも多く作ってゆこう

私が死んだら あとをついでくれる世の若い人たちのために この大願を書きつづけてゆこう」

詩の全編を通じて、ありとあらゆる命を讃え、小さきもの、弱きもの、虐げられしものを慈しみ、哀れみ、世界の平和を祈り、争いの愚かさを訴えています。

今、いちばん大切な全てがつまっている。

厳しくて、それでいて、優しさいっぱいのすごい詩ですね。

形はなくても、そこに確かにあるものの存在、それこそ美しいものなんだよって、教えてもらったような気がします。

この詩にさとう宗幸さんが曲をつけて歌っていましたね(^^)

そう、存在できること・・・・・・

毎日を何気なく生きていませんか?

だけど、生きていることって、すごい偶然の上に成り立っていると思います。

その事に改めて気付くと、なんとなくなんて生きられなくなる。

毎日、悲しい事件や事故が起こる。

命を落とす人もいるし、怪我する人もいる。

だからこそ、今ここに健康な身体で居られることを本当に感謝しなくちゃって思う。

ここにいる事。

ここにいれる事。

大切に思い、日々を送っていけたら、少しは、廻りにもあたたかく接していけるんじゃないかってね。

生まれたことに感謝し、生きていることを感謝する。

おそらく一番大切で、一番忘れてしまいがちなこと。

今日、今、ここに居られることに感謝!

それと、もうひとつ、人生はそれぞれの人のものだけど、独りでは形成されないってことを。

幼い頃は、守られ愛されことが理想。

そして、生きる上で必要なことを正しく教えられること。

甘やかしてばかりではなくて、ちゃんと、喜怒哀楽がわかる子に育てる義務が親にはある。

それができてこそ、ちゃんとした大人になっていくんだと思う。

色んな出来事を、色んなこころの感情の色で感じられる子供に育ってくれるように、てまひまかけて育てていかなくてはと。

「子どもが育つ魔法の言葉―世界中の親が共感した子育ての知恵100 (新装版)」ノルト,ドロシー・ロー(l著)石井千春(訳)

ドロシー・ロー・ノルト氏の「子ども」や「子は親の鏡」という詩の中にも、

「子ども」ドロシー・ロー・ノルト(米国の教育学者)

「批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる

殴られて大きくなった子どもは、力にたよることをおぼえる

笑いものにされた子どもは、ものを言わずにいることをおぼえる

皮肉にさらされた子どもは、鈍い良心のもちぬしとなる

しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる

寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる

賞賛をうけた子どもは、評価することをおぼえる

フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる

友情を知る子どもは、親切をおぼえる

安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる

可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じとることをおぼえる」

「子は親の鏡」ドロシー・ロー・ノルト(米国の教育学者)

「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、

子どもは、この世の中はいいところだとおもえるようになる」

という言葉があるように、世界中の子どもたちがそうであることを祈りたい。

そして、その子の親たちも、感じとれる人間であればと、切に願います。

『あらしのよるに』には、小学校教科書への掲載と、老若男女に幅広く読まれている絵本「あらしのよるに」の映画版です。

物語は、嵐を避けて、真っ暗闇の山小屋に逃げ込んだヤギのメイと、そこで、同じように嵐から逃げてきた「仲間」に出会うことから始まります。

寒い暗がりの中、相手は見えず、匂いも分からない。

仲良くなって再会を約束する二匹。

次の日にお弁当をもってやってきたメイの前に現れたのは、なんとオオカミだったんですね^^;

ふとしたことから知り合った、オオカミのガブとヤギのメイ。

ガブにしてみればメイはごちそう。

食う―食われるの関係にあるはずの二匹が、種族を超えた友情を育んでゆく。

そして、何故か一番の友達になってしまう。

食べたいけれど我慢したり、悩んだり。

ちょっと気弱で優しいガブと、天真爛漫なメイ。

二匹は会っては散歩をくりかえし、もちろん互いの群れには明かせない「ひみつのともだち」になっていきます。

しかし、そんな二匹を引き裂こうとするそれぞれの種族。

ガブは本能を抱えて悩み、メイもそんなガブに悩みをつのらせる。

なぜ「食べてしまうかもしれない」相手を、大事にできるのか?

なぜ「自分を食べるかもしれない相手」と旅をともにできるのか?

それは「信じて」いるから?

自分を信じるときは、自分の力を。

誰かを信じるときは、その人を信じ続ける自分の心を。

信じたいから「信じよう」と思い、余計なことを考えなければ、信じることは、どこか、祈ることに似ているのかもしれません(^^)

「信じたい」という気持ちの中には、相手のためと自分のための両方があると思います。

相手の立場になれば、自分を信じてくれる人がいてくれるだけでも、心の支えや励みになりますよね(^^)

また、人から信じられたら、裏切りたくない気持ちや裏切れないという気もちにもなるのではないでしょうか?

そうそう、自分のために人を信じたいということもあると思います。

人を信じる自分でありたいとか、人を疑う自分にはなりたくないというような思いでしょうか?

疑ってもいいことは何もないと思います。

不安や怖れが少しでもあるのなら、疑うよりもまずは、相手を信じる努力をしてみる。

確かに人に裏切られることはあります。

でも、裏切られる可能性のあることを受け入れ、相手を信じてつき合おうことの方が大切なんじゃないかと・・・・・・

そして、「信じたい」という思いを大切にできたらと思うのですが・・・・・・

「信じること」と「疑うこと」は、コインの表と裏。

やっぱり、100%人を信じるのには、危険性もあることを経験から知っています^^;

だから、そこには、人によって信じる度合いがあっていいと思うのです。

この人は、ここまでだったら信じてもいい、これ以上は信じられないという度合いみたいな。

○○さんは、信頼度70%って感じですかね(^^)

人が、社会が、運が裏切ることがあっても、自分が裏切るのでなければいい。

幸せに暮らしたかったら、そう思う必要もあるのかなって思います。

まぁ~100%なんてことは、めったにないですからね。

「絶対じゃなきゃ信じられない」というのは、不幸になる考えの元になっちゃいます^^;

いくぶんかの不安や疑念が残っていても、それを繰り返し想って暮らすより、信じて安心して暮らしたほうがいいと思いませんか?

それでも不安や疑念が残っていたら、

「その時は、その時」

「なるようになる」

のような割り切った考え方に方向転換できればいいですよね(^^)

結果はわからないって不安なことですが、信じたほうが今は安心できる。

幸せに暮らしたかったら、まず、疑うことを止めて、信じたほうがいいって思いませんか?

「信じる」ってことは、その言葉を胸に刻んだ、心に誓った自分の心を信じることなんだと思います(^^)

そんな自分の「信じる」こころのかたちを切り取って考えてみるために、以下の方程式でも解いてみて下さいd(^.^*) ねっ?

もし、どうしても共に生きられない人を愛してしまったら、あなたはどうしますか?

σ(--#)うーん

愛-「信じる」=?

友達-「信じる」=?

家族-「信じる」=?

親子-「信じる」=?

夫婦-「信じる」=?

恋人-「信じる」=?

親友-「信じる」=?

国家-「信じる」=?

宗教-「信じる」=?

会社-「信じる」=?

仕事-「信じる」=?

学校-「信じる」=?

病院-「信じる」=?

絆-「信じる」=?

夢-「信じる」=?

勇気-「信じる」=?

命-「信じる」=?

自分-「信じる」=?

“心のカタチ” は、自分自身の弱さや甘え、反抗心といったものを徹底的に分析し、懺悔し、祈り、自分が自分として成り立つための設計図のような曲です。

”RAINBOW DUST”は、喜びも悲しみも、切なさも葛藤も弱さも痛みも、あらゆる感情が渾然一体となって、聴き手の心の中に溶け込んでいく曲です。

太陽の温かな光あれば、月のほのかな光に照らされる瞬間もある。

まるで1日の流れのように変化していくようです。

一枚一枚そっと洋服をはぎとり、心の輪郭を手さぐりで確かめてゆく、丁寧に紡がれた言葉とメロディ。

か細く可憐ながらもしっかりと人の心に根をはる生命力をもった歌声。

自分の感情に謙虚に耳を傾け、心と身体を開き、まっさらなわたしがまっさらなあなたへとつながるために、歌っています(^^)

ただ、信じていたとしても、人間である以上、嫉妬を抱くことから逃れることはできません。

大事なことは、どのように嫉妬と向き合い、コントロールするかです。

嫉妬を抱く自分に嫌悪感を覚えるのではなく、心の負担を軽くしたり、友人や家族の幸せを願ってみたりすることで、自分を肯定してあげてください。

「他人の幸せを願うことが自分の幸せにつながる」ことを覚えておいてください。

ひがみや恨みを募らせるよりも、自分のことを好意的に思っている人に対して幸せを願う気持ちを持つことの方が大事です。

心の楽しみは良薬なりって言うしね(^^)

医者の世界では、病が発生してから本当の意味で快復するまでの期間は、病状が続いていた期間の2倍は必要というのが常識だそうです。

風邪で倒れて2日間寝込んだら、その倍の4日間は休養にあてなければなりません。

この考え方を今の私たちにの心の健康にもそのまま当てはめてみると、本当の意味で立ち直り、快復するまでには、時間がかかるんでしょうね(^^)

だから、焦らずゆっくりと、幸せを感じて直していきたいものですよd(^.^*) ねっ?

また、人は健康だから幸せだというだけではなく、幸せだから健康なのだと思います(^^)

旧約聖書の中にも『心の楽しみは良薬なり』って書いてあったし(^^)

幸福な感情は薬になり、不幸な感情は毒になるのかもしれません。

例えば、「怒る」と身体の中に毒が作られる、という心理学の実験もありますから^^;

不幸な感情(毒)を頻繁に、もしくは長期間受けていたら、病気になりやすいんでしょうね・・・・・・

そう、幸せに、健康に暮らしたければ、幸せを感じて生活すること大事なのではないでしょうか?(^^)

明日も、明日こそより良い日を祈って。

祈りは、必ず通じます。

明日こそ・・・・・・そう、明日こそ・・・・・・

一歩一歩!を大切にしていきたいですね(^^)

最後に、みなさんの健康を祈願して、疫病退散の神呪で、ξ\(-_-)/ξ  (  ̄-)_Д(’’) 疫病退散たいさぁぁぁん!

多宝山福厳寺 卻瘟神呪(ぎゃくおんじんしゅ)

【疫病退散】卻瘟神呪 (ぎゃくおんじんしゅ)【MV】/ 薬師寺寛邦 キッサコ

平安時代より伝わっているといわれるこのお経です。

【卻瘟神呪(ぎゃくおんじんしゅ)】

南無仏陀耶 (なむふどやー) 南無達磨耶(なむだもやー) 南無僧伽耶 (なむすんぎゃーやー) 

南無十方諸仏 (なむじーほーしーぶー) 南無諸菩薩魔訶薩(なむしーぶーさーもこさー) 南無諸聖僧(なむしーしんすん) 

南無呪師(なむしゅうしー) 沙羅佉(さらぎゃー) 沙羅佉(さらぎゃー) 沙羅佉(さらぎゃー) 

莫多南鬼(もとなんきー) 阿佉尼鬼(あぎゃにーきー) 尼佉尸鬼(にぎゃしーきー) 阿佉那鬼(あぎゃなーきー) 

波羅尼鬼(はらにーきー) 阿毘羅鬼(あびらーきー) 波提棃鬼(はーだいりーきー) 

疾去(しっこー) 疾去(しっこー) 莫得久住(まくとくくーじゅう)

【口語訳】「禅門陀羅尼の世界」P315 野口善敬編 禅文化研究所

「禅門陀羅尼の世界 - 安穏への秘鍵野口善敬(編)

仏に帰依します。法に帰依します。僧に帰依します。十方の諸々の仏方に帰依します。

諸々の菩薩方、偉大なる(菩)薩方に帰依します。諸々の聖僧(阿羅漢)に帰依します。

呪師(行者)に帰依します。

追い払いたまえ。追い払いたまえ。追い払いたまえ。

莫多南鬼 阿佉尼鬼 尼佉尸鬼 阿佉那鬼 波羅尼鬼 阿毘羅鬼 波提棃鬼

速やかに去れ、速やかに去れ。いつまでも(ここに)住まるな。

このお経は我々各々が誦む事で、我々の内に確かにある思い、

自分が、自分だけが救われたいという気持ちで無く、

大変な中であっても、親や子や兄弟の、親族の、周りの方の、友人の、恩師の、

今、医療現場で最前線に立たれている方たちの、働かなくてはならない方たちの、

様々な方たちの無事息災を願わずにはいられない。、

自分も、他も、幸せを願う。

疫病の退散を願い健やかに今を生きる我々が過ごせますように、という御先祖さま方が紡いできた願いが伝わってきます。

お釈迦様が、疫病の蔓延している時、このように唱えろと弟子に言ったそうです。

キリストがこのように祈れ、と言って弟子に教えた「主の祈り」(Paternoster)に経緯が似ているかも。

一日一日、出来ることを活かせるように、出来るだけ過ごしていく事。

仏教の教えの肝となるものです。

今、我々が出来る事は各々によって違うと思います。

実際に我々各々、何が出来るのか。

分からないけれども、自分だけではなく、他の方たちの幸せ、無事息災を祈らずにはいられない気持ちが、住みやすい世界を形作っていくのだと、そう想います。

そう、人生は常にチームプレー!

支えてくれる人への感謝、忘れないようにしたいものです、ね♪

【浄化・厄払い】光明真言MUSIC / 薬師寺寛邦 キッサコ × 金剛院

【除災招福】消災呪 (chorus ver.) 【MV】× 摩利支天堂・禅居庵 / 薬師寺寛邦 キッサコ

くれぐれも、ご自愛ください(^^)

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