帰還の日

ここ2.3日は各SNSに何も書けなくなっていたが、本日より再開する。
できることをやらないとね。

今日は2024年1月8日。

また少しよりもうちょっと前のお話。

大学の軽音サークルに入るまで僕はほとんど日本のバンドを知らなかった。
生意気な洋楽かぶれってやつですね、たいして知りもしないのにねー。
花の97年世代はもちろん、後にドはまりし、コピーに勤しむブランキーですら大学の軽音で先輩に教えてもらった。
かろうじて知ってたのはスピッツ、ハイロウズ、コレクターズ、解散で知ったミッシェル、そして同じく解散で知ったイエローモンキーだった。

ミッシェルの解散を知ったのは、2003年の深夜のジャパンカウントダウンという番組で(今もうないですよね?)、鮎貝健さんが「この曲をもってミッシェル・ガン・エレファントは解散になります」とアナウンスしていたのは覚えている。

一方のイエローモンキーは2004年、秋はとっくに出番を終え、冬が本番の最終調整をしているぐらいの時期だったように思う。
難波の新星堂にふらっと立ち寄った際、解散時にリリースされたベストアルバムが大きく展開されており、
そこにはイエローモンキー解散のキャッチが。

その横で泣き崩れるお姉様。
あたふたする店員さん。
マフラーのズレを直すふりをしながら一部始終を傍観する僕。

そんな感じだった。なかなかショッキング。

僕はその時にそんなにイエローモンキーに興味を持ったわけでもなく、むしろその新星堂での泣きのシーンを見て、あまり自分は関わってはいけないのでは。。とまで思っていた。そそくさとその場を後にしたと記憶している。

数か月後。

少し話は逸れるが、僕の通っていた高校は仏教の授業という時間があった。普段はお寺の偉いお坊さんをされている方が、その授業の時間だけ仏教について生徒に教えに来てくださるといった感じだ。

その時担当だった先生が結構イケメンの先生でしてね。
僕の友人が、
「なあ。あの仏教の先生。昨日カウントダウンTVで2位だったヨシイロビンソンって言う人に似てね?」
と僕に聞いてきた。

ヨ・シ・イ・ロ・ビ・ン・ソ・ン….???

そう。この人物こそが、数か月前に新星堂で名前を知ったイエローモンキーというバンドの元ボーカリストで、YOSHII LOVINSONというソロ名義で活動をしていた吉井和哉氏だった。なんとも良くわからない出会い方である。
(そして今改めて、このMVのサムネイルを見ているわけだが、やはりあの時の仏教の先生にめちゃめちゃ似ている。)

当時高校1年生で海外のヘヴィ・メタルばかり聴いていた僕に(それはそれでだいぶヤバい奴だ。。笑)、めっちゃ歪まして6弦をジュクジュクジュクジュクブリッジミュートするだけがヘヴィな表現ではないことを教えてくれた曲CALL ME。

そんな出会いを経て、精肉店でアルバイトを始め、お給料が出ては難波のサウンドパックやミントレコードにてイエローモンキーのカタログを掘る作業が始まった。

現存しないバンドを好きになることは、少しつらい時もあり、自分しか知らない優越感に浸れる時もあり。
同世代の音楽好きの友人と話をしてもイエローモンキーの話はほとんど通じなかった。
それでも、その時すでに昔の音楽を掘ること自体がライフスタイルみたいになっていたので、むしろ
「誰も知らないカッコいいバンドを俺は聴いているぜハハッ」
という自ら勝手に作り上げた迷惑極まりない謎の無敵モードという名の心の壁をたくさん作り上げ、学生時代は突き進んでいたように思える。

そんな壁を一枚ずつはがしていき、
いろいろリセットできたかな?と思っていた
2016年1月8日。
イエローモンキーが復活した。

誰も知らないと思っていた好きなバンドは
みんなが知っているロックバンドだった。

あの日からもう8年ですか。早いものですね。
もしかしたらイエローモンキーに教えられたのは、グラムロックでもエレキギターを弾く時の足の角度でもなく、自分の精神的部分の成長だったのかもしれない。(いえ、普通にグラムロックです。)

初めて聴いたベストアルバム。
楽園という曲が一曲目なのですが、
『スプーン一杯分の幸せを分かち合おう』
という一節を聴いた時、
あまりのオシャレな表現にすべてを持っていかれました。

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