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Texas A&M大学に留学します

はじめに

8月から2年間、テキサスA&M大学大学院コンピューターサイエンス修士課程に留学します。

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なぜ留学に行くのか?

それは一言でいうと、『何者かになるため』です。

この文章では、私がどういう人間で、どういう思考の過程をたどり留学という決断に行きついたのか、それがお伝えできればと思います。


私の生い立ち

私は神戸市にて、3人兄弟の三男として生まれました。年上の兄2人と喧嘩ばかりしていたので、物理的なパワーの重要性については幼いころから叩き込まれていました。理不尽な力がすぐ目の前にあって、いつもそれをどうにかしないといけなかったので、ハードな環境が当たり前、というかむしろ好きという根本思想はここで養われたのだと思います。

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(一番ちっちゃいのが私です。)

一方で学業では、昔からなぜか飛びぬけて勉強ができ、小学生の時たまたま友達に誘われて入った塾では、塾長から東大に入る逸材と言われました。東大生が生まれるような家系ではないので、なぜその素質を持って生まれたのかは未だに分かりません。勉強で兄に勝ちたいと思って頑張っていたおかげかもしれません。

そして中学高校は、劇場版涼宮ハルヒの舞台にもなった『県内有数の進学率を誇る名門校』(ハルヒ作中の引用)に入学し、友達にも恵まれてなんだかんだ楽しく過ごし、東京大学に現役合格しました。

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(ものすごい山の中にある高校。グラウンドでイノシシの親子が元気に走り回っているのを目撃したことがあります。)

東大入学後

東大に入ってからはいわゆる燃え尽き症候群というやつになってしまい、授業に全く出なくなりました。中学高校では無遅刻無欠席という模範生のようだった自分からしたら、かなりの燃え尽きっぷりです。勉強という行為からしばらく離れ、代わりにサークルに5個くらい入ったり、探偵のアルバイトをやったり、相撲の試合に出てみたり、自転車で東京から地元まで帰ってみたりと、全くもって勉強熱心ではないものの、エネルギーだけは常に持て余している大学生となりました。「家にいると外出時間が減る!」(謎理論)とか言って家を引き払って一年以上ホームレスをしたこともありました。バイト先のフランス料理店の店長からは、「小林くんって東大生らしい要素が一つもないけど、本当に東大生なの?」とよく聞かれました。

そして大学三年次。専攻は体を動かせて楽しそうだから、という理由で地球惑星環境学科(簡単に言うと地質学)を選びました。山や海に行って石ころを集めたり、土を掘って化石を探してレポートを書いていました。洞窟に入るために滝つぼに潜ったり、フィジーのサンゴ礁や、ロシアの氷の大地で地質調査もしました。
ちなみにPythonやFortranを使ったプログラミングの実習もありましたが、あまり真面目にやっていませんでした。

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(フィジーの現地調査の様子。アウトドアの極みのような学部でした。)

東大卒業後

卒業して一社目は、グローバルにビジネスをしている工業品メーカーの海外営業部門に入社しました。一年目は年の半分以上を韓国やタイで過ごし、取引先の工場に営業に行っていました。海外手当もついて給料は二倍もらえ、ウハウハでエキサイティングな日々でした。
そしてなんと二年目から、アメリカ・テキサス州ヒューストンへの駐在が決まりました。自分で言うのもアレですが、エリートサラリーマンみたいなことをやっていました。二年半のアメリカ駐在を命じられました。日本に帰ってから家を買う先輩もいたので、駐在ってお金もらえるんだろうなあと思いました。

ところが駐在を目前に控え、ある思いが芽生えて離れませんでした。
「これが本当に自分のやりたいことなのか?」と。
海外生活ができるのはとてもエキサイティングで待遇も良いけど、仕事内容はあまり興味の持てないものでした。
当時めちゃくちゃ悩んで、知り合いに片っ端から相談していました。相談する相手によって結構言うことって違うんだなあと思いました。

VRとの出会い

ある日どうしても結論が出ず、思い詰めて有給を取って会社を休み、何かの縁かアキバのSODVRというビデオ屋さんにフラッと行きました。VR自体ほぼ初めてだったこともあって、そこでのVR体験は本当に衝撃的でした。私は完全にVRの衝撃に目覚め、さらにその直後、大人気VRゲーム『VRカノジョ』をプレイする機会にも恵まれ、「ああ、この道に進もう」と本気で思いました。VRという技術で恋愛の在り方をより豊かにしたいという目標ができました。その数日後には会社に辞意を伝え、『VRカノジョ』を作っている会社に飛び込むことを決意するのでした。

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(気になる人は買ってみてください。)

当時25歳。プログラミングの勉強なんて、大学の授業で軽く触れたくらいでした。

しかしその時にはもう、プログラマーになることに強い意志がありました。プログラミングへの興味や適性を初めて感じたのは、前職で貿易チームにいたとき、仕事の自動化のためにマクロを勉強したときでした。売り上げの計算や通関業者とのメールのやり取りをどんどん自動化していき、自分やチームの仕事を減らすのがとても楽しかったです。強力なプログラミングの力に魅了され、これを使いこなせたらと思いました。自分は営業よりもこっちを極めたいという気持ちが出てきました。
一方で趣味としては数学が好きで、ずっと学生のころから数学の勉強は続けていました。プログラマーは数学が仕事につながりそうなのも魅力でした。プログラマーとしてならば、VR業界の一員として業界の発展に貢献できそうだと思いました。

こうして今の会社にプログラマーとして就職し、3年弱が経ちました。今はとあるVR系プロジェクトのディレクターになりました。VRコンテンツを作ったり、VRの学術書や論文を読んだり、VR系の資格を取ったりと、この3年間は本当にVR漬けと言っていいほどVRのことばかり考えてきました。
自作のVRコンテンツでテレビに出たり、VRコンテンツをSteamでリリースもさせていただきました。ハッカソンや趣味で色んな作品を作って賞も頂きました。たった一人で中国の展示会に行って自社のVRゲームの展示をしたり、大ファンだったアナウンサーや、憧れの宇宙飛行士の方にもVRのアテンドをさせていただきました。本当に怒涛のような三年間でした。

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(ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんと。VRカノジョの大ファンだそう)

また、勉強会やイベント、体験会では多くのVR関係者の方と交流することができました。日進月歩のこの分野で、同じ志や夢を共有できる仲間と出会えたことは本当にかけがえのないものです。
この三年間に出会えた皆さんとの縁は宝物です。本当にありがとうございました。

何者にもなれない焦り

さて、ここまで順風満帆に思えた私のエンジニア人生でしたが、大きな問題がずっと横たわっておりました。それは、

「基礎が絶望的にできていない」

ということでした。例えば開発者仲間と話していて「え、それ(結構難しいこと)ができるのに、これ(一般的には簡単なこと)はできないの……?」というようなことを言われたりすることが出てきました。また、趣味として作っていたVRコンテンツの開発でも、今の自分には越えられそうにない、明確な技術的な壁にぶつかることが増えてきました。

まあ、当たり前と言えば当たり前だと思います。自分は情報系の学部で学ぶような基本的な知識がごっそりと抜けているのです。これまで場当たり的に開発をしながら勉強は続けてきましたが、このままではいずれ成長カーブが鈍り、将来の自分を苦しめることになりそうでした。
このままでは何者にもなれない。そんな焦りを感じ始めました。

留学という選択肢

自分にどんな選択肢があるのだろうかと、とにかくいろんな道を模索しました。その中で、最も自分に適していそうな道がアメリカ留学でした。

アメリカの大学院の修士課程は、学部時代の専攻と違う人が入学するケースも珍しくなく、キャリア強化のために行くという側面が強いこと、比較的学生の年齢が高く(入学時平均年齢は30歳前後)自分くらいの年齢(28歳)の人も一般的に受け入れていること、そしてアメリカの教育機関は非常に充実した環境で学びやすいこと、さらには論文なしでコースワーク中心のタイプの修士課程も多いことを知りました。

こういった情報を調べているうちに、アメリカの大学院の修士課程は、自分が次のステップに行くためにベストな選択肢だと思えました。二年間という期間も、成長への投資としてちょうどいい時間だと感じました。

留学のメリット

以上がアメリカ大学院を志した主な理由ですが、ほかには以下のようなメリットもあると感じています。
・アメリカで2年間学ぶため、英語力がかなり伸びるのが期待できること。(大学院レベルの英語なので初めはついていくのがやっとだと思いますが。)
・STEM分野の留学生は、在学中および卒業後最大3年間、アメリカで有給インターンをすることができ、アメリカで就労経験を積むことができること。もちろんそのまま正社員のオファーをもらえばアメリカで働き続けることもできること。(むしろ、このチャンスをもらえることがアメリカ修士課程の一番の価値だ、と言っている人もいます。)
・卒業後にアメリカで就職するかどうかは未定ですが、仮にアメリカでソフトウェアエンジニアとして働く場合、平均年収は日本よりもかなり高いこと。(ちなみに去年のTexas A&M大学のコンピューターサイエンス修士課程学生の、卒業時のオファー年収の平均は約1200万円です。)

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(Texas A&M大学公式ホームページより)

・アメリカという世界一の多様性のある場所に思い切って飛び込むことで、オンライン講座などでは得られない、五感と密接につながった面白い人生経験が得られること。

以上のようなメリットも合わせると、アメリカ大学院に進学する以外の選択肢はもう頭に浮かびませんでした。今の自分に足りないものを得ることができ、なおかつ人生における28歳からの二年間を一番過ごしたいと思える環境、それはアメリカ大学院しかないと考えました。

いざ出願

こうして、留学を決意したのが去年(2019年)の9月末です。その時たまたま出願シーズンだったこともあり、一刻も早く入学したかった私は急ピッチで出願準備を始めました。10月頭から出願の準備を始め、12月頭の出願締め切りまでの約2か月間の準備期間でした。このあたりは「出願準備編」として、もし需要があれば別記事にて書きたいと思います。(もし出願準備について知りたい!という方がいらっしゃったらDMなりコメントなりでリクエストください。)

そしてアメリカのトップ校を中心に14校に出願したところ、そのうち1校から合格を頂くことができました。
それがTexas A&M大学です。

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(写真は川﨑吾一氏より提供)

出願校はカリフォルニア州やテキサス州などの比較的暖かい地域で、かつアメリカのトップ大学という条件で選びました。正直そこまで「この学校じゃなきゃダメだ!」というようなこだわりはありませんでした。

何か月も一向に来ない合格通知を待ち続け、やっともらえたこの合格は本当に涙が出るほど嬉しかったです。この合格を絶対に無駄にせず、実りあるものにしたいと思います。

(この合格の辛勝っぷりについては別記事にて書いてみたので、気になる人は読んでみてください!)

さいごに

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

私は7月末には東京を離れる予定です。
もう国内にいる時間はあまり残っていませんが、なるべく今月中にお世話になった人たちと会いたいと思っています。

体力面はアメリカに行く前にしっかり鍛えたので、今はかなり元気があふれております。しかしこのご時世ですので、現地でも体調にしっかり気を付けるのはもちろん、トラブルにも巻き込まれないよう細心の注意を払いたいと思います。ある意味サバイバル要素も混じってくると思うので、健康と安全にはとにかく気を抜かずに生活したいと思います。

アメリカに行っても縁が切れるわけではないと思うので、みなさんこれからも変わらずに仲良くしてくださいね!

それではみなさん、ごきげんよう!


(追記)アメリカ留学の資金について

アメリカ留学するには、留学する州によりますが、学費と生活費を合わせて年間200万~800万円ほどかかると考えてよいと思います。自分の場合はテキサス州という比較的物価の安いエリアなので、年間で学費と生活費を合わせて300万円ほどを考えております。
恥ずかしながら、留学時に自分はこれだけの資金を用意する余裕はなかったので、Prodigy Financeというイギリスの留学ローン会社で留学費用を工面しました。大学院留学に特化した留学ローンで、Jasso(日本学生支援機構)などの日本の期間と比べて、より多くの額を借り入れることができます。もしご興味ありましたら、アカウント作成時に下記のリファラルコードを入力していただくと、お互いハッピーな特典があるようなので、ぜひ使ってみてください!
リファラルコード:PFD732C0FC



(追記)Lillianさんへの謝辞


やっぱりどうしても書いておきたくて足しました。

海外留学を思い立つまで、今の自分を打開できそうな道が見つからず、毎日もがき苦しんでいました。そもそもプログラミングを始めたのが遅すぎる時点で、自分にはもう、一流になれるパスは存在しないのではないかと諦めかけていました。正直言って今の成長カーブでは自分に将来はなく、プログラマーを辞める選択肢も考えました。夜な夜な不安で、眠れない日もありました。そんな日がもうずっと一年ほど続いていました。ところがそんなある日(去年の8月)に、Lillianさんという方のnote記事と出会いました。「圧倒的勉強量で」「Googleに」「ソフトウェアエンジニアとして」「他業種から」転職された方がいることを知り、そんな事例があるのかと心底驚きました。自分も今からでもしっかり修行を積めば、Lillianさんほどではないにしても化ける可能性があるのではないか、何者かになれるのではないかという希望を持つことができました。留学という決断をする間接的なきっかけとなったのは間違いありません。今の自分が目指すべきはLillianさんのモデルであると勝手ながら思っています。そこにあるのは、「しっかり勉強してしっかり活躍する」というある意味当然の思想なのですが、同時にそれはこの10年間、私が忘れかけていた懐かしいものでもありました。Lillianさんの記事を読んで、長く自分の人生を覆っていた霧が晴れたような気がしました。この場を借りて感謝を申し上げます。

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