多様な選択肢の中に「 ラジオ 」を。

中学生の頃、ラジオに目覚めた。


きっかけは、「 あ、安部礼司 」というラジオドラマ。そのラジオドラマは、日曜日の夕方5時から6時までの1時間番組で、僕は買い物に行く親の車でそれを聴いていた。買い物という目的があるため、番組の途中でお店に着いたりする。はたまた、その日の番組のヤマで家に帰ってきたりする。だから、最初から最後まで番組を聴くことができなかった。そのため、日曜日の夕方は不完全燃焼で家に帰ることがほとんどだった。


フルで「 あ、安部礼司 」を聴いてみたい!


そう思い立ち、ある時僕は、家にあった90年代の雰囲気を漂わせるラジオを自分の部屋に持ち込み、スイッチを入れた。ラジオを探して、自分の部屋でスイッチを入れるまでの間、ずっとワクワクしていたことを覚えている。



それからというもの、毎週「 あ、安部礼司 」を聴いた。「 あ、安部礼司 」の他にもいろんな番組を聴いていた。というのも、ほとんど毎日ずっとFMを自分の部屋で垂れ流ししていたため、自ずといろんな番組と出会えたのであった。


パーソナリティーとリスナーの距離の近さから感じるラジオの温かさ、音楽との出会い、機会の向こうにいる人々の楽しい話、悲しい話、悩み。いろんなものを耳から感じていた。


ラジオという媒体の魅力、流れている番組の面白さ。誰かと共有したいと思うものばかりだった。


でも、周りでラジオを聴いてる人なんて、だーーーれもいなかった。





高校、大学、そして社会人となった今。決して多くはないが、ラジオの話ができる人が増えた。ラジオの話ができる人は皆、「 ラジオって良いよね 」と言ってくれる。僕もそう思っている。同じ気持ちなんだと思うと、なんだか嬉しくなっている自分がいる。


テレビやYouTube、SNSとはまた違う良さがラジオにはあると思う。でも最近は、ラジオを聴いたことがないという人が増えている。特に僕と同世代、それ以下の世代で、だ。だから、ラジオならではの良さをわかってくれる人が少ない。寂しいね。


ラジオを好きになってくれとは言わないが、「 何か暇だな〜何しよう〜? 」と思った時にテレビやYouTubeという多様な選択肢の中に「 ラジオ 」という選択肢を持ってもらうためにはどうしたら良いのだろう。最近はそんなことを考えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?