「 疑うことの大切さ 」に気付けても、言いたいことも言えなければPOISON

「 個性 」とはどうすれば確立されるか。


ある人は、知識や経験を積むことでオリジナルティが増し、「 個性 」が生まれるという。


これは納得出来る。


誰とも被らない、自分だけの知識と経験から生み出される人格や思考は、その人だけの持つ唯一無二のものだと思う。


一方で、ある人は、知識や経験を積み重ねることで本来あった自分の「 個性 」が失われていってしまうという。


つまり、知らないことがあるが故に「 個性 」は生まれるという。



これも納得できる。


例えば、赤ちゃんや幼児というのは知識も経験も大人に比べて圧倒的に少ない。そのため、大人でもビックリするような考えを言葉にするときがある。


*


僕は最近になって、この矛盾する「 個性 」を知ったのだが、この発見を通して一つの気付きを得た。


今回の投稿のテーマは、その気付きについてだ。


それは、「 疑うことの大切さ 」だ。


日常や常識を疑うことの重要性は、以前の投稿でも書いたけど、以前にも増してその重要性を理解できた気がする。



「 個性 」に関しては言えば、これは明確な一つの答えが無い。いわば複数の答えがある事例だと解釈した。


しかし、世の中には、複数の答えを持ったものしかないわけではない。


数学で求められる答えや今こうして文字を打っている瞬間は厳然たる事実である、いわば答えが一つしかない事例だと思う。


つまりは、世の中には「 答えが一つだけ 」のものと「 答えが複数ある 」ものの2種類がある。


( まぁ、当たり前っちゃ当たり前の話なのだけど )


今まで教えられてきたものや得た知識などは、果たして2種類のうちのどちらなのか。これを改めて考える必要があるのかもしれない。


今まで絶対だと思ってたものが、実は複数回答OKの事象の可能性があるのだ。


それに気づけた時ってのが、混沌とする現状を打破するアイデアに繋がることがあるかもしれない。


「 人生を有意義に生きるためには、勇気と想像力、そして少しのお金 」


喜劇王チャップリンは、こんな感じのことを言ったらしいが、想像力つまりアイデアは生きる上では欠かせない要素なのだ。


また「 疑うことの大切さ 」を考えたときに、ブルーハーツの「 情熱の薔薇 」のこの歌詞


「 見てきたものや聞いた事今まで覚えた全部

デタラメだったら面白い 」


この部分の歌詞が今までよくわからずに聞いていたが、「 疑うことの大切さ 」を表していたのかな?と新しい見方ができるようにもなった。


自分の今ある知識や経験、それが本当にその解釈であっているのか?


ふとした時に考えると、新しい発見がそこにはあるかもしれません。


*

おまけ


さぁて、久々に何が言いたかったのかよく分からない文章の完成だ。


結局は、「 疑うことの大切さ 」を書きたかったのだが、こうして書いてみると話題が真っ直ぐ進んでいる感じがしない。なんか遠回りしてる気分。


本当はもっといろいろ考えた事があったんだけど、なかなかまとまらないものだね。


んー、やっぱり論理的な話題を出そうとして無理無理論理的な話をするとボロがでるなぁぁ


もっと具体的な、日常生活にある風景をもっと染み込ませた内容で言いたいことを書かないと自分が納得できる文が書けないのだろうか、、、


次にこういう難しそうな話をする時は、もっと生活感を出していこう!


難しい話を如何に簡単に、さも身近な話題であるかのように表現できるようになりたいし。


言いたことも言えないこんな世の中じゃPOISONだもん







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?