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明け松の内

あけましておめでとうございます。

明けまして、おめでとう、どういう意味、と昔はよく思っていました。
は?明けただけで?
は?待って待って、過ぎゆく時の流れの、ただの一点の流れの、何がめでたいのよ、めでたいのはお前の頭((( と思っていました、間違えた尖り方をしていますね。若さでは片付かない稚拙さを感じますね。

生きているうちにわかりましたが(助かりました)、

無事に生きていられておめでとう、という意味なんですね。

生きることより死ぬことの方が一大事になってしまっている感じが否めない世界で、対して主観的でもなく生きられてしまう我々ですが、少なくともこの言葉が流通し出した時は、生きることも死ぬことも一大事だったのでしょう。
かつ主観のみ、己が持つ価値観のみ。実感する世界の感触を噛み締めて生きていることが伺えます。
個人的な夢なんですけど(夢かい)、新年の晴々しい休み具合とか、大晦日の晦日感とか、落語の芝浜の、あの感じに全振りしたくなるんですよね(その例えで夢かい)。

"あっぶねぇ、生きてるわぁ、新年迎えたわぁ!"の感じが、なんだか今一番流通してない価値観な気がして新鮮で面白いので、やってこうと思います。
流通していない価値観て、いっちばん魅力的ですからね◎
(ここ10年、さらにここ2年くらいはだいぶ生きることは再び一大事になってきてますが)


あっぶねぇ、明けましておめでとうだわぁ!

(p.s.今では、あけましておめでとう、と言う並びの中に世界の意味やチカラを感じてしまいますね。)

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