自己肯定"感"

「自己肯定感が低いんですよ」

とよく言う人がいて、

そうなんだー、と思って過ごしていたんですが、
突然、

自己肯定"感"?って自己肯定、の感覚?

その感覚が低いってことは?

って突然、ホント突然ムダな引っ掛かりに襲われまして、

ちょっと考えてしまいました。

「自己肯定感が低いのはダメだよダメダメ、おまいさんが自分で自分に枷をかけてンだよ、もっとさ、気楽に生きなよ?一度きりの人生なんだからさ!」
なんていう気はさらさら無く、寧ろ、いやまあ社会に知性と価値観を擦り合わせて生きる事をベーシックに要請されてる世界で増してや人のことを過敏に気になってしまう人とかはもはや気の問題ですまない程度いる時にそんなことは思わないんですけど、というかそれで解決したつもりかよ、くらいの底意地の惡い人間なので、アレなんですけど、

自己肯定感と自己肯定の欠如、の問いは一度した方がいいかも知ンない!
程度の意識です。

自己肯定感が低い、というのは、結果、であって、それ自体が何か始まりではないな、と思ったわけです。

では自己肯定感が低くなる理由ですが、端的に他者からの承認、他己肯定ー深海から現る7つの海を渡り歩き、幾つもの戦艦を沈めたあの大怪獣、タコ皇帝!みたいなことが過ぎってしまう自分が嫌です、自己肯定感低めーが少ないのは言わずもがな、それは万人に平等なスタートだとして、そうじゃ無くても自己肯定感が高い人がいるわけじゃないっすか。
その場合、ですよ。
その場合、自己をとっても肯定している、っていう行為が介在するんじゃない?っていう、ナチュラルな、至極普通な、なんでもない解答が出てきてしまいましてね。

長々と読んだ人、お疲れ様です。

自己肯定感が低い、という時、
何か周辺的な分野で解答を出すのでは無く、
まず初め、
自己に対する肯定を行なっているか否か、
全く行なっていなければ、欠如だし、
少ししか行なっていなければ、不足、
という、単純かつ明快、普通の解答が得られると。

そう考えるとほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、解決策めいた何かが見えてきた気がしないでもないですよね。

確かに誇れることはないけど、今日は溜まってた洗濯物やり遂げた。すごい。
3ランホームランは打てないけど、家のソファからゴミ箱への遠投で外したことない。すごい。

みたいな。

違うか↓

anyway、自己肯定感が低い、というのは結果であって、結果の周りでこねくり回してもあまり答えって出なくね?寧ろ答え(アンサー)の周りで踊(ダンス)っちまってるだけじゃね?

っていうだけの、ほんとそれだけの話。

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