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尺度

ひとは他人から尺度をうけとって生きている。

と、思っている。

発達的な視点でもそうだが、社会的に生きていく中で、
親しい人、疎遠な人、好きな人、嫌いな人、目上、後輩などにかかわらず、
常に誰かの尺度をうけとっている、と思っている。

特に、好きな目上の人、の影響がつよいかな、とちょっと思う。
ものの見方や、場の楽しみ方、いいこと悪いこと、など、
価値観と言い換えても変わりないかもしれないが、
価値観というと、取りこぼしてしまう、心のムフムフした動きみたいなものがある気がする。

NETFLIXで浅草キッドを見てても思ったが、徒弟制度の根幹は、その譲渡と受取の機微だと思う。目線の共有とか、タイミングの示唆というか、ものの選び方というか、考え方の模倣というか、言語の共有というか、まとめて尺度の受取だと考えている。
受け取ってズレる事も含めて、だ。

シン・エヴァの中でも綾波(仮)が、委員長に挨拶のおまじないを教えてもらって、何かが植え付けられていくような描写がある。
あれもそう言う側面があると思う。
教育とも取れる。

私は、職務履歴で言うと、アパレルの仕事を長く続けていたのだが、その中で一時期、勤めていた会社の社長と、2人だけでずーっと業務を行なっていた時期があった。

その時も、例えば、「人の体の流れを考えてデザインすること」や、「イメージを固定していないと手だけでモノを作り出す」「依頼通りにやると評価としては低くなる」ということ、「肉より魚のが旨いと言うことに関しては天井知らずじゃないか?」とかいう概念に至るまで、ありとあらゆるモノの尺度を頂いた。
来客時にかける曲はジャックジョンソン、縦長財布からアメックスを取り出す大人はカッコイイ、などの仕草も尺度として受け取った。。笑
(「パクチーは大量に投入すると美味くなる」は受け取りを未だ拒否している。。。)




20代のころ、先の仕事と並行して、渋谷、下北沢、新宿などのクラブ、ライブハウスで、
毎週のように、所謂DJをしていた時があり、
そのころ一緒に毎週のように会っていた、ホントに仲の良かったパイセンが、先日急に亡くなった。
まだ全然若いのに。clubhouseでこないだまで話してたのに。
そんなパイセンが、昔こんな風にTwitterで書いてくれた。

トヨピーとはわたくしの事です。

自分で打ち込みをして楽器を演奏して曲を作ってはいたものの、世に出すのをなんとなく躊躇いながら、少しずつ出していた時、このトゥイートを見て、だいぶ色々な心が変わった事を覚えている。
肝が据わったというか、覚悟が決まったというか、そういった心持ちになった。
(もちろんいろんな人や物事から、重層的に影響を受けて、音楽を本格的に世に出すようになる決断をするのだが)
そして、それから今に繋がっている。


なんとなくずっと一緒に年を取ると思ってたし、たとえ、本人の持つその真面目さを茶化したりしても、受け入れて遠くに行ったり居なくなったりしない人だと勝手にたかを括っていたけど、
なんだか頂いた尺度だけ残して消えてしまったようだ。

もっと言うと、流行病のせいでちゃんと会えても居なかったから、本当にこの世界を去ったのか未確認だし、このポストを見て、「勝手に死亡説流すなよー!」て連絡が来るんじゃないかな、くらい思っている、のに。


先述したアパレルの社長もある時急に亡くなってしまった。私の手元に、尺度だけを残して。
もっともらっておけばよかった。



もらった尺度は、社会と接する度に、問題にあたる度に、元の持ち主と共に顔を出して、自分を鼓舞してくれる。
より生きやすいように、
より確固たる信念になるように。

自分には師と呼べる人が多い。
ひとより不器用だからか、多分に多くの人に助けてもらえたり、叱られたりと、
尺度をもらうチャンスが多い。
自分と社会の間にある隔たりに、彼/彼女らからもらった尺度が働いていると思うと、
生きることにもなにか違う意気込みが生まれるなと思う今日この頃です。



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亡くなってしまった社長のことは、
Chop the Onionさんと作った、
『Move』という曲の中で歌っていたりします。

歌詞の解説をnoteにも書いてあります。
むしろここで尺度のはなしをしていますね。

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