エルサレムとヨルダン川

カナン、エルサレムの歴史と旧約聖書

古代エジプトは研究者の厚みと碑文などの資料も多く研究が進んでいるが、カナン、ヨルダン川地域は古代エジプトとフェニキア、ギリシャ時代の間にあり資料が少なく歴史的な解明が進んでいない。そのなかでヨルダン川流域の古代史の足がかりになっているのが旧約聖書の記述である。モーゼのエジプト脱出からシナイ山での十戒、ヨルダン川東岸地域荒れ野での滞留、カナンの地への出発、などはすべて旧約聖書の記述にもとづく歴史である。
旧約聖書は紀元前280年頃からエジプトのアレキサンドリア(パピルスでできた膨大な資料の図書館があったことで有名)にて有名な70人訳ギリシャ語聖書として書かれたものが原典で、ヘブライ語の原典は西暦90年ごろの完成らしい。
旧約聖書は39書の正典などからなりその正典はヤハウエ伝承、エロヒム伝承などいろいろな伝承資料から編纂されたものであるとのこと。
イスラエルが繁栄したダビデ王、ソロモン王の時代が紀元前1000年頃とすればギリシャ語での編纂までに既に700年の長い年月が経過しているので歴史事実と記述のその信憑性には疑問符がついて当然ではなかろうか。なお、歴史の父 ヘロドトスは紀元前440年頃活躍しているが、必ずしも正確さを追求したものではない。

エルサレムの歴史

カナンの地は、メソポタミア方面から移住のアブラハムとその子 イサクなどの一神教物語の舞台である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大一神教の聖地であるエルサレムは、紀元前1000頃からダビデ王、ソロモン王の時代に絶頂期を、紀元前930年頃国は南北に分裂、エルサレムはユダ王国の都として以降300年以上の繁栄を誇るも、紀元前597年及び紀元前586年に新バビロニア王国により滅ぼされることとなり、紀元前515年エルサレムへの帰還が許され街が再建された。

確かに宗教的にはこれで満足といえばそうなのだが、ヨルダン川流域の最重要交易都市ハツォルTel Hazorが紀元前1300年頃衰退し,エルサレムに首都機能が移動したのなら、それはヨルダン川の水位が低下したことで、船を利用した交易上の利便が衰え、死海に近いエルサレムの方が船での交易上有利になったためなのか?それともエルサレム首都移転は交易上の理由ではなく、ダビデ王の気まぐれなのか?首都移転の主理由がわからないと当時どれだけの水位低下が起こったのかの糸口が見だせないです。

紀元前16世紀から紀元前8世紀に繁栄したフェニキアの海洋交易都市のことと関連づければ、紀元前8世紀にはヨルダン川流域とフェニキア諸都市の交易は最終局面かもしれません。エルサレムが交易都市として発展していたたとしても紀元前600年まででありましょう。繁栄し利益をもたらす交易都市を新バビロン王国も破壊するはずがありませんから。ただ、紀元前515年にエルサレムに帰還して再度神殿を建造できた財力はどこからとなるとわからなくなります。