メギドとガデシュの戦いの進軍ルート

メギド(Megiddo)の戦い

メギドはハイファ(Haifa)の南東方約25マイルに位置し、現在はもはや都市はなく小さな廃墟の丘が象徴するだけですが、かつては丘陵地域の平原でJezreel Valleyという地勢・交通上の要衝から、ハルマゲドンと言う言葉とともに、歴史上最も有名な戦場ゾーンであります。
メギドにはBC3000年からBC400年までに平和な時代はなかったといわれています。25回建設され、25回破壊されたと称せられているように、エジプト王国とシリアを介してメソポタミア方面を結ぶ交通の要衝であったため、幾多の争奪戦の舞台となったようです。
記録として残っているもので歴史上最も古い戦は紀元前1457年4月にトトメス3世(ThutmoseⅢ)とカナンの王との間で7ヶ月間戦われたというものです。
メギドがカナン地方の交易上又は防衛上の重要拠点であり、ガレリア湖と地中海側の港町と結ぶルートがあったのでしょう。ハイファは現在では非常に重要な港町ですが、当時はそうでもなかったのか、ソロモン王時代の港町にはアッコAccoや、ドーDorはあってもその名前がないようです。


この戦いについての解説は、トトメス3世軍は地中海側のどこかの港に上陸してメギドに進軍したというものですが、私はガレリア湖、又はその下流のヨルダン川のどこかに上陸し、たぶんガリレヤ湖の南方25kmあたりに上陸して西側のHarod Riverを介してメギドに進軍した可能性を考えます。


たくさんの戦車や馬、金銀財宝を同道したことなどどれも信じられない誇大さです。河を利用する以外に食料など相当のボリュームの軍需物資を輸送できないので、アレキサンダー大王やそれ以前の新バビロニア、ペルシャ帝国の紀元前670年から紀元前 500年ごろになれば道路も相当整備されていたことが資料上証明されていますが、紀元前15世紀に道路が整備されていたとは考えられません。


ガデシュ(Qadesh)の戦い

シリア西部から地中海に流れ出る大河オロンテス川(Orontes River)の上流部で現在のホムス市(Homs)の西より地中海側で、エジプトの王ラムセス2世(RamesesⅡ)とヒッタイトの王ムワタリス(Muwatallis)との間で紀元前 1286年ごろ歴史に残る大きな戦いが行われた、エジプト側とヒッタイト側の双方に戦いの記録が確認され、戦いの概要も記載されている。
この戦いで注目すべきは、エジプトの戦車2500両、4軍団 合計20000人がどのようなルートでこの地域まで進軍してきたかです。どの資料を見てもエジプト軍はギザ北方の地中海沿岸のどこかに上陸して北東に陸路で進軍するコースを想定しています。
ヒッタイトの1000両の戦車の運搬については、オロンテス川を利用して戦車を船に乗せて輸送することは可能でしょう。


エジプトの戦車も船で運ばれ紅海からヨルダン川を遡上して死海、ガレリア湖、途中のLake Qaraounそしてレバノン山脈(Rebanon RAnge)とシリア側のAnti Rebanon Rangeの間のベッカー渓谷(Beqqa Valley)を流れるリタニ川をのぼり、同じようには北からのオロンテス川を遡上したヒッタイト軍とHomsの西、オロンテス川上流の湖(lake Homs)の西ガデシュ(Qadesh)の地で両軍は戦ったと考えるのが最も合理的である。


両軍の歩兵も、一定のところまで船で運ばれ、残りは河岸を行軍するのが最も消耗が少ないでしょう。
なお同じオロンテス川の下流で、ホムスの北方47kmにはハマ(Hama)の街があり、BC2000年ごろのハマはヒッタイトの重要都市であったということからも、両軍がオロンテス川、ベッカー河の支配権をめぐってそれぞれの河の上流部のガデッシュの地で激突したと考えます。

レバノン山脈の氷河溶融増加がヨルダン川流域経済を発展させた

レバノン山脈は3000m級のそれほど大きな山脈ではありませんが、ここにも当然氷河の蓄積はあり、それらが紀元前9000年頃から溶けはじめ流域の穀物生産を増やし、イエリコなどに集落を築かせ、紀元前3000年頃には流水量の増加、流域の拡大、穀物生産の増加を通じてヨルダン川河岸にハツォルTel Hazorという巨大流通・交易都市を発展させ、紀元前15世紀には没落傾向を止められない古代エジプト、トトメス3世の征服を誘発したのでしょう。

ビブロス、シドンなど地中海東岸交易港の物語りだけでは、後の紀元前15世紀から紀元前8世紀に地中海を縦横無尽に活躍したフェニキア港湾都市の発展物語は始まりません。東岸の背後にヨルダン川流域、カナンの巨大豊穣耕地ゾーンがあればこそでしょう。

カナン地方はエジプトとメソポタミアを連絡する交易回廊でもあり、土器や青銅器、シナイ半島の銅鉱石などの高価な取引に伴いエジプト人、石材加工技術者、冶金技術者などとの交流、移住も盛んになり、もちろんメギドの戦いのための情報収集要員、勝利後のエジプトからの植民などでエジプトの先進技術の移転が進みました。

レバノン山脈の氷河蓄積の減少がヨルダン川カナン経済の終焉

レべノン山脈の氷河の蓄積が減少し、ヨルダン川の流水量が減少、水位が低下すれば、先ず死海までの船の航行が出来なくなります、紅海から死海までの一貫運航ができなくなれば交易都市には大打撃です。アレキサンダーの紀元前3世紀にはもう船は無理?フェニキアが滅びた紀元前8世紀頃かも。

付録 アカバ港にヨルダン川の痕跡を探す

https://note.mu/bc10000/n/nfe6079de7fbe