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僕たちは偶然に気づく(1)ディスコ

「レクチャー&インタビューズ」の制作過程や販売までにおいて、つまりごく最近まで含めて、ときどき「アッ」と声が出てしまうほどの偶然がいくつかありました。
話としては大したことのない、「それはたまたまでしょ」と受け流されてお終い程度のものですが、ちょっとした余談として、忘れないうちにいくつか書き残しておきます。

情報量の多い本なので、この本に書いてあることが「偶然、別の本にも似たようなことが書いてあった」くらいのケースは結構ありました。

まずは(1)ディスコ から。

坪内祐三「昭和の子供だ君たちも」(新潮社)という世代論を扱った本があり、この中にちょうど「レクチャー~」に出てきた話(P.19)とよく一致する回想が出てきます。

「私が通っていた高校(私立早稲田高校)の同級生を見渡すとロックとフォークのファンが七割強、ブラックミュージックが二割(ディスコが大衆化するのは昭和五十三・一九七八年頃だが私の高校時代は赤坂や六本木にディスコが幾つかあってそこで踊るのを楽しみにしていた「不良」たちがいた)、そして残りの僅かがジャズ好きだった(以下略)」   (P.204)

坪内祐三「昭和の子供だ君たちも」(新潮社)


筆者の坪内氏は吉田仁さんとほぼ同じ年齢、同じ都内の高校生でしたが、「赤坂や六本木」にまで行く層と、そうでない層とに分かれている点が興味深いです。
いずれも書き手、話し手は完全に行かない派、となる点も一致します。

a. そもそもディスコに行かない派
b. 新宿のディスコに行く、そこそこ派
c. 六本木や赤坂にまで行く、不良派

と、こんな感じです。

「昭和の子供だ~」ではこの後、ロックの中でもプログレがどのような位置にあったのか、という話題が続きます。なぜか文庫化されていませんが、同じ著者の「一九七二」と併せてお勧めです。


坪内祐三「昭和の子供だ君たちも」目次より



ちなみにディスコの流行の最盛期は、おおまかな年表では1978年頃とされています。


この記事によると、

諸説ありますが、一般的に日本のディスコの歴史は1968年に東京・赤坂に開店した「ムゲン」、同じ赤坂の地で“ディスコティック”を名乗り1971年に開店した「ビブロス」から始まったとされています。その後、新宿、六本木、渋谷などで様々なスタイルの店がオープンし、ディスコ文化が花開いていきます。

「バブル時代、なぜディスコであんなに盛り上がったのか?」


となっています。

都内の高校生がディスコに行ったり行かなかったり、となっていたのは1974年あたりの話のようです。


*このシリーズはメルマガに「その1~3」として書いたものに加筆修正を加えました。構成も直して(1)~(5)まで続きます。



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