箸休め -近況報告+心境報告-
敬愛する作家、浅田次郎が
と言っています。
本当にその通りだと思います。
僕のように、これでもか!というくらいクドクドと書いていてはダメなのです。
書くこと自体は早いほうだと思っています。夜中に書いて、そのままの勢いでnoteに上げて、翌朝読み返して絶望的な気持ちになる。その繰り返しです。だから気づく度にこっそり修正を入れています。
たったこれだけの文章で、とてつもない世界観を表すのが浅田次郎の魅力なんです。まったく無駄がない。装飾もない。
小説の登場人物のセリフがそのまま「格言」になっちまうんです。
こんな文章をいつか書きたくて、続けているんですけどね。
天理教界隈という狭いコミユニティの中ですら、届く言葉を紡ぐことは本当に難しい。
やはり僕に足りないものは「飢渇」なんでしょう。
前置きはこれくらいにして、最近の心境の変化などについて書いてみます。
某掲示板で、野良犬教会長と揶揄されて以来、すっかりその通り名が気に入ってしまいました。実に的を射たネーミングだと思います。まさに名は体を表す。
あちこち噛みついていた野良犬が、ひょんなことから、いわゆる「バリ天さん」たちとお近づきになったわけですよ。
彼ら彼女らにとって僕は異物だったと思います。noteでとんがった批判記事を書き、神名流しの批判なんかもしていましたからね。彼らから見れば僕は改革派・批判派がぶっ放したパトリオットミサイルですよ。
「とんでもない奴が来たぞ!ヤバいんじゃね?」と、間違い無くザワついたでしょう。
こちらにだって、もちろん場違い感はありましたよ。
周囲は至極まっとうな天理教人。心まで清潔清楚な人品卑しからぬ方々ばかりですから。
こちとら薄汚れて眼をギラつかせた野良犬ですから。
でもね、話してみると結構通じるものがあったのですよ。彼らだって色んな不満や疑問を持っていることが分かった。そんな中で歯を食いしばって信仰している方もいる。
考え方が少々違っても、人は分かり合えるものだと気づきましたよ。
その時思ったのですよ。
「人の信仰を嗤うな」とね。嗤っちゃダメだとね。
だから、ちょっとシフトチェンジしました。
こんなことを書くと
とか言ってお怒りになる諸兄もいらっしゃると思います。
でもそれは違います。僕はそもそもどこにも属していないのですから。
如何なる時も、BeはBeなのです。
僕の本質は何も変わっちゃいません。今でも問題意識は持っていますし、教団組織そのものや、教団教理に対する疑問や誤りは今後も指摘していくつもりです。
ただし、批判や指摘だけでこの先の人生を終えるつもりはありません。
批判とか指摘をnoteで書こうとすると結構なエネルギーが必要です。そして時間も。批判するためにはその根拠を示さなければならず、出典の確認に時間を取られます。それを求めて天理図書館に通うことだってある。
決して「疲れた」と言っているわけではありませんよ。現実問題として時間が足りないのです。
僕がnoteに記事を書けるのも、この先数年くらいのものでしょう。
残された時間を批判や指摘だけに消費するのではなく、今後は「お道の中にいながらにして苦しんでいる人、勇めないでいる人、悩んでいる人を少しでも元気にする」という活動にも時間を使いたいと思ったのです。そしてその活動は既に始まっています。
そんなわけで、今後とも野良犬教会長Beと、Beのライフワークであるnoteをよろしくお願いいたします。
さて、果たして今日は届く言葉を紡げたのでしょうか。
届くことを祈って。
Adiós amigos.
文責/Be
校正/Dr.Charlotte.Ozaki
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