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二代真柱-敬して乗り越えるべき父-『生命の進化』を読め!

いきなりで恐縮だが、秋治・shin氏による『生命(いのち)の進化』がもたらしたムーヴメントの代表的なものが、Twitterのスペースでの「輪読会」だと思う。驚くことに常時200人~400人を超えるリスナーがいるようだ。
「輪読会」はこの本に感銘を受けた熱心な女性信仰者が、たった2人で自発的に始めたものであるが、天理教に関連する書籍がこうした「輪読会」や「勉強会」という動きに繋がった例を終ぞ聞いたことがない。
この本が多くの天理教を信仰する人々に大きな影響を与えたことの証左に他ならないと僕は思っている。

スペース 輪読会

膝を痛めて本の行商に歩けなくなった僕にとって、この「輪読会」はまさに救いの神であった。
本当に嬉しいことである。こうした動きが伝播して行くことを願って止まない。

振り返ると、僕が著者の秋治・shin氏と出会ったのは、このnoteを通じてのことであった。
今から28年前の平成7年1月17日(火)5時46分に発生した阪神淡路大震災によって多くの無辜の命が奪われたが、その中には僕の大切な友もいた。
「何故だ」
そのシンプルな疑問に端を発した懊悩の中で「神」の存在意義にすら疑問を抱くようになってしまった僕は、その気持ちに「折り合い」をつけるべく、『そのとき神は何をしておられたのか』という文章を書いた。
その記事に対して秋治・shin氏からコメントをいただいたのがおよそ1年前のことだった。それ以降のやりとりは『科学と「元の理」 秋治さんへのアンサー』に詳しい。
『生命(いのち)の進化』が出版されていなかったら、僕と秋治・shin氏の付き合いも、これほど密なものになっていなかったかも知れない。
『生命(いのち)の進化』はこれまで教内に無かった変化の兆しを、徐々にではあるが確実にもたらしていると思う。
惜しむらくは、それが一般信者の有志によるクチコミやSNSを通じての拡がりに限定されていることだ。教内で発言力や影響力のある方々がこのムーヴメントに賛同の意を表してくれてもよさそうなものなのだが、今のところ大きな動きはないと聞く。教内でそれなりの地位にある方も読んでいるにもかかわらず、だ。
かくいう僕のところの大教会長も「読んだよ。ええ本やなあ」と言ってくれたが、ならば「かなめ会」で宣伝して貰いたいものだ。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで(あくまでも想像です)「輪読会」を始めた健気な二人の女性の心意気を思う時、なんとも寂しい気持ちになる。
本部に近い方々の勇気ある声を切に期待するばかりである。
一般信者が「元の理」について新たな解釈を書くことは禁忌だという声を聞くが、そんなことはないと僕は信じたい。
いずれにしても、秋治・shin氏が批判を怖れず徒手空拳で挑んだ『生命(いのち)の進化』は高い見識を持つ著者にしか書けなかったものである。だがその挑戦自体は、自由な発想と発言を封じられた良き天理教人が持つ「良心」の具体に思えてならないのだ。
言うまでもなく「元の理」は二代真柱によって裁定された教義の一つである。それも親神の守護の根幹に関わる代表的な教義として。
しかし、秋治・shin氏は教義裁定者として唯一無二の権威であった二代真柱の裁定したものに異論異説を唱えているわけではない。むしろ逆だ。『生命(いのち)の進化』はそれを肯定し補完する書だ。
親神によるこの世と人間を創始した物語が「おとぎ話」、あるいは「創造神話」の類いではない真実の話であるという事実に、目覚ましく進歩した科学がようやくたどり着いたということを著者は知らしめたいだけなのだ。
敢えて言うが、大切なのは、科学が「元の理」を裏付けたということではなく、科学が「元の理」にようやく追いついたということだ。
それは似て非なるものであることを強調しておきたい。

「元の理」を正しく理解することは「生まれてきたこと」「今を生きていること」「死んでいくこと」「命を繋いでいくこと」などの親神の守護の素晴らしさをあらためて発見することに他ならず、それは神の守護の世界をよりリアルに追認し深く理解することに繋がると思う。
ことほど左様に、『生命の進化』は「元の理」の副読本にもなり得る書であると僕は本気で思っている。

東京大学とハーバードで学び、同時に教会長でもあった松本滋氏がいみじくも語ったではないか。

筆者は、中山正善二代真柱を「父親」のように心から尊敬し、その業蹟を高く評価している。しかし、いつまでも故人の枠の中に閉じこもり、引用ばかりしているようでは、教学・思想の発展は望めないであろう。むしろ偉大なる父親というものは、子供が力を蓄えて、自らを批判的に超えてゆくことをこそ、喜ぶのではなかろうか。
また小生にとって、天理教学思想の面で現教典を越える努力をすることは、「経験科学」としての宗真教学の限界に挑戦することとも連動している。
恩師故岸本英夫教授もまた、小生にとり、乗り越えるべき偉大な父親なのである。(昭和60年9月19日記)

松本滋 「経験科学」としての宗教学の功罪
- 天理教学との関連において-

と。
僕は偉大で聡明な二代真柱は、後進が自分を批判的に超えていくことを望んでいるように思えてならないのだ。
そんなことをつらつらと考える時、著者秋治・shinが意図せずとも、『生命(いのち)の進化』は松本氏の遺志を具現化する書になったのではないかと思う。
このnoteを読んでくださっている方は、是非一度手にとっていただきたい。さすれば、必ずやこの書が有する「元の理」との親和性の高さに驚くことだろう。

繰り返しになるが、我々は二代真柱の業績を敬して遠ざけてはならない。
敬すればこそ、それを乗り越えるべきなのだ。
よって件のごとし

追記
『生命(いのち)の進化』は養徳社かネット通販で購入可

養徳社前販売会


明日は26日。分かっているとは思うが、養徳社の前を素通りしてはならない日だ。みなさんよろしく!

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