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夏の箸休め4 国語の時間 『新明解国語辞典』はいい奴だ。

ある夏の午後2時。太陽は中天に耀かがやき、蝉しぐれが絶え間なく鼓膜を叩く。
狂おしい夏に絡め取られながらも、暇を持て余した私が三省堂の『新明解国語辞典』読破すべく読み進めていると(ええ。変態ですよ私は。テキスト中毒ですから)、『新明解』が単語の用例を通して自らの意思を強烈に主張していることに気がついた。
本来『辞典』なるものは、解釈の偏向を禁忌きんいとするはずなのだが、此奴こやつは時にめちゃくちゃ攻めるのだ。『辞典』としては暴走と言っても過言ではない。
今回見つけたのは「捕鯨」というセンシティブな問題に関わる記述だった。
『新明解国語辞典 第四版』によると「出猟・出漁」という単語に対して

■しゅつりょう【出猟・出漁】
魚・クジラなどをとりに出かけること。

『新明解国語辞典 第四版』

という解説を加えている。
「魚・イノシシなどをとりに出かけること」でいいはずだが、わざわざクジラを例に挙げている。
あるいは「獣」という語句の説明では

■けもの【獣】
〔毛物の意〕 (人間を除く)哺乳動物の通称。
「クジラも獣の一類だ」

『新明解国語辞典 第四版』

生物の辞典ならいざ知らず、国語辞典がクジラが獣であることを殊更に主張する必要も無いと思うのだが、『新明解』は「クジラも獣の一類だ」と、なんとなくヒステリックな感じで強調している。

また日本の捕鯨擁護派は、日本人がクジラを食べることを「日本の文化だ」と主張しているが『新明解』の【文化】の用例にも次のような一文がある。

■ぶんか【文化】
「捕鯨は一つの文化であって他国からとやかく言われる筋合のものではない」

『新明解国語辞典 第四版』

この用例にはたまげた。
「他国からとやかく言われる筋合のものではない」
完全にブチ切れてるいるではないか。もはや用例にかこつけて反捕鯨国に喧嘩を売っているとしか思えないが、けれんみのないストレートな表現に私は感動すら覚えた。
『新明解』は捕鯨に反対する外国や動物保護団体からクレームがくることを少しも恐れてなどいないのだ。
しかし第五版を見ると、この用例は消えていた。
おい。もう反省したのかよ?

くじら【鯨】の語釈の変化を見てみると

(第四版)
■くじら【鯨】
(一)動物中最大の海獣。魚の形をし、水平の尾を持ち、潮を吹く。肉は食用に、油は工業用に、ひげは工芸用にする。種類が多い。 

『新明解国語辞典 第四版』

(第五版)
■くじら【鯨】
(一)動物中最大の海獣。魚の形をし、水平の尾を持ち、潮を吹く。古来、肉はたんぱく源に、油・ひげは灯油・工業・工芸用に用いられたが、近時、動物愛護を理由に捕獲の禁止が叫ばれるようになった。種類は多い。 

『新明解国語辞典 第五版』

となっている。やはりどこかから叱られたに違いない。それでも
「動物愛護を理由に捕獲の禁止が叫ばれるようになった。」
とイタチの最後っ屁のようなイヤミを付記しているところが、まるで子供の喧嘩のようで愛おしくなる。

『新明解』もちょっと弱気になったのかと懸念したのだが、次の解説で我らが『新明解』は転んでもただでは起きないことを知った。

■かいたい【解体】 
(ニ)生命を失った生物のからだを切り開いて、各部分を目的別に分けること。
「△ミンク(マッコウ)クジラの解体作業」

『新明解国語辞典 第五版』

 第四版までは「自動車の解体」という用例しか載っていないのに、第五版では「クジラの解体」が追加されている。「マグロの解体」でもいいはずなのに、わざわざ「クジラの解体」である。しかもミンククジラ、マッコウクジラと、具体的な種類が記載されているいことから捕鯨反対派に対するあてつけとしか思えない。結構しつこいのだ『新明解』は。
この堂々たる偏向っぷりと、好戦的な姿勢に喝采をおくりたい。

無難さを求められるものが国語辞典なのかも知れないが『新明解国語辞典』に対して、血の通った辞書として好感を覚えるのは私だけではないだろう。
1999年に『新解さんの謎』 (文春文庫)が出て以来、この辞典について好意を抱く方が増えた。 
『新明解』の「血の通った」記述として最も有名なのが【恋愛】に関する解説であろう。当時しきりに取り上げられたものだ。

■れんあい【恋愛】 
特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るならば合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。

■がったい【合体】
①起源・由来の違うものが新しい理念の下に一体となって何かを運営すること。
「性交」の、この辞書での婉曲えんきょく表現。

秀逸な釈義に笑い死にしそうになる。そして編者の恋愛体験を元に記述されているとしか思えないほど「血の通った」文章である。
辞書に客観性を求めるのは当然かも知れないが、こういう編集者の人生までもが見えてくるような辞書もあっていいと思う。

『新明解国語辞典』よ永遠なれ。

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