音楽ノート2. 「夏の調べ」

ずっと昔、そういえば夏に終わりがあることなんて考えてもいなかった。
8月31日は、何かが終わっていく寂しい日ではなくて、慌ただしく夏休みの宿題をやっている日だった気がする。
あるいは、決まって夏の終わりに開かれる地元の夏祭りに行って、数人の友達と100円玉を数えながら、何を買うことが出来るかってわーわー騒ぐような日。
夏休みの終わりは慌ただしく過ぎていき、学校での集団生活に心を浸す、ひたひたになるまでじっとしている間に、気づいたら夏も終わっている。
夏の終わりを眺めた、そんな記憶なんて無かった。

初めて夏の終わりを意識したのは大学生の頃だったか。
新潟県という土地とは不思議な縁があって。その年は、2回も新潟県に行ったんだった。

一度目は免許合宿。
燕三条駅の目の前にあるビジネスホテルに友人3人で泊まって、夜通し麻雀をするという何だかよく分からない2週間。
最終日の前日、3時間くらい時間が空いてしまったので、教習所の周りをずーっと歩いていたのだけど。
歩きすぎて教習所は遥か向こう。そして新潟県って本当に凄い。見渡す限りの田んぼで、世界は稲に飲み込まれてしまったかのようだった。
他に何も見えない。
その時に初めて実感を伴って思ったんだ、自分は孤独で、そして何よりも自由だって。
ここには周りの目も何も無くて、ただ自分がどう歩きたいか、その意思があるだけ。
田んぼを吹き抜けていく風のかたまり。太陽は入道雲の向こうに隠れて、
あぁ、夏が終わるんだ、って思った。

ホテルに帰って、3人で麻雀をしながら有線を聴いていたのだけれど。パワープレイか何かだったのか、そこで繰り返しかかっていたのがelliottの「夏の調べ」。
夏の終わりを描いた曲を聴きながら、8月は終わっていった。

二度目はサークルの夏合宿。
行ってる間じゅうずっと雨ばかりだったのだけど、最終日にようやく天気が回復したのを覚えている。
全員参加の飲み会、段々と人が少なくなっていった頃、
「ねえ、外に出てみようよ」
って言われた。星がきれいに見えるだろうからって。
止まっていたペンションの灯りが見えなくなるまで20分くらい歩いて、どこかの駐車場に着いた。
こうすればよく見える、どうせ車も来ないしってアスファルトの上に寝転んで見ていた。
あれは星が降る夜でも何でもなかったはず。だけど不純物を全部洗い流した真新しい空にはいくつも流れ星が見えた。
灯りなんて何一つ見えなかった。空の向こうの星以外には。
「手が冷たくなっちゃったから、つなごうよ」
あれはもう9月の中盤。夏なんてとうに終わってしまったような空気の中、流れ星を眺めながら、願い事をしようなんて思いつきもしなかった。

『夕暮れ 西に傾く太陽が
波間に光る虹描いて消えた』

そして夏は終わる。
巡る季節と戻らない時間。
夏の終わりはいつも美しい。
伸ばした手にさえ、何も残さない。



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