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#79_【イベント】小茂田濱神社大祭

ここ数年、元寇が密かなブームとなっておりますが(逆に、なんでバズらんの?という方もいらっしゃるかもしれませんが)、対馬にある元寇ゆかりの地、小茂田濱神社では、毎年11月に大祭が行われます。

私が移住した頃は、何曜日であろうが新暦の11月12日と決まっていましたが、今のご時世ではお勤めの方が増えたからか、平日だと担い手が集まらないということで、現在は11月の第2日曜日に行われます。今年の開催日は、偶然ですが11月12日(日)になります。

ネットコミックの「アンゴルモア元寇合戦記」や、ゲーム「Ghost of Tsushima」により興味関心を持ちはじめたという方もいらっしゃるかと思いますので、どんなお祭りか紹介しましょう。

時は文永11(1274)年。
25,000とも30,000万ともいわれる元軍が、900艘もの船で佐須浦に襲来したと伝えられています。
もちろん、最終目的地が対馬ではありませんが、最前線に位置する対馬に万全の軍勢で現れた元軍に対し、島主宗助国(資国)以下80騎あまりで防戦するもむなしく、全員が討ち死にしました。
小茂田濱神社には、助国以下、戦没者の霊が祀られています。

戦いがあった当時、現在神社が建つあたりは海だったそうですが、南北朝時代の頃、宗経茂が現在地に遷し、宗家の祭祀としたといわれています。

【右下の地図を見ると金田小学校のあたりまで海岸線が食い込んでいたことが分かります。】
【元寇の説明板です。】
【拝殿の両側に灯籠とともに何かが鎮座しています。】
【明治三十七八年役(日露戦争)戦利品とのこと。】

大祭では、武士の格好をした方々が参道を練り歩く「武者行列」や、宮司が海に向かって矢を放つ所作をする「鳴弦の儀」、武士の大将が「エイエイ」と采配を振るい参列者がそれに応じる儀礼などが行われます。

【武者行列です。】
【鳴弦の儀です。】
【浜での神事はこのような感じに行われています。】

そして、このお祭りで忘れてはならないのがこれ!

【おはぎではありません。豆餅です。】

元軍に立ち向かおうとした兵士に持たせたといわれる豆餅です。
風雲急を告げる状況だったので、ついた餅の外側に塩茹でした小豆を付けて送り出したというエピソードがあるとか。
今年は予約なしで買えるのか分かりませんが、見つけたら真っ先に入手しておかないと、すぐになくなります。

最近宗助国公の騎馬像が建立されましたが、来年が文永の役から750年という節目の年になりますので、それに合わせて寄進されたものになります。

【宗助国公の騎馬像です。】

あまりの大型発注だったのか、長崎新聞はおろか、銅像が制作された富山県高岡の地元紙にまで、この話題が掲載されました。

訪れたことのない方は、来年への予習がてら参拝してみるのも良いかもしれませんo(^-^)。

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