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秘剣〈宇宙ノ颶〉 #18

  目次

 彼女は寸暇もなく地面を蹴り、突進してきた。
 ただ抜刀に構え、駆け寄ってくる。
 策も何も感じ取れない動きだった。
 ――剣術とは、本来そういうものだ。
 薩摩示現流の剣士たちは、大声で吶喊しながら走り込み、剣を振り下ろすというただそれだけの術理を極めに極め、その信じがたいパワーとスピードから幕末の世を震え上がらせたという。
 どんな技術体系にも言えることだが、その原理は単純な方がいい。複雑な技は繰り出すまでの手順が多く、動作の継ぎ目で力が逃げていってしまう。
 身をよじり、奇怪な軌道で敵を襲う〝秘剣〟は、そのほとんどがアイディア倒れの代物なのだ。
 ――磁界のような、圧迫感。
 彼女の姿が、すぐそばまで近づいてきていた。
 速い!
 予想以上の速さに、心が鬣を逆立てる。佩刀をやや持ち上げ、鞘の中で刃が天を向くようにする。柄を握る方の肘を突き出す型で、機を待つ。
「来い!」
 ぼくと彼女は同時に抜刀。
 二条の光が交錯する。
 否――
 ぼくの方が速い!
 剣を振るうという動作の構造上、絶対に発生する隙。対手の攻撃の直前もしくは最中に在る死線。
 〈先〉の機。
 捉えた!
 振り抜く。
 袈裟に迅る、剣閃。
 その一振りに、遠く眩ゆい霧散リツカとの思い出を込めて。
 そして、思う。
 ――なぜ。
 手ごたえが、ないのだろう。
 斜の軌跡の向こうで、彼女がぎちり、と笑んだ。
 ぼくの刃が描く半円の、外側にいた。
 ――熟達した示現流剣士は、そのあまりの気迫ゆえ、敵手に間合いを実際より近く錯覚させることができたという。
 そして、慌てて振り下された見当はずれの一撃から悠々と〈後の先〉を取るのだ。
 今の状況は、まさにそれ。
 獲物と思って食らい付けば、それは釣り師の垂らす針だった。
 刀を振り抜き、がら空きとなった胴に、彼女の抜刀瞬撃が閃く。
 あぁ――
 このまま、刃を受けよう。角度から見ても、即死はするまい。自らの肉と臓物をもって彼女の刃を止め、相討ちに持ち込む。
 彼女を、一人では逝かせない。
 ――そう考えていた。
 のに。
 硬質の音が、右手から。
 ぼくの右腕が動き、保持したままの鞘で斬撃を受けたのだ。
 剣圧に押されるまま旋回し、振り返りざまに薙ぎ払う。
 彼女は抜かりなく、間合いの外に逃れていた。
 元より、こんな苦し紛れの一撃が通用するとは思っていない。
 ……さっき、ぼくは何を考えていたのか。
 相討ちに持ち込む?
 彼女と一緒に死ぬ?
 ふざけるな。
 〈宇宙ノ颶〉の使い手に、そんな甘い手が通じるものか。
 大昔のクソッタレ・ファッキン・死にぞこない・剣豪によって霧散リツカが食い物にされているという最悪状況から目を逸らし、彼女に討たれるという甘美な選択肢に自分で説得力を与えるための方便に過ぎない。
 逃げるな。甘えるな。
 戦況把握。
 ぼくは鞘で受け止めた際、右前腕に骨まで届く傷を負ったようだ。
 致命傷には程遠いが、無視できる軽傷でもない。
 剣速に不利を抱え込むことだろう。
 ――それがどうした。
 霧散リツカという、神に愛されたかのような天才を前に、そんな程度の不利が一体いかほどの意味を持つというのか。
 以前からおよびもつかなかったというのに、その上彼女は〈宇宙ノ颶〉を受け継いでいる。
 彼我の優劣など最初からわかりきっていた。
 ぼくでは何をどうあがいても彼女を超えられない。
 だが、それでは終われない。
「どうした、来いよ」
 ぼくは、硬直する頬を無理に動かし、精一杯の嘲笑を形作る。
「それとも、一太刀で仕留められなかったことがそんなにショックか?」
 ぎち。
「驕るなよ、小童ァ」
 彼女の愛らしかった頬が、醜怪に軋む。
「遊んでもらっていることがわからんのか? 不遜を通り越して哀れだな」
 抜き身を持ち上げて、肩に担ぐように構える。
「あがけ。甲斐なく死する者よ」
 やはり、無理だな。
 もはや自分に対する情けなさすら通り越して、静かにそれを認めた。
 剣術では、絶対に勝てない。
 ぼくは抜刀の構えのまま、左手を懐に伸ばした。
「言いたいことはそれだけか? 終わりか? 御託はいいんだ! さっさと来い!」
 見え透いた挑発。
 だが、問題ない。
 彼女は必ず乗ってくる。
 ほら、駆け出した。今度は横へ。
 さぁ――来い。
 背後へ回り込もうとする彼女の姿を、あえて目で追わず、コートの懐に手を突っ込みながら待った。
 じりじりと焦げるような一瞬の後、ぼくはコートの裾をからげながら旋回。円舞のフィニッシュを決めるように、背後へ振り向きながら腕を突き出す。
 その腕の先には、黒い鉄の塊があった。

【続く】

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