「知ってる」は全部「知らない」
sajiさんの以下note、読んでて面白い。考えた事を文章にしてみたくなった。
文章を読み進めていくと「必要のないプライドの見分け方」をテーマに、
sajiさんは、「それ知ってる」という言葉を挙げて考えていた。
自分も普段の会話で「それ知ってる」って相手につい出ちゃう言葉だなぁと共感したところもある。。
「それ知ってる」「それ聞いたことある」「それやったことある」
相手がこれから話そうとするときに、こういう言葉で返してしまうと相手によっては話の腰を折っちゃう。
それで、相手が思ってた通りに話せなくて、しゅんとしてしまうことだって無きにしも非ずだと。
だって、「知ってる」って言われると私の話をしても退屈かなって、相手との間に話す前になかった壁のようなものができてしまうような感じがある。
これはまずい。sajiさんはどうしたんだろう?
「知ってる」と思っても、本当に自分の知識と全部同じかなんて最後まで聞かないと分からない。
この気付き、とても心に突き刺さるものだった。
sajiさんのおかげで、自分が思う「知ってる」は完璧に相手と同じなのか?
今なら冷静に問いを立てられる。相手の感じ方や切り取り方によって絶対同じとは限らないよなぁと。
どこかきっと違うからこそ、今なら相手の「知ってる」がすごく気になる。
大事なのは知らなかったことを知れるかもしれないこと
それらは「それ知ってる」で終わらせてしまった時には手に入らないもの
え!「それ知ってる」って言っちゃうと、自分も損してる!
チャンスを自分で減らしてしまう恐ろしい言葉だったんだと。。
100%知らなかったことを知れるとは言えないけれど、数%でもチャンスがあるなら、自分はその可能性に信じたい。これから信じる方が楽しい。
同じ映画を見てもいろんな感じ方があるように、相手の「知ってる」には自分の頭では想像もつかないものが秘めているだって思う。
自分の「知ってる」は全部「知らない」
普段の会話にこの言葉を心に携えて、自分が「知らない」部分を相手から受け取っていこう。
sajiさん、文章を書いてくださってありがとうございます。
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