知らない人が1人でもいるはず
昨日の書いた、自分の「知ってる」は全部「知らない」
これは相手からしても、自分の「知ってる」と思うことが「知らない」
ということも言えるんじゃないかって。
有料の記事なのだけど、この記事読むと、なおのこと自分が「知ってる」と思うことが相手は「知らない」こともある気が。
noteを書くときに特に、考えてしまいません?「みんな知ってるかも」
たしかに知ってることもありそうけれど、そういう時でもどう考えて書くか、ことばと広告さんが切り込む言葉に勇気をもらえた。
あまり気にせず書けばいいと思うんです。だって、あなたがそう感じたんだから。遅いとか早いとかないですよ。
この言葉から考えたのは、たとえ内容のことを知ってるとしても、自分がそのとき感じたことが1番大事した方が良いんだなって。
noteはそもそも目新しいことを書く速さを競う人とのレースじゃないんもんね。
そのマインドを持って書いてみる打席に立つ。すると前よりいくらか気持ちが楽になりません?
そして冒頭の自分が思うに、自分が「知ってる」と思うことが、相手が「知らない」こともあるというマインドを持つことも大切なのかなと。
そりゃ知ってる人もいることは腹くくって、知らない人が1人でもいるはずだというスタンスで書いてみるに徹するともっと健やかに書けるんじゃないかな。
この文章がnoteを書くときに思ってしまう「みんな知ってる」によって書きづらくなる人1人でも見てて、少しでも力になれたら嬉しいなぁ。
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