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【フレディ命日に捧ぐ】名曲『ボヘミアン・ラプソディ』を”歌声”から考察する~後編~

前編では、この歌を「フレディが本当の自分、すなわち『ファルーク・バルサラ』を殺し、スター『フレディ・マーキュリー』を演じて生きていくことを宣言する歌」と捉えた。

この解釈をすることで、次のオペラ・パートの説明が可能になる。

3. オペラ(3’03”)

このセクションは3つのパートからなる合唱である。前述したように160トラックものオーバーダビングが行われており、フレディのパート以外は声の主を判別できなくなっている。さらにMVでは、暗闇の中にメンバーの顔だけが浮かび上がる演出がなされている。これらのことから、このセクションは現実世界ではなく、主人公の心の中を描いているように感じられる。

この歌詞にはスカラムーシュ、ガリレオ、フィガロ、ベルゼブブという様々な名前が並ぶ。Velescu(2019)によると、フレディはこれらがクイーンのメンバーを表したものであると彼の伝記で明かしており、スカラムーシュはフレディ、ガリレオはブライアン、フィガロはジョン、ベルゼブブはロジャーを表すと考えられている。

ブライアンを天文学者ガリレオになぞらえたのは、ブライアンがインペリアル・カレッジで天文学を学んでいたためであろう。フィガロはオペラ『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』『罪の母』の登場人物か、ディズニーの『ピノキオ』に登場する猫か、定かでない。いずれにしても、ただ名前を呼んでいるだけのガリレオとフィガロの意味が判明した。

では、なぜフレディはスカラムーシュなのか。これを説明するには、この歌を「フレディが『ファルーク・バルサラ』を殺し『フレディ・マーキュリー』として生きると宣言する歌」と捉える必要がある。

このセクションは、主人公の「I see a little silhouette of a man」という歌詞で始まる。主人公は鏡に映った自分を見ているのであろう。そして誰かが、主人公に「Scaramouch, Scaramouch Will you do the Fandango」と求める。スカラムーシュは、イタリアの喜劇に登場する道化師であり、いつも誰かのせいで困難な状況に陥っては、かろうじて抜け出す。ファンダンゴは、スペイン発祥の陽気なダンスである。

つまりフレディは主人公を通して、自らを「ダンスを踊らされる道化師」と表現しているのである。

フレディは1987年、プラターズの『ザ・グレート・プリテンダー』をカバーしている。MVには『RADIO GA GA』『愛という名の欲望』『ボヘミアン・ラプソディ』『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』などのMVのパロディが詰め込まれており、自身のキャリアを振り返っているように見える。そしてフレディは「僕は大した役者さ」「僕の孤独には誰も気づかない」と歌うのである。

ここから、彼が自分自身を「孤独を隠してスターを演じる役者」と捉えていたことがわかる。前述した、鏡に「小さく」映った主人公のシルエットは、フレディの本来の姿「ファルーク・バルサラ」なのであろう。

そして、主人公が鏡を見ているのは、スカラムーシュの衣装に着替えるためと思われる。これは、孤独な男「ファルーク・バルサラ」が、スター「フレディ・マーキュリー」に変身しようとしていることを表現しているのではなかろうか。

ブライアンが「彼が名前を変えたのには別の人格を装うような意味もあったんだと思う。彼がなりたかった人間になるための後押しになったんだと思う。バルサラという人間はまだ存在していたけど、人前では、彼はこの神のような別の人格でやっていくつもりだったんだ。」と語っている(『クイーンとして生き抜いた、フレディ・マーキュリーという悲劇的なラプソディ』より)ことからも、フレディにとって「フレディ・マーキュリー」は「演じられた自分」であったと思われる。

このセクションの山場は「Bismillah」「We will not let you go」「Let him go」という掛け合いである。本当の自分を殺した主人公は死ぬ運命にある。その運命から逃げ出したい主人公の声、それを認めない声、認める声がこだまする。この部分は、フレディが自分の決断に対する批判と擁護との間で揺れ動いていたことを想像させる。

しかし、魔界の君主であるベルゼブブが、悪魔を用意していた。これは「for me」つまり主人公を殺すためである。「for me」という歌詞は三度繰り返されており、徐々に声量が大きくなって、三度目は裏声を使って悲鳴を上げるように歌われている。ここから、ついに主人公が殺されたことが想像される。

4. ロック(4’08”)

ブライアンのギターとともに大きく曲調が変わり、フレディの歌声もロックらしい高い声に変わる。そのため、このセクションは死んだ主人公がスター「フレディ・マーキュリー」に乗り移って歌っているように感じられる。

この「So, you think you can stone me and spit in my eye」「So, you think you can love me and leave me to die」という歌詞は、スターであるがゆえ批判や中傷にさらされ、愛していると言ってくれるファンでさえ、自分が生きていようと死んでいようと関係ないという、フレディの苦悩や孤独を表しているようである。

そして「Just gotta get out, just gotta get right outta here」という歌詞でこのセクションが終わる。結末を示していないことから、フレディは「逃げ出す」ことができなかったと推測される。彼はスターという檻の中に自分を閉じ込めるしかなかったのである。

5. アウトロ(4’55”)

このセクションは、フレディが「Nothing really matters」と繰り返し、消え入りそうな声で「Any way the wind blows」と歌うと、銅鑼の音とともに曲が終わる。「Nothing really matters」が繰り返されることで「自分には全部どうだっていい」という絶望に聴こえる。

このセクションは弱々しい、泣きそうな声で、語るように歌われていて、そのことも主人公の悲しみを伝えている。最後の消え入りそうな声は、主人公の死を表しているようである。

結論

本稿は『ボヘミアン・ラプソディ』を以下のように解釈する。

歌詞の主人公はフレディであり、彼は移民としての自分とスターとしての自分という、二つの矛盾した自己の存在に悩んだ。両親を悲しませることを知りながら、彼は本当の自分「ファルーク・バルサラ」を殺した。しかし、本当の自分を殺すことは自殺に等しく、彼は悪魔によって殺される。そして、彼は「フレディ・マーキュリー」に乗り移り、後戻りできない絶望の中で、道化師を演じて生き続ける

この作品は「スターを演じて生きる」というフレディの決断を描いた作品であるとともに、彼の作詞家・作曲家としての能力、そして歌手としての能力を存分に知らしめた傑作である。歌声の抑揚や声色に注意して聴くと、主人公の感情がより鮮やかに伝わるよう、緻密に計算されていたことがわかる。

この曲を機にフレディは自他共に認めるスターとなり、他界からちょうど30年が経過した今日も、世界中で多くのファンに愛されている。

参考文献
Braae, N. (2015). Sonic Patterns and Compositional Strategies in Queen's ‘Bohemian Rhapsody’. Twentieth-Century Music, 12(2), 173-196. sical influences in Freddie Mercury's music. Învăţământ, Cercetare, Creaţie, (1), 307-315.
Risqullah, Z. (2019). Depression in Freddie Mercury’s Song Lyrics: “Bohemian Rhapsody”, “Somebody to Love” and “Love of My Life”. Dinamika: Jurnal Sastra dan Budaya, 6(2).
Velescu, I. (2019). Classical influences in Freddie Mercury's music. Învăţământ, Cercetare, Creaţie, (1), 307-315.

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