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「自由からの逃走」「全体主義の起源」「隷属への道」…過去に警告されたまんまをデジタル版にした全体主義が席巻中なのだ。

現在の社会は自然環境の破壊、急激な人口増加に対する懸念などから、デジタル全体主義による〝ある事〟が行われています。

その〝ある事〟に付いては、デジタル全体主義と言う事態の公式スポークスマンに抜擢されたと言って良い、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ教授が、意外な程に明確に語っています。

自分をスポークスマンに選んだ人々の方針を語りつつ、その行為を実行者ではなく「歴史」と言う非人格による行為だとするロジックは、視聴していて一瞬で気付くイラっとする所です。

支配側からの広報と言う事で、日本でも大勢の人々が著書に飛び付き、少なくともネット上では絶賛されていましたが、本音だったのでしょうか?

ユヴァル教授の主張する全体主義に付いて、恐れず解説している動画の一つに下があります。
日本国内ではユヴァル教授は人気が高いので、この様な論調は少ないですが、韓国の牧師が、日本では余り知られていなかな?と言う所まで話してくれています。吹き替え版です。

支配層の広報役に対して、非常に勇気ある解説ですね。
牧師の解説とは別に、私はユヴァル教授の説く思想にかなりの既視感を感じます。それは歴史学者ユヴァル教授の説く思想は、哲学者ニーチェの説く思想に似ているのでは?と言う既視感です。

例えばユヴァル教授の説くホモ・デウスは、トランスヒューマニズムと同じ物ですが、それはニーチェの説く超人思想のデジタル版に思えます。
またユヴァル教授は別の資料で「生成されたストーリーが事実を駆逐する」と説いています。これもニーチェの「神無き世界で、強者が自己の生存に都合の良い様に世界を再解釈する」と言う説に似ていると感じます。
つまり、デジタル・ニーチェに見えるんですよね。ユヴァル教授の思想は。

ニーチェは「神は死んだ!」として、ニヒリズム(日本語に訳せば虚無主義)などを説いた哲学者ですね。ニーチェはキリスト教とその神を憎み、生涯それは変わりませんでした。

無神論はフランス革命時に西欧史の表舞台に躍り出て以降、現代まで人類史に多大な影響を与え続けています。
フランス革命は、ロペスピエールの大粛正などの混乱を経て、ナポレオンが皇帝の座に付く事で終結しました。
ナポレオンは戴冠式に呼び寄せたローマ教皇に何もさせず、自らの手で古代ローマ式に月桂冠で戴冠したと言います。
つまりこの顛末は、無神論の行き着く先は、異教ローマの復活と言う、キリスト教側から見たパターンの一つとも言えます。

フランス革命は共産主義の源になりました。フランスでは王制とカトリック教会が不可分に組み合わさっており、民衆から見れば王制からの解放は教会からの解放と同じでした。その無神論は直ちに人間至上主義を偶像とする物となりました。
人間至上主義の共産主義を擬似宗教の様に奉じるソ連では、レーニン像が各地に置かれ、スターリンは赤い皇帝と呼ばれました。さながら異教ローマ時代ではありませんか?

ナチズムもキリスト教を嫌い、異教ローマ時代の太陽を表す鉤十字と、同じく異教ローマ時代のローマ軍式敬礼を採用しました(聖書でイエスの受難の前に、ローマ兵達がイエスを侮辱する目的でおどけて行なった、あの敬礼です)。

ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」で、ナチズムもコミュニズムも、どちらもその源流がフランス革命〜ナポレオンにある全体主義だとしました。

市民社会が自ら全体主義に至る原因に付いては、エーリヒ・フロム著「自由からの逃走」や、フリードリヒ・ハイエク著「隷属への道」も知られていますね。

先人達の警告や事例を見ると、現代のデジタル全体主義は、AI テクノロジーなどデジタルな力が強大だとは言え、人間側が陥っているパターンやロジックは意外にも陳腐かも知れないとも思います。
今までの全体主義をデジタルで復活させた「◯◯◯デジタル版」みたいな手口の寄せ集めがデジタル全体主義なのかなと思います。
それは、牧師が述べている通り、終末に復活する神の敵対勢力の頭としての獣だと言うのは、今日の私達は皆充分に身をもって感じているでしょう。

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