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ユヴァル・ノア・ハラリの危険なポピュリズム科学

以下翻訳

このベストセラー作家は、優れたストーリーテラーであり、人気講演家でもある。 しかし、彼はセンセーショナリズムのために科学を犠牲にし、彼の作品は間違いだらけである。

ダルシャナ・ナラヤナン


 大成功を収めた『サピエンス:人類小史』の著者、ユヴァル・ノア・ハラリのビデオを見れば、彼が驚くべき質問をされているのがわかるだろう。

 「今から100年後、私たちはまだ幸せであることを気にしていると思いますか?」
 - カナダ人ジャーナリスト、スティーブ・パイキン、"The Agenda with Steve Paikin "にて。

「私がしていることは、まだ意味があるのだろうか?」「将来にどう備えればいいのだろうか?」
 - アントワープ大学で語学を学ぶ学生

 「『サピエンス』の最後で、あなたは "私たちは何を望むのか "という問いを立てるべきだと言った。 では、私たちは何を望むべきだと思いますか? 」
 - TEDダイアログ「ナショナリズム対グローバリズム」の聴衆: 新たな政治的分裂

「あなたはヴィパッサナー瞑想を実践している仏教徒ですが、それが力に近づく助けになるのか? そこから力に近づくのですか?」
 - 2018 India Today Conclaveのモデレーター

 ハラリの物腰は柔らかく、シャイですらある。 時折、気さくに「自分には占いの力はない」と言いながら、「本当にあるのだろうか」と思わせるような威厳をもって、さっそうと質問に答えていく。
 今から100年後、人間は姿を消し、サイボーグやA.I.のようなまったく異なる存在が地球を支配している可能性が高いとハラリはパイキンに語り、"そのような存在がどのような感情や精神生活を送るのか "を予測するのは難しいと断言した。

 2040年の就職市場は非常に不安定になるため、彼は大学生に多様化を勧めた。 私たちは「真実を知りたい」と思うべきです、と彼はTEDカンファレンスで宣言した。
「現実をより明確に見るためにヴィパッサナー瞑想を実践しています」とハラリはインディア・トゥデイ・コンカレで語った。
 しばらくして、彼はこう続けた: 「自分の呼吸の現実を10秒も観察できないのに、地政学的システムの現実を観察できるわけがない。
 
 ハラリの群れの中には世界有数の権力者がおり、彼らは古代の王が神託を仰ぐように彼のもとを訪れる。
 マーク・ザッカーバーグはハラリに、人類はテクノロジーによって統一されつつあるのか、それとも分断されつつあるのかと質問した。
 国際通貨基金(IMF)の専務理事は、「将来、医師はユニバーサル・ベーシック・インカムに頼ることになるのか」と質問した。
 ヨーロッパ最大の出版社のひとつであるアクセル・シュプリンガーのCEOは、デジタル世界で成功するために出版社は何をすべきか、とハラリに尋ねた。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)のインタビュアーは、COVIDが国際科学協力にどのような影響を与えるか、と彼に尋ねた。
 ハラリの中途半端な勅令を支持して、それぞれが自らの権威を破壊したのだ。 そして彼らは、それぞれの分野の専門家のためではなく、多くの点で詐欺師である歴史家のため、とりわけ科学について答えた。


 時代は厳しく、私たちは皆、生と死に関する文字通りの疑問に対する答えを求めている。 パンデミックや気候変動の波が押し寄せる中、人類は生き残ることができるのだろうか? 私たちの遺伝子には、私たちのすべてを理解する鍵が隠されているのだろうか? テクノロジーは我々を救うのか、それとも滅ぼすのか?
 
 複数の学問分野を大胆に飛び越え、シンプルで読みやすく、自信に満ちた答えを提供し、ページをめくる手が止まらなくなるようなストーリーですべてを結びつける、一種の預言者のような賢明なガイドを求める気持ちは理解できる。 しかし、それは現実的なのだろうか?
 
 多くの人々にとって、この問いが無関係に見えることが私には怖い。 ハラリの超大作『サピエンス』は、類人猿としての私たちの謙虚な始まりから、私たちを追い落とし支配するアルゴリズムを私たちが生み出す未来まで、人類という種の壮大なサガである。
  『サピエンス』は2014年に英語で出版され、2019年までに50以上の言語に翻訳され、1300万部以上を売り上げた。 2016年にCNNでこの本を推薦したバラク・オバマ大統領は、サピエンスはギザのピラミッドのように、私たちの驚異的な文明について「展望の感覚」を与えてくれたと語った。
 ハラリはその後、2冊のベストセラー『Homo Deus: 明日への短い歴史』(2017年)、『21世紀への21の教訓』(2018年)。 彼の著書は世界中で2300万部以上売れている。 彼は世界で最も引っ張りだこの知識人であり、あちこちの舞台を飾り、1回の講演で数十万ドルを稼いでいると主張するかもしれない。

 私たちがハラリに魅了されたのは、彼の真実や学問の力ではなく、物語る力のおかげである。 私は科学者として、複雑な問題を魅力的で正確な物語にすることがいかに難しいかを知っている。
 私はまた、科学がセンセーショナリズムの犠牲にされている場合も知っている。 ユヴァル・ハラリはいわゆる "サイエンス・ポピュリスト "である。 (カナダの臨床心理学者でYouTubeの第一人者であるジョーダン・ピーターソンもその一例だ)。
 科学ポピュリストは、科学的な "事実 "にセンセーショナルな物語を織り交ぜ、感情的に説得力のあるシンプルな言葉で語る才能のある語り手である。 科学者の語りは、ニュアンスや疑念がほとんど取り除かれているため、権威あるかのような偽りの雰囲気を醸し出し、彼らのメッセージをより説得力のあるものにしている。  
 政治家と同じように、科学ポピュリストも誤った情報の発信源である。 彼らは偽りの危機を煽る一方で、自分たちが答えを持っているかのように見せる。 彼らは、名声と影響力を追求するあまり、その根底にある科学が歪められていることなど気にすることなく、聴衆を拡大しようとあくなき努力を続け、巧みに語られるストーリーの誘惑を理解している。

 現代において、優れたストーリーテリングは以前にも増して必要とされているが、特に科学に関してはリスクが高い。
 科学は、医療、環境、法律、その他多くの公的な決定や、何に注意すべきか、どのように生活を送るべきかといった私たちの個人的な意見に影響を与えている。 社会や個人の重要な行動は、私たちを取り巻く世界についての最善の理解にかかっている。
 今こそ、ポピュリスト偽預言者、そして彼のような人々を、真剣な精査にかける時なのだ。


 これは意外なことかもしれないが、ユヴァル・ハラリの研究の事実的妥当性は、学者や主要出版物からほとんど評価されていない。
 ハラリ自身の論文指導者であるオックスフォード大学のスティーブン・ガン教授は、「ルネサンス軍事回顧録」に関するハラリの研究を指導した人物である『戦争、歴史、アイデンティティ、1450-1600年』では、彼の元教え子が事実確認のプロセスを本質的にかわすことに成功しているという驚くべき事実を認めている。
 ニューヨーカー』誌が2020年に発表したハラリのプロフィールの中で、ガン氏はハラリが専門家の批評を「飛び越えた」と推測している。 ......誰も、長い期間にわたるすべてのものの意味や、すべての人の歴史についての専門家ではない"

 それでも私は、すべての始まりである『サピエンス』の事実確認を試みた。 神経科学と進化生物学の同僚に相談したところ、ハラリの誤りは数多く、相当なものであり、小手先の指摘では片付けられないことがわかった。 ノンフィクションとして売られてはいるが、彼の物語のいくつかは事実というよりフィクションに近い。  
 第1部:認知革命」では、私たちの種が食物連鎖の頂点に躍り出て、たとえばライオンを飛び越えたことについて書いている。
 「地球のほとんどのトップ捕食者は、威厳のある生き物である。 数百万年にわたる支配によって、サピエンスは自信に満ちている。 対照的に、サピエンスはバナナ共和国の独裁者のようだ。 つい最近までサバンナの負け犬の一人であった我々は、その立場に対する恐怖と不安でいっぱいであり、それが我々を二重に残酷で危険な存在にしている」。
 ハラリは、「致命的な戦争から生態系の大惨事まで、多くの歴史的災難は、この性急すぎるジャンプの結果である」と結論づけている。
 進化生物学者として言わせてもらえば、この一節には歯がゆい思いがする。 ライオンの自信とは何だろう? 大きな咆哮? ライオンの群れ? 固い握手? ハラリの結論は野外観察に基づいているのか、それとも実験室での実験に基づいているのか? (不安は本当に人間を残酷にするのだろうか? 食物連鎖の頂点に立つために時間をかけていれば、この惑星に戦争や人為的な気候変動は起こらなかったとでも言いたいのだろうか?


 ライオンキングのムファサが地平線を眺めながら、光が触れるものすべてが自分の王国だと厳かにシンバに語る…ハラリの語り口は鮮明で心を打つが、科学的な要素はない。
 次に言語の問題である。 ハラリは、「すべての類人猿とサルの種を含む多くの動物が音声言語を持っている」と主張している。
 私は10年間、新世界のサルであるマーモセットの音声コミュニケーションを研究してきた。 (ムファサは地平線を見つめてシンバに、光が触れるものはすべて自分の王国なのだと語りかける。) 私が博士号を取得したプリンストン神経科学研究所では、発声行動が進化的、発生的、神経細胞的、生体力学的現象の相互作用からどのように生まれるかを研究した。
 私たちの研究は、サルのコミュニケーションは(人間のコミュニケーションとは異なり)神経コードや遺伝コードにあらかじめプログラムされているというドグマを打ち破ることに成功した。 実際、私たちはサルの赤ちゃんが、両親の助けを借りて、人間の赤ちゃんが学ぶ方法と似た方法で「話す」ことを学ぶことを発見した。
 しかし、人間に似ているにもかかわらず、サルは "言語 "を持っているとは言えない。 言語とは、記号(単語、文章、画像など)が世界の人、場所、出来事、関係を参照するルール拘束型の記号体系であるが、同じ体系内の他の記号(例えば、単語が他の単語を定義する)を呼び起こし、参照することもある。
 サルの鳴き声や鳥やクジラの歌は情報を伝達することができるが、ドイツの哲学者エルンスト・カッシーラーが言ったように、私たちは象徴体系の獲得によって可能になった「現実の新たな次元」に生きている。
 しかし、ノーム・チョムスキーやスティーブン・ピンカーのような言語学者から、マイケル・トマセロやアシフ・ガザンファルのような霊長類のコミュニケーションの専門家に至るまで、誰もが、他の動物にも前駆体は見られるが、言語は人間に特有のものであるという点で一致している。 これは世界中の生物学の授業で教えられていることであり、グーグル検索で簡単に見つけることができる。

 私の科学者仲間もハラリに異議を唱えている。 生物学者のヒャルマル・テュレソンは、チンパンジーが「一緒に狩りをし、ヒヒやチーターや敵のチンパンジーと肩を並べて戦う」というハラリの主張は、チーターとチンパンジーがアフリカの同じ地域に住んでいるわけではないので、真実であるはずがないと指摘する。 「ハラリはチーターとヒョウを混同しているのかもしれない」とテュレソンは言う。

 細かいことを言えば、チーターとヒョウの区別を知ることはそれほど重要ではないのかもしれない。 ハラリは結局のところ、人間の物語を書いているのだ。 しかし、彼の誤りは残念ながら我々の種にも及んでいる。
 私たちの時代の平和」と題されたサピエンスの章で、ハラリはエクアドルのワオラニ族を例に挙げ、歴史的に「暴力の衰退は国家の台頭によるところが大きい」と主張している。 ワオラニ族が凶暴なのは、「軍隊も警察も刑務所もないアマゾンの森の奥地で暮らしているからだ」と彼は言う。 ワオラニ族がかつて世界でも有数の殺人率を誇っていたのは事実だが、1970年代初頭以降は比較的平和に暮らしている。
 私は2015年に偶然にもワオラニ族と過ごしたことのある植物遺伝学者のアンダース・スモルカに話を聞いた。 スモルカは、エクアドルの法律は森では施行されず、ワオラニ族には警察も刑務所もないと報告している。 「もし槍殺人がまだ懸念されていたなら、私は絶対にそのことを耳にしただろう。 「私はそこでエコツーリズムのボランティアをしていた。 ここでハラリは、人種差別と暴力で有名な警察国家の必要性を正当化するために、極めて弱い例を用いている。


 これらの詳細は取るに足らないことのように思えるかもしれないが、それぞれがハラリが不可侵の基盤として偽って提示しているものを崩すブロックなのである。 ざっと読んだだけで、このような基本的な誤りの数々がわかるのであれば、もっと徹底的に検証すれば、全面的に否定されることになると思う。


 ハラリはしばしば我々の過去を描写するだけでなく、人類の未来そのものを予言しているのだ。 もちろん、誰もが私たちの未来について推測する権利がある。 しかし、こうした推測が的を射ているかどうか、特にハラリのように意思決定を行うエリートの耳を持っている人物であれば、それを見極めることが重要である。
 誤った予測は現実的な結果をもたらす。 遺伝子操作によって自閉症が根絶されるとか、行き詰まったプロジェクトに莫大な資金が注ぎ込まれるとか、パンデミックのような脅威への備えがひどく不十分であるとか、希望に満ちた親たちを誤解させる可能性があるのだ。
 さて、ハラリは2017年の著書『ホモ・デウス』でパンデミックについて次のように述べている
: 明日の歴史
「エイズやエボラ出血熱のような災厄との闘いにおいて、天秤は人類に有利に傾いている。 .....したがって、人類が冷酷なイデオロギーのために自ら疫病を作り出した場合にのみ、将来も人類を危険にさらす可能性がある。 自然の伝染病の前に人類が無力であった時代は、おそらく終わった。 しかし、我々はそれを見逃すようになるかもしれない。
 私たちがそれを見逃すようになればよかったのに。 エイズやエボラ出血熱のような災厄との闘いでは、人類は有利に傾いているのだ。その代わり、公式発表では600万人以上がCOVIDで死亡している。 パンデミックの原因ウイルスであるSARS-CoV-2が、野生から直接もたらされたと考えるか、武漢ウイルス研究所を通じてもたらされたと考えるかにかかわらず、パンデミックが "冷酷なイデオロギーのために "作られたものではないことは、誰もが認めるところである。」
 ハラリはこれ以上ないほど間違っていた。しかし、優れた科学ポピュリストのように、彼はパンデミックの間、数多くの番組に出演し、自分の専門知識を提供し続けた。 彼はNPRに出演し、"伝染病とそれによる経済危機の両方にどう取り組むか "について語った。
 彼はクリスティアン・アマンプールの番組に出演し、"コロナウイルスの流行から浮かび上がった重要な疑問 "を強調した。 その後、BBCニュースナイトに移り、彼は "コロナウイルスの歴史的視点 "を提供した。 彼はサム・ハリスのポッドキャストに出演し、COVIDの "将来的な意味合い "について語った。 ハラリはまた、サデク・サバが出演する『イラン・インターナショナル』や、『インディア・トゥデイ』のEコンクラーベ・コロナ・シリーズ、その他世界中のニュースチャンネルに出演する時間を見つけた。
 虚偽の危機を宣伝する機会を利用して-これも科学ポピュリストの核心的特徴である-ハラリは「皮膚の下の監視」(確かに心配な概念である)についての悲惨な警告を与えた。 "思考実験として "彼は、"すべての国民に、体温と心拍数を24時間モニターする生体測定ブレスレットの装着を要求する仮想政府を考えてみよう "と言った。 彼が言うには、政府がこの情報を使って数日以内に流行を食い止められる可能性があるということだ。 もし、私がビデオクリップを見ているときに、私の体温、血圧、心拍数がどうなっているかを監視することができれば、何が私を笑わせ、何が私を泣かせ、何が私を本当に、本当に怒らせるかを知ることができる」。


 人間の感情やその表現は、非常に主観的で変化に富んでいる。 自分の感覚を解釈する方法には、文化的な違いや個人差がある。 私たちの感情は、文脈情報を取り除いた生理的測定値から推測することはできない(古い敵、新しい恋人、カフェインはすべて、私たちの心臓をより激しくドキドキさせる)。
 このことは、体温、血圧、心拍数よりも広範な生理学的測定がモニターされたとしても当てはまる。 それは、顔の動きをモニターする場合でさえ当てはまる。
 心理学者のリサ・フェルドマン・バレットのような科学者たちは、長年信じられてきたこととは逆に、悲しみや怒りのような感情でさえ普遍的なものではないことを発見しつつある。
「顔の動きには、ページ上の言葉のように読み取れる固有の感情的意味はありません」とフェルドマン・バレットは説明する。 これが、ある瞬間にあなたや私が何を感じているかを推測できる技術的なシステムを作ることができない理由である(そして、このようなすべてを読み取る全知全能のシステムを作ることができない理由でもある)。

 ハラリの主張は科学的には無効だが、拒否することはできない。 私の同僚である神経科学者のアーメッド・エル・ハディが言うように、「私たちはデジタル・パノプティコンの中で生きている」。
 企業や政府は常に私たちを監視している。 ハラリのような人々に、監視技術は "私たちが自分自身を知るよりもはるかによく私たちを知ることができる "と信じ込ませてしまえば、私たちはアルゴリズムにガス灯を照らされる危険性がある。 そしてこのことは、アルゴリズムの想定される知恵に基づいて、誰が雇用可能か、あるいは誰がセキュリティ上のリスクをもたらすかを決定するなど、現実世界では悪い方に影響する。


 ハラリの推測は一貫して、科学に対する不十分な理解に基づいている。 例えば、彼の生物学的未来予測は、遺伝子中心の進化観に基づいている。 このような還元主義は現実の単純化した見方を助長し、さらに悪いことに、危険な優生学の領域に踏み込んでいる。
 サピエンス』の最終章で、ハラリはこう書いている:
「なぜ神の設計図に戻り、より良いサピエンスを設計しないのか? ホモ・サピエンスの能力、ニーズ、欲望には遺伝的基盤がある。 そして、サピエンスのゲノムはハタネズミやネズミのゲノムよりも複雑ではない。 (マウスのゲノムは約25億塩基、サピエンスのゲノムは約29億塩基であり、後者の方が14%大きいだけである)。 遺伝子工学で天才マウスを作れるのなら、なぜ天才人間ではないのか? 一夫一婦制のハタネズミを創造できるのなら、パートナーに忠実であり続けるよう組み込まれた人間も創造できるはずだ」
 もし遺伝子工学が魔法の杖のようなものであり、クイック・クリックで浮気者を誠実なパートナーに変え、すべての人をアインシュタインに変えることができるのであれば、それは実に便利なことである。 これは悲しいことに事実ではない。 私たちが非暴力的な種になりたいとしよう。 科学者たちは、モノアミン酸化酵素A(MAO-A)遺伝子の活性が低いことが攻撃的行動や暴力的犯罪に関係していることを発見したが、「神の製図台に戻り、より優れたサピエンスをデザインする」(と、ハラリは言う)誘惑に駆られる事が無いようにか、MAO-A活性が低い人すべてが暴力的であるわけではなく、MAO-A活性が高い人すべてが非暴力的であるわけでもない。
 極端に虐待的な環境で育った人は、遺伝子がどうであれ、しばしば攻撃的になったり暴力的になったりする。 MAO-A活性が高ければ、このような運命から身を守ることができるが、それは絶対ではない。 それどころか、子どもたちが愛情深く、協力的な環境で育てられると、MAO-A活性が低い子どもたちでも成長することが非常に多い。
 私たちの遺伝子は、私たちを生み出す出来事をコントロールするために適切なタイミングで適切な糸を引く、操り人形の主人ではない。 ハラリが人間の生理機能を変えること、あるいは人間を忠実で賢い人間にするための "エンジニアリング "について書いているとき、彼は人間を形成する多くの非遺伝的メカニズムを読み飛ばしている。


 例えば、細胞が分裂し、移動し、運命を決定し、組織や器官に組織化されるといった、私たちの生理機能のように、一見ハードワイヤーで組み込まれているように見えるものでさえ、遺伝子だけで操作されているわけではない。  
 1980年代、科学者J.L.マルクスはゼノプス(サハラ以南のアフリカに生息する水棲カエル)で一連の実験を行い、「ありふれた」生物物理学的事象(細胞内の化学反応、細胞内外の機械的圧力、重力など)が遺伝子のスイッチをオン・オフし、細胞の運命を決定することを発見した。 動物の体は、遺伝子と、変化する物理的・環境的事象との間の複雑なダンスから生まれるのだ、と彼は結論づけた。


 味覚…ハラリのような人物が書いた物を読むと、たとえば生まれたばかりの人間の赤ん坊の行動は、ほとんど遺伝子に支配されていると思うかもしれない。 しかし、研究によれば、妊娠後期にニンジンジュースをたくさん飲んだ女性の生後6ヶ月の赤ちゃんは、他の赤ちゃんよりもニンジン味のシリアルを楽しんだという。
 赤ちゃんはニンジンの味が好きだが、それは「ニンジン好き」遺伝子のせいではない。 母親(実子であれ養子であれ)が赤ちゃんに母乳を与えるとき、母親が食べた食べ物の味が母乳に反映され、赤ちゃんはその食べ物を好むようになる。 赤ちゃんは母親の行動から食べ物の好みを「受け継ぐ」。
 何世代にもわたって、韓国の新米母親は海藻スープを飲むように言われてきたし、中国の女性は出産後すぐに豚足を生姜と酢で煮込んだものを食べる。 韓国や中国の子供たちは、「生姜を食べる」「酢を欲しがる」遺伝子がなくても、文化特有の味覚嗜好を受け継ぐことができる。
 現代社会では、どこに住んでいても加工された糖分を摂取している。 長期にわたる高糖質食は、異常な摂食パターンと肥満につながる可能性がある。 科学者たちは動物モデルを用いて、これが起こる分子メカニズムを解明した。
 高糖質食はPRC2.1と呼ばれるタンパク質複合体を活性化させ、PRC2.1が遺伝子発現を制御して味覚ニューロンを再プログラムし、甘味の感覚を低下させ、動物を不適応な摂食パターンに閉じ込める。 食習慣が遺伝子発現を変化させ、「エピジェネティック・リプログラミング」の一例として、不健康な食の選択につながっているのである。
 育ちが自然を形成し、自然が育ちを形成する。 これは二元性ではなく、メビウスの輪のようなものだ。 ホモ・サピエンスの能力、ニーズ、欲望」がどのようにして生まれるのかという現実は、ハラリが描いているものよりもはるかに洗練されている(そしてエレガントだ!)。
 遺伝学者のエヴァ・ジャブロンカとマリオン・J・ラムは、その著書『4次元の進化』の中で、次のように語っている:
 「冒険心、心臓病、肥満、宗教性、同性愛、内気、愚かさ、あるいは心や身体のいかなる側面にも遺伝子が存在するという考えは、遺伝学的言説の壇上にはふさわしくない。 遺伝学者ではない多くの精神科医、生化学者、その他の科学者(しかし、遺伝的な問題に関しては驚くべき能力を発揮する)が、いまだに遺伝子を単純な原因物質とする言葉を使い、あらゆる種類の問題に対する迅速な解決策を聴衆に約束しているが、彼らは知識や動機を疑わなければならない宣伝家にすぎない」。
 ハラリの動機は謎に包まれたままだが、彼の生物学に関する記述(そして未来に関する予測)は、ラリー・ペイジ、ビル・ゲイツ、イーロン・マスクなどのシリコンバレーの技術者の間で広まっているイデオロギーに導かれている。
 アルゴリズムがわれわれを救うか滅ぼすかについては、意見が分かれるかもしれない。 しかし、彼らはデジタル計算の超越的な力を信じている。
 2020年のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューでマスクは、「私たちは、A.I.が人間よりはるかに賢くなる状況に向かっており、その時期は今から5年も先だと思います」と語った。
 マスクは間違っている。 アルゴリズムがすべての仕事を奪ったり、世界を支配したり、人類に終止符を打ったりすることはないだろう。
 A.I.のスペシャリストであるフランソワ・ショレは、アルゴリズムが認知的自律性を獲得する可能性について、「今日、そして予見可能な未来においては、これはSFの世界だ」と語っている。
 科学ポピュリストのハラリは、シリコンバレーのシナリオに共鳴することで、またしても誤った危機を煽っている。 さらに悪いことに、彼はアルゴリズムがもたらす実害やテック業界の野放図な権力から私たちの目をそらそうとしている。
 ホモ・デウス』の最終章で、ハラリは「データ宗教」という新しい宗教について語っている。 この宗教の実践者たち(彼は「データ主義者」と呼んでいる)は、宇宙全体をデータの流れとして認識している。 彼らは、すべての生物を生化学的なデータ処理装置とみなしており、人類の「宇宙的使命」は、全知全能のデータ処理装置を創造することだと信じている。
 この武勇伝の論理的な結論は、アルゴリズムが私たちの生活のあらゆる面を支配するようになることだ。 (シリコンバレーはデータ宗教の中心地である。)
 「ホモ・サピエンスは時代遅れのアルゴリズムである」と、ハラリはデータ主義者の言葉を言い換えて言う。
「結局のところ、人間がニワトリより優れている点は何なのか? ただ、人間の場合、情報はニワトリよりもはるかに複雑なパターンで流れる。 人間はより多くのデータを吸収し、より優れたアルゴリズムを使ってそれを処理する。 では、人間よりもさらに多くのデータを吸収し、さらに効率的に処理するデータ処理システムを作ることができれば、人間がニワトリよりも優れているのとまったく同じように、そのシステムは人間よりも優れているのではないだろうか?」
 しかし、人間はニワトリを繕ったものではないし、あらゆる面でニワトリより優れているわけでもない。 実際、ニワトリは人間よりも「より多くのデータを吸収」し、「よりうまく処理」することができる--少なくとも視覚の領域においては。 人間の網膜には、赤、青、緑の波長に敏感な視細胞がある。 ニワトリの網膜には、これらに加え、紫色の波長(一部の紫外線を含む)用の錐体細胞があり、さらに、動きをよりよく追跡するのに役立つ特殊な受容体がある。 ニワトリの脳は、このような付加的な情報を処理する能力を備えているのだ。 ニワトリの世界は、私たちには想像もつかないようなテクニカラーの祭典なのだ。 私がここで言いたいのは、ニワトリが人間より優れているということではなく、これは競争ではなく、人間が「人間」であるのと同じように、ニワトリも「ニワトリ」であるということだ。
 ニワトリも人間も単なるアルゴリズムではない。 私たちの脳には身体があり、その身体は世界に位置している。 私たちの行動は、世俗的で身体的な活動によって生まれる。
 進化生物学で「ニッチ構築」と呼ばれるプロセスである。 ビーバーが小川にダムを作ると湖ができ、他のすべての生物は湖のある世界で生きなければならなくなる。 ビーバーは何世紀にもわたって存続する湿地帯を作り出し、その子孫がさらされる淘汰圧を変化させ、進化のプロセスに変化をもたらす可能性がある。 ホモ・サピエンスには他の追随を許さない柔軟性があり、環境に適応し、また環境を改変する並外れた能力がある。 私たちの生きる行為は、単に私たちをアルゴリズムから区別するだけでなく、私たちが誰を愛するか、将来どれだけ仕事ができるか3、犯罪を犯す可能性があるかなど、私たちの社会的行動をアルゴリズムが正確に予測することを不可能に近いものにしている。
 ハラリは自らを客観的な書記として装うことに注意を払っている。 彼は苦心して、データ主義者の世界観を提示しているのであって、自分の世界観を提示しているのではないと言う。
 しかしその後、彼は非常に卑劣なことをする。 データ主義的な考え方は、"奇抜なフリンジ的な考え方のように思われるかもしれない "と彼は言う。 データ主義者の世界観が決定的である(「科学的権威のほとんどを征服した」)かのように見せている彼は、人間がアルゴリズムであることは「客観的に」真実であり、より優れたアルゴリズムによって下される決定の受動的な受け手である我々の陳腐化への歩みは、我々の人間性と密接に結びついているため、避けられないものであると説いている。
 この大げさな発言を裏付ける脚注に目を向けると、彼が引用した4冊の本のうち、3冊は科学者以外によって書かれていることがわかる。
人類の運命には何も決まっていない。 私たちの自律性が損なわれつつあるのは、宇宙のカルマのせいではなく、グーグルが発明し、フェイスブックが完成させた新しい経済モデルのせいだ。
 社会科学者のショシャナ・ズボフは、この経済モデルを "監視資本主義 "と名付けた。 グーグル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフトなどの監視資本主義企業は、私たちが生活し、働き、遊ぶためにますます依存しているデジタル・プラットフォームを構築している。
 彼らはわれわれのオンライン上の行動を驚くほど詳細に監視し、その情報を利用してわれわれの行動に影響を与え、利益を最大化しようとしている。 副産物として、彼らのデジタル・プラットフォームは、広範な気候変動否定論、科学懐疑論、政治的偏向をもたらすエコーチェンバー(反響の部屋)を生み出すのに役立っている。
 敵に名前をつけ、それを自然現象や技術的必然ではなく、人間の発明であるとすることで、ズボフは私たちに敵に対抗する術を与えてくれる。 ご想像の通り、ズボフはハラリとは異なり、シリコンバレーで愛されている人物ではない。


 2021年10月、ハラリは『サピエンス』をグラフィック化した第2巻を発表した。 今後は、サピエンス児童書、没入型体験のサピエンス・ライブ、サピエンスにインスパイアされた複数シーズンのテレビ番組が予定されている。
 私たちのポピュリスト偽預言者は、新たな信奉者、そして彼らとともに名声と影響力の新たな高みを求めて容赦ない。
 ハラリはそのストーリーテリングで私たちを魅了してきたが、彼の記録をよく見ると、センセーショナリズムのために科学を犠牲にし、しばしば重大な事実誤認を犯し、推測の域を出ないはずのものを確かなものとして描いていることがわかる。
 彼は適切な脚注や参考文献をほとんど示さず、自分の考えとして提示した考えを定式化した思想家5への謝辞を著しく曖昧にしているため、彼がどのような根拠に基づいて発言しているのかは不明である。
 そして何よりも危険なのは、監視資本家たちのシナリオを強化し、彼らの商業的利益に適うように私たちの行動を操作するフリーパスを与えていることだ。 現在の危機、そしてこの先の危機から私たち自身を救うために、私たちはユヴァル・ノア・ハラリの危険なポピュリズム科学を断固拒否しなければならない。


 この記事に関する著者との時事問題ポッドキャスト・エピソードはこちらから。
 ハラリの著作の事実的妥当性に関する私の懸念は、別のベストセラー本、ジャレド・ダイアモンドの『危機に瀕した国家のためのターニングポイント』(著者アナンド・ギリダラダス)に対する批評と重なる。
 ギリダラダスはダイアモンドにこう問いかけている。"小さなこと、中程度のことで信頼できないのなら、3万フィート本の著者が本当に信頼を必要としているところ、つまりチェックが難しい大きな主張のところで、どうやって信頼できるのか?" ギリダラダスはまた、長編ノンフィクションの専門的な事実確認の必要性を指摘している。
 ハラリの2017年の著書『ホモ・デウス』からの同様の抜粋: 明日の歴史』である: 「致命的な遺伝子を修正することが可能になれば、コードを書き換えるだけで、危険な突然変異遺伝子を良性のものに変えることができるのに、なぜ外国のDNAを挿入する手間をかけるのか? そうすれば、致命的な遺伝子だけでなく、それほど致命的でない病気、自閉症、愚かさ、肥満の原因となる遺伝子も、同じメカニズムで修正できるようになるかもしれない」。
 マクドナルド、クラフト・ハインツ、ボストン・コンサルティング・グループ、スワロフスキーなどの企業では、何百万人もの人々がアルゴリズムによって仕事のスクリーニングを受けているにもかかわらず、アルゴリズムが仕事の成果を予測できるという査読済みの証拠はない。
 プリンストン大学のコンピューター科学者であるアルビンド・ナラヤナンは、アルゴリズムによる就職選考サービスを提供する企業(HireVueとPymetricsの2社がその筆頭)を、"蛇の油を売っている "と公に非難した。
ハラリが引用している本 Kevin Kelly, What Technology Wants (New York: Viking Press, 2010); César Hidalgo, Why Information Grows: The Evolution of Order, from Atoms to Economies (New York: Basic Books, 2015); Howard Bloom, Global Brain: The Evolution of Mass Mind from the Big Bang to the 21st Century (Hoboken: Wiley, 2001); Shawn DuBravac, Digital Destiny (Washington: Regnery Publishing, 2015.).
 ハラリの文章を何気なく手に取った読者は、すべてのアイデアは彼一人のものだと思うだろうが、ハラリの思考の枠組みは、しばしば先人たちを彷彿とさせる。 例えば、宗教的イデオロギーと世俗的イデオロギーをポケモンGOのゲームに例えた彼の表現は、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクが2017年に出版した著書『Incontinence of the Void』(邦題『空虚の失禁』)で以前に行った比較と驚くほど似ている: Economico-Philosophical Spandrels, and discussed before that in lectures.  
 2017年の著書『ホモ・デウス』の中で、ハラリは「データ主義」に1章を割いているが、(データ主義という言葉を作った)ジャーナリストのデイヴィッド・ブルックスや(『データ主義』というタイトルの本を2015年に出版した)スティーブ・ローアを認めていない。

以上翻訳。


ユヴァル・ノア・ハラリの展開する論説が、引用元を明かさず、事実確認のプロセスを本質的にかわして偽科学を展開した物である事が良くわかりますね。

ハラリは同じ残酷な所業を、ある時は心配げに警告として、またある時は無慈悲に支配者側からの言葉で語りますが、これは同じ方針の中で裏と表の二通りで語る二重思考を行ない、読書を洗脳している様にも感じます。そして、もちろん本音は裏側なのです。表は取り繕いに過ぎません。

日本は教育の成果としてダーウィニズム信奉が非常に強い事が、ハラリ信奉にも繋がっていると思われますが、ハラリによる偏った思想の為に科学を犠牲に捧げた論説は、かつてのニュルンベルク裁判の様に再び裁かれる日が来ると思います。

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