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変調技術で脳波をキャリア電波に乗せる事により、ワイヤレスBMIでAIと接続。デジタル全体主義の究極システム。

変調技術により、様々な情報をより通信量の多い電波に乗せて通信する技術は、時代と共に発達しており、現代では多重アクセス技術により大量の個別情報を混線させる事無く同時に通信する事が出来ます。

変調技術も多重アクセス技術も、戦争により発達した物が民生品として転用された歴史があります。生体センシングやBMIも、元は捕虜の自白に電磁波が使われた事などが始まりです。

人間の脳波は超低周波電波と同じ波長を持ちますから、より高周波で通信量の多い電波をキャリアにすれば、それに乗せて無線通信する事が出来ます。

照射した時は洗脳ですし、反射波を脳波センシングすれば思考盗聴、視聴覚盗聴です。AIと接続すればワイヤレスBMIですね。
照射した電波が極弱い物であっても、本人の脳内に有る脳波を遥かに凌駕する状態であれば、人格や思考を乗っ取り、ラジコン人間にする事が出来てしまいます。

この、脳波を変調技術でキャリアに乗せて通信する技術は、単なる電波技術であり、引き寄せなどのスピリチュアルとは関係ありません。
科学をワザと曲解して自己に都合の良い話にしたり、科学で実現した事をスピで実現したかの様に偽る事が、現代社会には増えつつある様に思います。偽科学、霊感商法ですね。

スピは偽科学であり、また偽宗教でも有ると、私は確信しています。
それは科学を騙る宗教であり、また宗教を騙る科学でも有るのですから、皆んな詐欺であると言うのが実際のところです。

環境問題も同じ事が言えると思います。実態、人口削減政策は環境保護の為であると皆が気付いており、また、何故か人口削減策には不気味な儀式的意味付けが仄めかされている事にも気付いています。
科学に基づいた環境保護を騙りながら、現場では人間の削減に魔術的な意味合いが持たされているのですから、科学や宗教を騙る詐欺、サタニズムであると誰もが思っても当然なのではないでしょうか?

聖書の記述では、神様は人間を供物として受け取る事など決してありません。
対して、人間の生贄を要求するのは自然崇拝などの多神教です。それは飽く事無き追加の生贄を要求する事は、人類史や文化人類学・民俗学に目を通せば明らかです。
人口削減政策は、科学に基づく環境保護を装った生贄であるのならば、生贄の追加に終わりが無い事とも整合性?があると言ったところでしょうか?

理系である研究者達は、人権や倫理に疎い人々が多いのかも知れませんね。高校で文系理系に分けられ、理系大学に進学したら、選択科目で選択しない限りは知る機会が少ないのではないでしょうか?
これは、地下鉄サリン事件から言われて来た事であるハズですが、今でも変わっていないのかも知れません。
研究者や技術者が暴走しない為には、理系の教育過程でも人権や倫理の教育がなされるべきなのでしょう。

そうすれば、科学を騙る宗教や、宗教を騙る科学がもたらすリスクを、少しでも回避し易くなるはずです。

私自身は、このデジタル全体主義から標的とされてしまい、ありとあらゆる持っていた物全てを奪われてしまいました。
しかし、この世の中を暗黒化しているシステムに対して、その敵として人生を全う出来るのは本当に恵みであると思っています。
何故ならば、この日本は聖書の記述通りに滅ぼされると本気で思っていますし、滅亡以後の時代には、日本は酷いサタンの国であったと記憶されると思うからです。
せっかく被害者なのに、最期の最後に加害者であるサタニスト達の味方になる様なヘマだけは決してしたくありません。

皆さんは、人類がこの様な暗黒の中に、今後も永久に閉じ込められたままだと思われますか?(もしそうならば、日本は安泰?でしょう。)
そんはハズは無い!と言うならば、それは、日本のデジタル全体主義は滅ぶハズだ!と思っていらっしゃると言う事です。私も日本は犯罪史に記録を残して、聖書の記述の通りに滅びると思っています。

既にデジタル全体主義は、ビッグデータ蓄積や、GPS追跡、衛星等の対人レーダーによるサーベイランス(監視)、同じく対人レーダーによる脳波リモートセンシング(思考・視聴覚盗聴)などで、かつて無いタイプの全体主義を実現しています。
そしてそれは、日本側の人々が期待する、全体主義の頂点を生み出し、一定期間の暴力的支配の後に滅ぼし尽くされるでしょう。聖書の記述の通りに。

現在の世の中は、国家主義、社会主義、国際主義、国家社会主義、国家資本主義…凡ゆるツールが、集権・集産的政治体制へ人々を導いています。
それは聖書の中で、サタンに操られ、自分の理性で神を越えたり、神を称したりしようとする地上の支配者達が常に目指す専制的権力です。
昨今の日本では「自由はナ◯ス!」と言い切る人々が増えましたが、どう考えても、人々が「自由からの逃走」を選択して、自由が失われた結果がその様な集権的・集産的体制を産む筈です。
そして、贖い主(解放者と言う意味)であられる聖書の神は、サタニズムに膝を屈しなかった者には自由を得させて下さる神です。

それまで、システムの標的にされた被害者は、忍耐強く、殺害や拘束から逃れているのが良いと思います。

円形闘技場はローマ以外にも各地にありました。残酷ショーは初期には戦死者を捕虜の血で慰める儀式だったのですが、後に皇帝の人気取りの為の見せ物に変化しました。

あらゆる時代の権力者が必ず夢見る、完全監視システム。

🟰

監視➕拷問で市民を自発的に従わせる、デジタル全体主義の出来上がりです。

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