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「シクラメンのかほり」はなぜ売れたのか、についての一考

 布施さんの現時点での唯一のミリオンセラー、それはシクラメンのかほり。1975年4月10日にリリースされたこの曲は、

 第17回日本レコード大賞・大賞
 第6回日本歌謡大賞・大賞
 第8回日本作詩大賞・大賞
 第4回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞
 第4回FNS歌謡祭・グランプリ

と、その年の音楽賞を総なめにしました。

 布施さんが音楽番組に出る時は、結構な確率で歌唱される曲。もちろん、コンサートでも歌われれば、大きな拍手が起きます。

 しかし、この曲。いかんせん、ファン歴の長い方に熱烈に好き、という方が少ないのです。色々理由はあるようですが、総括すると多分「なんとなく面白みに欠ける」のだと思います。布施さんは知れば知るほど、ロングトーンだったり、火傷しそうな熱い歌い上げだったり、シャウトだったり、一人ミュージカルだったり、色々な魅力があります。でもこの「シクラメンのかほり」は、なんだかそういった「これ!」といった魅力に欠けるようなのです。

 私としては、布施さんのコアなファンになる前から、シクラメンのかほりは流れ始めるとテレビの前に正座して聴いてました。なんか背筋が伸びるんです。この曲。(あくまで私にとってですが)

 でも案外ファンの中では評価がそれほど高くない。不思議な曲だなぁ…。

 そんな曲がミリオンセラーになったのも、何か理由があるに違いない!そう勝手に仮説を立てて、歌詞を見つめること数日。

 ヒットしたのは、歌詞の技法や描写の妙が一役買っているのではないか、という考えに至りました。

 私なりの考えですが、よかったらお付き合いください。

ここにきてなんでいきなりシクラメンのかほり?

 自分でも正直なんでやねんですが、正直に申し上げると、立て続けに2つ、興味深い動画を見たからです。

ひとつはこちら。

 noteもお書きになっている冴沢鐘己さんのYouTubeチャンネル。ここで「シクラメンのかほり」を取り上げていただいていて、やっぱり改めていい曲なんだよな、と思ったのがひとつ。

 もうひとつはNHKの番組「ワルイコあつまれ」で小椋佳さんがこの曲の歌詞を解説していたのを見たこと。NHKオンデマンドで2024年3月17日までは視聴できる模様ですので、よろしければぜひ。

至る所に潜む詩的技法

  シクラメンのかほりの歌詞を、書き出してみたわけですが。
なんだか詩的な技法が多いんですね。

手書きが汚くてすみません。ひらがななのは、音の数を見たかったから。

私が思い当たるものだけで
①擬人法
②反復法
③比喩(直喩)
④反語
⑤七七調
があるかと思います。以下解説します。

①擬人法

「季節」「愛」「時」を人に例えて表現しています。

季節が頬を染めて過ぎて行きました

がいつの間にか歩き始めました

が二人を追い越して行く

季節が知らん顔して過ぎて行きました

②反復法

1番、2番、3番が
〇〇のシクラメンほど
〇〇しいものはない
〇〇〇〇〇〇の君のようです
の繰り返しとなっています。(厳密な反復法ともし違ったらすみません。)

たとえばみなさんご存知の枕草子で

春はあけぼの…

夏は夜…

秋は夕暮れ…

冬はつとめて…

と『「季節」は〇〇』という定型があることで、リズム感が生まれ、読み手は引き込まれるわけです。それに近いものを感じます。

 シクラメンのかほりでは、〇〇を徐々に変えていくことで季節・時の移り変わりを表現しているのも、またオツ。

③比喩(直喩)

 「〜のように」を用いた比喩がそこかしこにあります。

「(真綿色したシクラメンが)恋する時の君のようです」
「疲れを知らない子どものように」など

 比喩が多いから必ずしも良い、というわけではないですが、聴き手の想像力を掻き立てるという意味で、効果的と言えるでしょう。

④反語

 私は漢文の授業がかなり好きだったのですが、この反語表現というのがまた特に好みでして…。まぁ私の好みはさておいて。
反語は『いいたいことを平叙文の形で述べずに、表現を強調するためにわざと疑問文の形で、「そんなことが許されてもいいものだろうか(いや、許されるべきではない)」というような形で述べる(コトバンクより)』ことをここでは指します。

シクラメンのかほりにおける反語は

呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろう

の部分ですね。補足を入れれば

(あの時間を)
呼び戻すことができるなら 僕は何を惜しむだろう
(いや、何も惜しみはしない)

という感じでしょうか。
優しい口調でありつつも、強い気持ちを表現している一節かと思います。

⑤七七調

 あとこの曲、なんとなく耳に残る音感があると思うのですが、これは七音の句が多いことがひとつの要因かと思います。七七調と言い切っていいのか自信はありませんが…。

手書き再び。緑ハイライトのところが七音

 日本人は古くから和歌に馴染んできたわけで、五音、七音があるとちょっと落ち着くような感覚があるのかなと思います。(もちろん人によるところはありますが。)

 (なお私はいつの間にか五七五を会話の中で見つけると、「思わず無季俳句になってた」と感じて勝手に喜んでいるタイプです。笑)

 話を戻すと、この曲のヒットした1975年当時、おそらく今よりも短歌や和歌に馴染みがある人が多いでしょうから、聴いて「何となく耳心地いい」と感じた方も多かったのではないでしょうか。この辺りは、皆さんにもぜひご意見を聞きたいところです。

 このように、まず言葉として歌詞を見たときに、どこか心に引っかかる(前述の「ワルイコあつまれ」の中の小椋佳さんご本人の言葉を借りれば「フックとなる」)箇所が多いことが分かります。
 小椋さんとしては、シクラメンのかほりは当初お蔵入りにさせていた曲とのことですが、その曲にこれだけ技法を詰められるとは、小椋さんの才能に唸るばかりです。

詳細な描写があまりない

 あとこれは技法ではないのですが、歌詞の中で登場人物に関しての説明的な語句があまりないのも、ポイントかなと考えています。内容を一言でまとめると「ある男性が、過去に出会った女性について懐古する」話なわけですが、その女性にいつ出会ったのか、どんな人だったのか、細かい描写はありません。比喩などを使うことで、説明的な歌詞を避けている感じがします。

 どうしても、説明が入ると人はそこで思考を止めてしまいがちです。ですが、この曲はあえて細かい説明をしないことで、どんな状況を歌っているか、聴き手側がより想像力を働かせるような歌詞になっていると考えます。そして聴いた人は、歌詞の中に、自分の過去への共通点を見つけたり、歌の状況の中で自分の気持ちがどうなるか想像して、共感をするのではないでしょうか。

 歌が売れる時というのは、その歌への共感が強い時ではないか、と私は思っています。人は歌に、自分の心境や経験を重ねるのではないかと。その点をこの曲はうまく満たしていたのではないかと推察します。

歌い手が布施さんでやっぱりよかった

 と、ここまで書いておいてあれですが、これを歌ったのが布施さんだった、というのもやはりヒットの一因ではあったと考えます。 

 1974年以前の布施さんのヒット曲は、どちらかというと熱い歌い上げで、熱い気持ち表現をする曲が多かったようです。例えば、甘い十字架、愛は不死鳥、など。

 でもシクラメンのかほりは、最初は少しフォーク調。そしてサビで盛り上がり歌い上げる、という流れ。特に前半は、かなりしっとりした曲です。当時この曲が出た時は、「布施明、こんな曲歌うんだ」と意外性があったようです。そしてただ意外なだけではなくて、この世界観が、布施さんのちょっと女々しくて(すみません)、どこか哀愁漂う感じにピッタリフィットしていたと思われます。これは他の人が歌っても、この哀愁がイマイチしっくり表現できないと思うのです。

 当時布施さんは27歳。青年期を抜けた時期で、ご本人も色々と迷われながら歌手生活をしていた時期にあたります。色々迷う心の中の、ウジウジしたところ。歌詞の中身と完全にリンクするかは置いておいて、世界観が布施さんにしっくり合っていたのも、功を奏したのでしょう。(この辺は、前述の冴沢鐘己さんも動画の中で語られています。)

まとめ

 ということで(どういうことだ)、あくまで私の見解ではありますが、改めて、「シクラメンのかほり」は、詩的技法や、情景描写の妙によって、聞き手の心に引っかかる曲であり、それゆえに、多くの人の共感を得て、売れたのだと考えます。

 次「シクラメンのかほり」を聴く時に、もしよかったら歌詞に想いを馳せていただけたら嬉しいです。

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