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第二章 順子、総集編(2)


長かったなあ。で、もうお次なのか?

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第二章七話 高校三年順子、盗撮

 分銅屋で和服姿の節子と佳子がダベっていた。女将さんは、同窓会とかで外出、佳子の他に客はいなかった。佳子は今日は楓ばりのスポーティーなアメカジだ。佳子はヤンキーではない普通の高校生の彼氏ができたようだ。落としていた眉も生え揃ってきて、付けまつ毛もなく、ケバい化粧も控えている。普通のカワイイ高校生に見える。
 
「で、新しい彼氏とどうなんだい?」と節子は板場で料理を仕込みながら佳子に聞いた。
「普通の高校生活っていいもんだよ。もう普通。手をつないでさ。腕にすがりついて胸を押し付けると相手が照れちまってよ。この前はディズニーランドに行った」
「ディ、ディズニーランド?おまえが?」
「うん、『美女と野獣』のテーマパークに行って、ディズニー・ライト・ザ・ナイトを見て、エレクトリカル・パレードで彼氏に好きです、付き合って下さいって告られた。それでチュ~された」と真っ赤になって佳子は下を向いた。
「おいおい、佳子、美久ネエさんの病気が感染っちまったんじゃないか?真っ赤になって照れるな!もうおまえ、絶対におかしい!」
「だって、彼氏が可愛いんだもん。もう、食べちゃいたい!」
「おい、彼氏に元ヤンだって言ったか?処女じゃないって言ったか?」
「うん、正直に白状したよ。彼は信用しなくってさ、私が元ヤンとか処女じゃないってのを。でも、よぉ~く説明して、信用してくれて、それでも好きです、お付き合いして下さいって言われて・・・」
「やれやれ。まあ、お幸せならよおござんす。相手が知っての上なら上等だよ。美久ネエさんのお嬢様姿には負けるけど、よく化けてるよ、佳子」
「節子に言われたくないなあ・・・その和服姿で『いらっしゃいませ』とか小首をかしげてやってくれちゃうと調子が狂うよ、私も。って、何を作っているのさ?」
「ブリ大根。少しずつ女将さんに習ってるんだよ。料理が好きになってきたね。佳子、食べるかい?味見させたげるよ」
「ビールを飲みたくなるじゃないか?怒られっちまうけど」

 そこに南禅と羽生が暖簾をくぐって入ってきた。「おばんです。あれ?女将さんは?」と南禅が聞く。「女将さんは今日は同窓会で留守です。私が代理女将です」と節子が言う。「そうか。節子がねえ。だんだん板についてきたじゃないか?佳子は今日は楓ちゃんみたいだな?ヤンキー娘がフレンチになって、今度はアメカジかい?北千住はコスプレ天国だね」と南禅。「ひっどいなあ、南禅さん」と佳子がむくれる。「褒めてるんだよ。って、節子が料理か?」と南禅。

「女将さんに習ったぶり大根を作ったんですよ。今、佳子に味見するか?って言ったとこです。こいつ『ビールが飲みたくなるよ』なんて未成年なのにね」と節子。
「いいんじゃないか?未成年だけで酒盛りするのは感心しないが、私と羽生くんがいるんだから。私だって、16才からビールくらい飲んでたよ・・・ちょっと強いのも多少な。節子、ビール二本おくれ。グラスは三つだ・・・いや四つだ。私たちにもぶり大根、味見させてくれよ」

 節子はぶり大根をお鉢に大盛りにして、取り皿をみんなに渡した。どれどれ?と箸をつける。「お!女将さんと同じ味だ!うまいじゃないか?節子!」と羽生が言う。「うん、おいしい」と南禅と佳子も舌鼓を打つ。「よかったぁ、女将さんの作っているのを見て、練習したんですよ。ブリもさばき方から見様見真似でやってみたんです」と節子。「おい、節子。こりゃあ、節子に店任せて、女将さんはまた大学院に戻ればいいんじゃないか?」と羽生が言う。節子は満更でもない様子だ。そうか、そうすれば、女将さんが諦めた物理学もまたできるじゃないか?と節子は思う。

 そこに、「こんばんわ~」と言って紗栄子が入ってきた。黒にグリーンのショルダーパッチをあてがったミリタリーセーターと同じく黒のストレッチジーンズとブーツ姿の紗栄子が現れた。ダメ押しで陸上自衛隊のミリタリーワークキャップまでかぶっている。カメラバッグを抱えている。

紗栄子1

「おい、和服とアメカジのコスプレの次は、自衛隊のコスプレ娘か?北千住はどうなってしまうんだ?」と南禅。
「ちょっとね、盗撮をしていたもので、バレないように黒で統一してみたんですよ」「盗撮?」「順子の三人組の恭子の動きを探偵してまして・・・あ!美味しそうなもの、食ってるじゃないですか?私もちょうだい!あ!節子も佳子もビール飲んでる!ずるい!」

「節子、紗栄子にもグラスをあげなよ」と南禅は紗栄子にもビールをついだ。「プフぁー、うまいや、こりゃあ。肉体労働したあとはうまい!」

「しかし、まあ、そんな服よく持ってたね?」と南禅は紗栄子の格好をジロジロ見た。
「私、本気で自衛隊に入隊しようかな?って思って・・・」
「は?」
「ハイ、南禅さん、羽生さん、どう思われます?」
「どうって、本気かい?」
「本気です!」
「十人に六人は脱落するんだよ?」
「調べました。頑張りたいと思います!」
「陸自?空自?海自?」
「空自に決まってるじゃないですか。南禅さんと羽生さんのところですよ。でも、防衛大学校というわけには行きません。今まで勉強していなかったから。だから、自衛官候補生に応募して、任期制自衛官から初めて、資格も取って、無謀ですが、将来は士官になりたいんです。宇宙作戦隊部隊とかカッコイイじゃないですか?南禅さんのところの装備庁の研究所で国家機密っていうのもカッコイイ!」
「おっどろいた!驚いたけれど、いいわ、応援するよ、紗栄子」

「紗栄子、このカメラバッグはなにが入っているんだい?」と佳子が聞く。
「ああ、これ。これは今日の装備」と言って紗栄子はカメラバッグを開けて中身を説明しだした。

「カメラはソニーのα7SⅡ。静止画ISO409600までいけます。動画は102400まで。4K動画記録も大丈夫。感度を上げても普通のカメラよりノイズの発生が少ないの。ダイナミックレンジも広い。レンズはSEL70300G。70-300mmf5.6。F値が高いけどしょうがない。aps-cグロップつけて一千万画素くらいはいける。それから、MOZAのスタビライザー、三軸手持ちジンバル」スラスラ説明する紗栄子に一同唖然とした。

「紗栄子、おまえ、そんな趣味があったの?」と南禅。
「楓ちゃんじゃないけどね。メカは好きだったんですよ。ほら、私、高一で輪姦されたじゃないですか?それで、証拠写真とか興味が出ちゃって・・・」
「これ、全部で四、五十万円するんじゃない?」と佳子。
「うん、バイト代、全部つぎ込みました!」
「あっきれた!それで、何を撮影したのさ?」と節子が聞いた。

「あ、そうそう、この前から恭子をつけだしたんだよ。そうするとね、千住のマンションに出入りするのがわかった。夜だと部屋に入って照明をつけるだろう?部屋番号がわかったんだ。201号室。近くのビルの屋上で撮影できる場所を探ってさ、屋上に張っていたのさ。今晩で二度目なんだけどね。バカども、カーテン丸開けで、バッチリだよ。最初の撮影の晩は、ほら、見てご覧。iPadに画像送るか。見やすいからね」と紗栄子はカメラとiPadを操作した。
「ほら、見てご覧。智子と年配の男性の売りの場面だ」
「あ!あの智子が本当に売りをやってやがる!」
「それで、今日わっと・・・え~っと、このデータだな。ほら、どう?康夫と三人組の乱交場面。康夫が三人にクスリを注射している場面までバッチリだよ。こいつらキメセクを四人でしてんだよ。で、順子はいないのさ。つまり、こいつら四人、順子に内緒にして、順子を裏切って、やってやがるんだ!それも敏子や恵美子だけじゃなくて、レズの恭子までだぜ!さあ、どうしようか?」
「う~ん、どうするたって、憲法に乱交してはいけないとは書いてないしなあ。クスリと売りでサツに連絡してもいいけど、智子もしょっぴかれるぜ?あ!智子、18才だろ?」と節子は紗栄子に聞いた。
「そうだけど?確か、智子は四月生まれだから・・・」
「高校生でも18才だから、智子は『合法JK』なんだよ」
「え?『合法JK』って、淫行条例に引っかからないあれ?」と佳子。
「その通り。だから、売りではこのオジサンも智子も引っ張れないわけだよ」と節子言う。
「じゃあ、あとはクスリでか?オジサンもクスリをやっている可能性はあるな?」う~んと紗栄子が唸った。
「そうだけど、四人組とオジサンはいいとして、智子は、確実に鑑別か刑務所だぜ?そりゃあ、可哀想だろう?順子もどうかわからないけど、この四人組と順子に罠をしかけられたんだろうぜ」と節子。
「どうするかな」
「もうちょい、様子見だな」
「美久ネエさんと兵藤さん、楓ちゃんには?」と佳子が二人に聞いた。
「目処がつくまでは黙っていよう。三人ルンルンなんだから、邪魔しちゃ悪いや。あの三人、自分たちが三角関係にあるってわかってないんじゃないか?それも幸せな三角関係。天然二人にツッコミ一人。私だって、ああいうのしたいよ。まあ、女将さんには話しておこう」と節子が羨ましそうに言った。
「おい、三人娘!私と羽生くんは何をするんだよ?」と南禅が言う。
「様子見だけど、最後は暴力沙汰になるかもしれないから、その時は、南禅さん、羽生さん、お願いね。日本酒、つけちゃうからね」と節子。
「羽生くん、面白くなってきたじゃないか?」
「南禅二佐、それ警察沙汰になって、また上から大目玉くらうってことですよ?」
「いいじゃないか?久しぶりだぜ。大義名分があって相手をぶっ飛ばせるんだぜ?たまんねえよ」
「やれやれ、付き合いますよ」

 こいつら、本当に国家公務員か?あ~あ、自衛隊志願、考え直そうかな?と紗栄子は思った。

第二章八話 高校三年順子、紗栄子と順子

 紗栄子は智子がだんだんおかしくなるのに気づいた。ヤク中の症状が出ているようだ。どうしようか?紗栄子はいろいろ考えた。順子がこれに噛んでいるのは間違いない。だが、順子は康夫と彼女の三人組に裏切られているのも事実だ。

 美久には知らせたくない。今は幸せにしておいてやりたい。じゃあ、智子を穏便に助けるには誰が適任だろう?康夫と康夫のグループ、恭子、敏子、恵美子たちと相手しなくちゃならないだろう。そうなると?美久の次に強いのは誰だ?順子だ。康夫と三人組に裏切られてもいる。仕方ない、順子と組もう。

 紗栄子は順子を千住じゅう探し回った。やっと見つけた。紗栄子が順子に声をかける。

「順子ネエさん、やっとみつけたぜ。面貸してくんな」
「なんだ、紗栄子、因縁つけようってのか?」
「ちげぇーよ。あんたに見せたい動画があるんだ。あんたに関係するものだよ。こりゃあ、親切でやっていることだよ。どっかの路地に行こうや」と紗栄子は近場のラーメン屋の横の豚臭い路地に順子を連れて行った。ラーメン屋の換気扇がうるさい。

 紗栄子は、カバンからiPadを取り出して、康夫と三人組の乱交動画を順子に見せた。それは、近くのビルの屋上から順子の借りているマンションの部屋を盗み撮りしたものだ。レンズSEL70300Gの最大300mmで撮影してある。夜間だがかなり鮮明に撮れていて、細部までわかる。スタビを使っているので、部屋の一部ににスタビを固定してあり、場面が飛ぶことはない。

 部屋の窓はカーテンが開けられていて、まず、クイーンベッドの上で三人組が絡み合っている映像から始まった。しばらく経つと部屋に康夫が入ってきた。恭子、敏子、恵美子に順番にクスリをポンプで打っていく場面。敏子と恵美子がどでかいクイーンサイズのベッドで絡み合い、その横で康夫が恭子を犯す場面。次々に康夫が敏子、恵美子を犯す場面。三人組が康夫に絡みついて、康夫の全身を愛撫する場面。元の映像は二時間以上だが、紗栄子はそれを十五分ほどに編集しておいたのだ。

 動画が進むにつれて、順子の顔が青ざめ、唇を血が出るほど噛んでいる。

「紗栄子、これは美久の差し金か?」と順子が聞く。「ちげぇーよ。美久ネエさんには知らせていない。私が恭子の後をつけて、盗み撮りしただけさ。美久ネエさんは知らないよ。節子と佳子は知っている。あんた、私の幼馴染の智子をはめたろう?売り、やらせただろう?その動画もあるよ」

「ああ、そうだ。恭子が智子をたぶらかしてね。でも、私がやらせた。恭子のせいじゃない」
「まあな、あんたは美久ネエさんの妹分だ。言い逃れはしねえよな」
「ああ、康夫とこの三人のやっていることは別にして、クスリを使って売りをやらせていたのは私だよ」
「キッパリしていいこった、とは言わないよ。私は、あんたや康夫や三人組がどうなろうと知ったこっちゃない。それはあんたらの問題だ。だけど、私は智子を助けたいだけだよ。穏便にね。それで、あんたと組もうと思ったのさ」

「私と?組む?・・・紗栄子、具体的にどうするのさ?」
「この頃、智子の様子がおかしいんだ。あんた、クスリを智子に盛りすぎたんじゃないか?」
「いや、量は・・・え?まさか、恭子が?」
「そうかもしれない。康夫がレズの恭子とこうなっているってことは、あんたを通さずに、康夫は恭子にクスリを流していた可能性がある。つまり、康夫と恭子は直接取り引きをし始めた、ってことじゃないか?順子ネエさんよ?」
「・・・」
「だから、あんたがクスリの量を決めても、恭子は勝手に康夫から流れたクスリを智子に使ったってことも考えられるよな?あんたの三人組もやばいぜ。ポンプで康夫から血管に直接クスリ打たれてるしよお」
「・・・」

「最近の学校での智子を見ると、わかるやつなら、ヤク中の症状だって、すぐわかるぜ。ヤバいんだ。ああなってくると、クスリ欲しさに何するかわからない。もしかしたら、バックレて、バラシをやつらにかけてクスリを強請りとろうとするかもしれない。そうしたら、康夫と恭子が智子に何をするかだ。順子ネエさんよ、あんたも美久ネエさんの一番の妹分だったろう?あんたの良心になんか期待しないが、あんたも美久ネエさんが好きだったろう?美久ネエさんの後釜なんだろ?ここは、ひとつ、私と組んじゃあくれまいか?」
「・・・クソっ!・・・ああ、紗栄子、わかったよ。私はどうすりゃいい?」
「まず、二人で智子を見張ろう。なんかあれば、私はあんたの腕力が必要だ。わたしゃ、喧嘩は弱いからね。美久ネエさんの次に強いのは、順子ネエさん、あんただからな」

 順子の借りているマンションの近くのビルの屋上。紗栄子がカメラをマンションに向けてセットした。二人共黒尽くめの格好だ。紗栄子はカメラのモニターをのぞき込みながら、順子に聞いた。順子は紗栄子の横で脚を投げ出して座っている。

順子7

「順子ネエさん、前から聞きたかったんだが、あんた、なんでこんな風になっちまったんだ?あれだけ美久ネエさんに可愛がってもらって、一番の妹分だったじゃないか?」

 順子はメンソールのタバコを取り出して火を付ける。「紗栄子も吸うか?」「私は止め・・・まあ、いいや、一本もらうよ」順子は紗栄子のタバコに火をつけてやる。
 
「そうだなあ、ヤケに美久が・・・美久ネエさんがキラキラしだしたじゃないか?高校二年から。それまでもキラキラしてたが、あの大学行きます!って話から、もっとキラキラしてきてね。私が行けない、たどり着けない世界に行ってしまう気がしたんだよ」
「でも、美久ネエさんのキラキラだけのせいかい?あんた、処女は康夫とだったね?康夫が原因かい?」
「間接的には、そう言えるかもね。クスリの話を持ち込んだのもアイツだしね。でもね、私は、自分で自分を管理できない、人であれ物であれ自分をコントロールされるのに忌避感があったんだよ。美久ネエさんもそうだと思う」

(今の美久ネエさんを見ていると、違うと思うけどなあ。依存とか『自分を他人にコントロールされる』とかそういうメンツの問題じゃなく、美久ネエさんと兵藤さんを見ていると、お互いの信頼と愛情なんじゃないか?見返りを求めない愛ってヤツじゃないか?って思うけどなあ。今のこの人に言っても無駄だろうけどな)

「だから、康夫のせいさ、ってことは言えないよ。私の、自分自身のせいなんだよ。美久ネエさんがキラキラして、離れて行ってしまって、私はどんどん汚くなって行くような気がしたのさ。嫉妬だよ。美久ネエさんに対する嫉妬と対抗心だよ。クソォ、なんでこんなことになっちまったんだろうね?紗栄子」あの気の強い順子が紗栄子に弱音を吐く。まるで変わってしまう前の昔の順子のようだ。
「運さ」とカメラのモニターを見ながら紗栄子がボソッという。
「運?」紗栄子を見上げて順子が言った。
「そう、運だよ。巡り合わせで、歯車が狂っちまったんだ。美久ネエさんは、本人だけじゃなくて、周りに恵まれていた幸運があったんだよ。それを受け取る度量もあったけどな。美久ネエさんと同じような、キレイで強くて誰もが羨む順子ネエさん、あんたは、似たような条件だったのに、不運だったって話さ。私は、あんたや美久ネエさんみてえにキレイでもなきゃあ強くもないや。あんたより持って生まれた運は少ないよ。でもな、今はそれでも自分で自分の運を切り開いてやろうと思っているんだ」
「え?」
「順子ネエさん、私は自衛隊に入隊しようと思ってる。まあ、分銅屋の南禅さんや羽生さんを見てね、自衛隊に入るのも面白いかもしれないって思ったんだ。下から始めて、どうなるかわからないけど、南禅さんみたいな士官になりたいんだよ。それで、国家機密とやらもタッチしてみたいのさ。自分の運がなけりゃあ、しかたない、運を自分で切り開きたくなってきたんだ」

「ふん、紗栄子、おまえまでキラキラしてきやがって・・・」
「あんただって、遅くないと思うぜ」
「ふん、まあ、そういうのって、考えておくよ。でもね、今は、自分で起こしたこの不始末を片付けないとな」

「おおっと、順子ネエさん、あんたの男が智子をマンションに連れ込んだぜ」
「紗栄子、おまえ、グサッと来るようなことをいうじゃないか?」
「こりゃあ、今は康夫を止められないや。まあ、動画は取っておこう」

 康夫と智子が絡みだしてしばらくたった。「順子ネエさん、智子と康夫がもめてるぜ?何かあったな」と紗栄子が順子に言った。「康夫が電話をしているぜ。なんだ?誰か呼び出しているのか?康夫が智子をひきずっている」

 それからしばらく経った。「車が来たよ、順子ネエさん。マンションの照明が消えた。おっと、あいつら、智子を車に乗せたよ。拉致るつもりか?」
「行き先はわかっているよ」
「え?どこ?」
「私らの使っている廃工場跡だと思う」
「そんな場所があったのか?」
「ああ、康夫の手下に女の子をあてがったり、バックレた女の子を脅したりする場所だよ」
「ヤバいじゃねえか?節子たちに知らせないと・・・」
「紗栄子、お願いだ。ここは私に始末をつけさせちゃあくれまいか」
「え?知らせねえってことか?」
「おまえは残っていいよ。知らせてもいい。でも、私はこの始末は私だけでつけるよ」
「何いってんだ、順子ネエさん。ここまで来たら、私もあんたと一緒に行くぜ」
「喧嘩が弱いってのにか?」
「いざとなりゃあ、火事場の馬鹿力も出るだろ。頼りないが、一人よりはマシだろ?しかし、勝算はあるのかい?」
「ねえよ、そんなもん。おまえが輪姦されて、美久ネエさんが半グレの事務所にグループの誰にも知らせないで、たった一人で殴り込んだ時、美久は勝算なんか考えなかっただろう?」

(あ!こいつ、まだ美久ネエさんに対抗して・・・いや、こいつ死ぬ気か?死んでもケジメつける気か?こいつ、高校一、二年の頃の順子に戻ったのか?そういえば、美久と順子が組むと化け物のように強かったな。仕方ねえや、化け物の一人に加勢してやるか?)

「じゃあ、紗栄子、行こうか?」順子はタバコを弾き飛ばした。

第二章九話 高校三年順子、潜入

 紗栄子と順子は紗栄子のバイクで来ていた。場所を知っているのは順子なので運転は順子に任せた。順子の借りているマンションは、荒川と隅田川にはさまれた荒川の河川敷側にあった。順子は、墨堤通りを走った。区立千寿小学校前を通り、墨堤通りと日光街道が交差する千住営元町の交差点で、右折して日光街道を走った。日光街道が京成本線の下を通過する手前で右に折れ、京成本線千住大橋駅のガード下を通って右折。ポンタポルテ千住の横を通って、隅田川沿いに出た。廃工場は隅田川沿いにあった。3,000平米ほどの工場と工場の横の放置されたグラウンドがあった。
 
 こりゃあ、わからねえところにありやがる。しかも、住宅街からは少々離れていて、夜になれば人通りもない。ここなら、女の子を拉致ったり、クスリやらして康夫のグループの男に輪姦させても、周りに知られることもない。やつら考えやがったな、と紗栄子は思った。

 順子は工場までいかず、工場から200メートル手前の真っ暗な隣接する保育園との路地にバイクを乗り捨てた。「もしかすると、康夫のグループの男が巡回してるかもしれないからね。バイクはここに置いておくよ。おまえの重そうなカメラバッグも茂みに隠しておけよ。邪魔だ」「高けぇんだぜ、これ」「邪魔だ、おいておきな」紗栄子はブツブツいいながら、茂みにバッグを隠した。
 
「順子ネエさん、何人いると思う?」
「わかんねえ。康夫だろ、浩二もいるかもしれないな?」
「あの子牛みたいなやつか?」
「ああ。プロレスのビッグバンベイダーみたいなあいつだよ」
「そりゃあ、怖えなあ」
「それと、浩二の下のヤンキーが二、三人。もしかしたら、恭子たちも呼んだかもな」
「それが正しけりゃあ、八人じゃないか?」
「そうだな、紗栄子。ビビったか?」
「いや、勝ち目があるとは思えねえ。ちょっと連絡をして・・・あ!iPhoneの電池切れてやがる!チクショー。いざってときにアップルの野郎が!」
「紗栄子、私のスマホを使いな。確かに、ヤバいかもな」
「私の居場所はわかると思うよ。ネエさんたちが気づけばな。GPSトラッカーで追跡できるんだ」
「え?GPSトラッカーってなんだ?」
「SIM内蔵で、3G通信を使って、位置情報を追跡できるブツがあるのさ。ほら」と紗栄子は順子にネックレスにぶら下がったミニモノリスを見せる。催涙スプレーもぶら下がっている。
「ふ~ん、面白いものを持っているじゃねえか?」
「美久ネエさんの彼氏の妹のアイデアさ。面白い子なんだよ。同い年でね」
「ああ、北千住で時々みかけたよ。美久と彼氏ともう一人女がぶら下がっていたが、そいつか?」
「そうそう、妹って言っても義理の妹だけどな」
「ふ~ん、まあ、いいや、ほら、スマホ」と順子は紗栄子にスマホを渡した。
「順子ネエさん、もう美久ネエさんに内緒にできないや。それに、八人じゃあ、あんたと美久ネエさんの化け物コンビじゃないと勝てないよ」
「化け物?」
「二人になると、化け物みたいに強かったじゃないか?」
「化け物ねえ。さっきは『キレイ』って紗栄子言ってたな?」
「あんたらは、キレイな、超カワイコチャンの化け物だよ」
「まあ、いいや。早く美久に電話しな」

 紗栄子は美久の番号をプッシュした。「もしもし、田中ですが?どちら様でしょうか?」と非通知の電話番号に訝しげに美久が答える。
「美久ネエさん、紗栄子です。手短に。これは順子ネエさんのスマホからかけてます。私のが電池切れやがって、借りたんです。智子が拉致られて。今、順子ネエさんと隅田川沿いの廃工場にいます。康夫や三人組や浩二たちがいるかもしれない。ちょっと、ヤバいんで。智子の話はすまねえ、ネエさんに内緒にしていたんで。詳しい話は節子に聞いて下さい」
「おっと、紗栄子、巡回してるぜ。懐中電灯の明かりが見えたよ。スマホのモニターの明かりでバレちまう。電話切れ」
「ネエさん、すまない。バレちまうんで切ります。トラッカーで位置追ってください」と紗栄子は通話を切った。

 二人は廃工場の手前のグラウンド横の歩道を忍び歩いた。グラウンドのほうが工場よりも大きい。工場は真っ暗だ。

 ヒソヒソ声で紗栄子が順子に聞いた。「順子ネエさん、真っ暗じゃないか?あいつら本当にいるのか?」
「工場のメインのナトリウム灯なんかつけたら、明かりが漏れてバレルじゃないか。工場の中に、簡易パーテーションで間仕切った10メートル✕5メートルくらいの空っぽの事務所があるんだよ。それも窓は目張りしてあるんだ。外には明かりは漏れない。紗栄子、夜目になれておくんだよ」

 グラウンドの横を過ぎて、工場の端に着いた。工場は、横100メートルくらい、縦30メートルくらいの細長い建物だ。「紗栄子、ヤツラがいる事務所は、この反対端にある。ああ、工場の犬走りを見な。康夫の使っているバンが駐車してある。バイクが三台。ありゃあ、恭子たちのだな。やっぱり八人くらいいそうだぜ」
「順子ネエさん、美久ネエさんたちを待つかい?」
「う~ん、考えさせておくれ。私がクスリの量をコントロールして、相手がバックレたなら、そういうことがあったけどな、中毒はあまり進んじゃいないんで、セックス動画で口封じできたよ。聞く耳を持っているから。だけど、紗栄子の動画のようなポンプでクスリやらされてるんだったら、聞く耳なんかもたないな。禁断でてるかもしれないし。そうしたら、康夫たち、何するかわかんない。バラすかもしんないな」
「バラすって?」
「殺しちまうかもしんないぜ。私の聞いた話じゃあ、半グレとか暴力団が、ポンプ数本打って、クスリの過剰摂取をよそおってバラしちゃうこともあるってこった」
「じゃあ、順子ネエさん、どうするのさ?」
「とにかく、工場の中に入って、事務所の側まで忍び寄って、聞き耳たてようじゃないか?紗栄子、おまえはここに残れ。残って、美久たちを待つんだ」
「あんた一人、ほっておけないよ。私もあんたと一緒に行くよ」
「ふん、私の三人に比べて、おまえ、いいやつだな?」
「うっせいや。行こうぜ。先導してくれ」

 二人は工場の別の端にたどりついた。工場の横スライドする正門は開いていた。車を引き入れるので開いたな、と紗栄子は思った。真っ暗な中、工場周りの周回道路に沿って歩いて、工場の鉄扉を開く。順子が見をかがめて、工場の内壁伝いに沿って進んだ。順子の言う工場内のパーテーションで仕切られた事務所からかすかに、明かりが漏れていた。二人は事務所のパーテーションの壁に張り付く。中から声が漏れている。女が二人叫んでいる声がした。

「康夫、智子とこの女子大生をどうするつもり?」と恭子の声が聞こえた。
「ラリっていて、こいつらのセックス動画で脅しても聞きやしない。理性、飛んでるぜ。クスリが聞きすぎたな。さあって、どうするか?ポンプをもう何本か打って、過剰摂取にして、東京湾に沈めっちまおうか?」と康夫が言う。
「康夫、やばいじゃん、それ?」と敏子と恵美子の声がした。
「ヤバかねえよ。バレなきゃいいんだ。とにかく、この二人、うるせえからもう何本か打つか」と康夫が言うのが聞こえる。やがて静かになった。智子と恭子の言う女子大生がクスリを打たれたようだ。
「最近、こいつらに女をあてがってなかったからな。ちょっとやらせるか」と康夫が言う。「恭子、敏子、恵美子、おまえらも見てろよ。面白いぜ。浩二は徹底的にやるからよぉ。おれらも見物といこうぜ。おまえらも興奮するだろう」と康夫が言った。

(順子ネエさん、どうするよ?)
(ヤバいな、紗栄子。智子だけじゃなく、女子大生ってのも増えちまったぜ)
(ラリっているのを二人も助け出すのはむずかしいよ)
(う~ん、まだ援軍もこねえからなあ・・・困ったなあ・・・あ!そうだ。紗栄子、おまえ、工場の外に出ろ。それで、「お巡りさ~ん、こっちです」って叫べ。それで工場から離れて美久たちを待て。中のやつもビビるだろう。その間に、私が中に入ってなんとかしてみる。一か八かだ。まだだぞ。浩二や男たちがズボンを下ろして身動きできないようになるまで待とう。ちょっと覗いて見るか?)

 順子は事務所の窓の目張りの隙間からそっと覗いた。あまり見えなかったが、事務所の向こう側で浩二の巨体が見えた。下半身は丸裸だ。
 
「よし、紗栄子、行け」と紗栄子の肩をおした。紗栄子は来た通路を逆に背をかかめながら歩いた。工場の鉄扉を開こうとした。だが、鉄扉は向こうから押された。紗栄子は鉄扉にぶち当たった。(しまった、巡回しているやつを忘れてた)鉄扉に額がぶつかってうしろざまに倒れてしまう。巡回していたヤンキーは人がいるのでギョッとしたが、倒れている紗栄子に懐中電灯をあてた。紗栄子の脇腹を蹴る。紗栄子は腹を押さえて転がった。ヤンキーは紗栄子を引きずって事務所に入った。

 チクショー、巡回しているヤツを忘れていたぜ、と順子は唇を噛んだ。

 康夫は、手下が突然紗栄子を引きずって入ってきたので驚いた。「コイツが工場から出ようとしたのを捕まえたんです」とヤンキーが言う。「驚かすなよ。なんだ、紗栄子じゃないか?どうやってここへ?」と康夫が紗栄子の顎をつかんで聞いた。「ケッ、後をつけたんだよ。その内、美久ネエさんたちもやってくらあ」と紗栄子は答える。
 
「ふ~ん、そうか。まあ、いいや。おい、恭子、敏子、恵美子、紗栄子を半殺しにしちまえ。まったく計算狂うなあ。浩二、おまえら、お楽しみはおしまいだ。ズボンをはけ」

 恭子、敏子と恵美子が紗栄子の腹や背中を蹴りつける。そこに順子が飛び込んできた。何も言わずに恭子の背中を蹴りつけた。ターンして事務所の反対側にいる浩二たちの方に向かう。順子は浩二の股間を蹴り上げる。他のヤンキー二人もズボンを上げている最中なので股間を蹴り上げるのは楽だ。巡回していたヤツに延髄蹴りを食らわす。あっという間に五人。
 
 また、クルリと振り向いて、敏子と恵美子にも蹴りを入れた。「ケッ、この人殺しめ!紗栄子をやりやがって、智子とこの女子大生も殺そうとしたのか?康夫、覚悟しな」と康夫の顔に正拳をぶちこんだ。八人。ちょろいぜ。と順子が思ったが、浩二が後ろから忍び寄って彼女をスリーパーで動きを止めるのに気が付かなかった。宙吊りになって脚をバタバタさせる順子。
 
「クッソォ~、順子まで。美久にも知らせたって紗栄子が言ったな?マッポも来るな。仕方ねえ、撤収しよう。おい、みんなずらかるぞ。智子と女子大生と紗栄子はおいておこう。順子は喋られるとマズイ。浩二、順子は連れて行くぞ」

 八人は工場の鉄扉から逃げようとしたが、鉄扉が開いて外の明かりが漏れるのが見えた。(いけねえ、道路側は誰かが来てる。美久か?)と康夫はとっさに考えて、おいグラウンドの方に逃げるぞ、と手下に怒鳴った。一同、グラウンド側の鉄扉を通って、外に出る。外に出たところで、浩二は順子を引きずっているので、腕が緩んだ。順子は浩二の腹を蹴って、身を捩って浩二から離れた。

第二章十話 高校三年順子、発見

 紗栄子からの電話は途中で切れた。順子の声が紗栄子に「電話切れ」と言っていたのを聞いた。美久がいたのはいつもの分銅屋だった。紗栄子以外、全員いる。「みんな、紗栄子から電話で、智子が拉致られたって言ってきた。あいつ、順子と一緒だ。順子の電話からかけてきた。順子と組んで智子を助けるつもりだろう。紗栄子のアイフォンは電池切れだ。隅田川沿いの廃工場にいるって。康夫や三人組や浩二たちがいるかもしれないってことだ」

 美久が話している途中で、楓はもうカバンからパソコンを出していた。ウィンドウズの立ち上がりの遅さにイライラする。画面が出ると、追跡ソフトを立ち上げた。紗栄子さんのアイフォンは電池切れだから、トラッカーよね?

 マップが出た。まず、順子のマンション近くのビルの位置が出た。ジワジワと移動経路の線がのびてくる。このビルに数時間いて、それで、墨堤通りを行って、区立千寿小学校前を通って、墨堤通りと日光街道が交差する千住営元町の交差点で右折して日光街道、日光街道が京成本線の下を通過する手前で右に折れ、京成本線千住大橋駅のガード下を通って右折。ポンタポルテ千住の横を通って、隅田川沿いの工場でプリップする光点が止まった。ここだわ!
 
「美久お姉さま、ここよ!」とパソコンの地図を美久に見せた。走り出そうとする美久の手をタケシはつかんで止めた。「美久ちゃん、今日は一人で殴り込みはダメだよ」と言う。「女将さんはここで連絡役です。他のみんなは?」とタケシが聞くと、偶然洋服姿の節子が「私は行くよ」と言う。佳子も節子の横でうなずく。自衛隊組は「美味しい話を逃すかね?」と行く気満々だ。タケシはカエデに「カエデは女将さんと残れ」というと「なに言っているんですか。紗栄子さん拉致されて、私がほっておけますか。当然行きます」と言う。

 節子がもう外に出て、タクシーを呼んでいる。「七人だから、二台だ。ほら止まれ!止まれ!」と強引に二台止めてしまう。先導するタクシーにパソコンを抱えた楓と美久とタケシと佳子。後続のタクシーに節子と自衛隊二人。節子は運転手に前の車についてって!と言った。
 
 楓は、パソコンで廃工場への最短経路をだして、運転手に道順を言う。「運転手さん、日光街道に出て、京成本線の千住大橋駅までまっすぐ行って!ガード下くぐったら、右折してかつら並木通りをまっすぐ!ミズノフットサルプラザの近くよ」とフロントシートで運転手に怒鳴る。「お嬢さん、何を興奮してるの?」と運転手が楓に聞く。「友達が半グレに拉致されたんですよ。助けに行くんです!」と答えると、「そりゃあ、大変だ!スピードあげるぜ!」と言って、運転手はアクセルを踏み込んだ。
 
 あ!警察にも連絡!と楓は、110に電話する。テキパキ経緯を説明して、廃工場の場所を言った。119番にも連絡した。リアシートでは、佳子が今まで美久に内緒にしていた紗栄子の話をしていた。

「クッソォ、なんで私に言わなかったんだ。チクショー!紗栄子を一人で行かせちゃダメだろう!」と佳子を珍しくなじる。タケシが「美久、佳子さんをなじるな!みんな美久のためを思って内緒にしてたんだ。それに今それを言ってもしょうがない」「クソォ、タケシさん、悔しい!紗栄子は拉致られるの二度目だ!」「わかったから落ち着け、美久」とタケシは美久の頬を叩いた。涙ぐむ美久。

「カエデ、紗栄子と順子が工場に着いてからどのくらい時間が立ってる?」とタケシが聞いた。「えっとね、ちょっと待ってね」とスリープから立ち上げたパソコンを睨む。「四十五分よ!」「まだ、それほど経ってない。まだ、間に合う。美久、まだ間に合うぞ!」と美久に言う。「紗栄子、待ってろよ」と歯ぎしりをして美久が言った。

 ミズノフットサルの横でタクシーを止めた。気付かれるとマズイかも、と美久がいったからだ。タケシが五千円札運転手にわたす。お釣りは取っておいてと言い捨てて、タクシーを降りた。
 
「お兄、まっすぐ行って、右に曲がって。工場の正門が100m先にあるはずよ!私は節子さんたちを待ってる」とパソコンを抱きかかえながら言った。すぐ二台目のタクシーも着いた。「節子さん、こっち、こっち」と楓が先導するタケシたちを追った。

 工場の正門で一同が止まる。紗栄子はどこにいる?「お兄、近いわ。右に行って!たぶん工場のドアがあるはず」
 
 彼らは工場を回り込んで、紗栄子がぶち当たった鉄扉を見つけた。鉄扉を開く。左手に開け放しの事務所から明かりが漏れていた。ちょうど、浩二が順子を抱えて、対面の工場の鉄扉を抜けるのが見えた。「カエデ、佳子と一緒にこの事務所を見てみろ。ぼくらはやつらを追う。様子を見て後からついてこい。気をつけろよ」と二手に分かれた。
 
 楓と佳子が事務所に入ると、紗栄子が横たわっていた。佳子が駆け寄る。紗栄子の意識がない。恭子と敏子と恵美子にさんざんに蹴られたのだ。セーターとストレッチジーンズのあちこちが破れている。虫の息だ。

 楓が離れたところに倒れている智子と女子大生に駆け寄る。衣服が乱れ、下半身は下着も剥ぎ取られている。よだれを垂れ流し、失禁し、痙攣している。呼吸音も細い。こっちも虫の息だ。楓は衣服の乱れをできる限り直してやって、佳子の傍に行った。

「佳子さん、智子さんも他の女の子も意識がないわ。覚醒剤ってやつをいっぱい打たれたのかしら?ひどい状態だけど、私たちにはどうしようもないわ」と楓は言った。

「紗栄子もひどい有様だ。さんざん殴る蹴るをやられたようだよ。外傷はあまりないけど、こういう場合、内蔵がヤバいかもしれない。こっちもどうしようもない。救急車を待つしかない」と佳子。

 救急車が来るまで楓と佳子にはどうしようもないのだ。「楓ちゃん、ここにいても私たちには何もできないわ。兵藤さんたちもヤバいかもしれない。こっちは人数が少ない」と楓の顔を見て考えている。「ヨシ子さん、救急車はまだ時間がかかるかも。タクシーの中で連絡したからまだ十分も経っていない。まだ来ないわ。向こうに加勢しましょう」と楓が言った。パソコンは紗栄子の傍らにおいて駆け出した。佳子も後を追う。
 
 
 グラウンドに出たところで、浩二の腹を蹴って、自由になった順子は、康夫たちの前に立ちふさがる。

「康夫、よくも私を裏切ってくれたね」と康夫に怒鳴った。

「ケッ、順子、気づかなかったろう?恭子も敏子も恵美子も俺がやっちまったよ。敏子は俺の昔からの女だ。おまえに内緒でな。恵美子はだれにでもケツをふる。もちろん、俺にもな。恭子は手こずったけどよ、レズなんかより男のほうがいいのを教えてやったさ。しこたまS食らわして犯してやったよ」
「おまえと違って、恭子はいいぜ。メンヘラ入ってるしよぉ、ヒィヒィ言うんだ。ロリ面で、泣いてしがみつくからな。恭子は敏子にはサドだが、俺に虐められるとドMだよ、それも超弩級の。こいつ、頭おかしいぜ。可愛いけどな。四人でやりあうんだ。たまんねえぜ。おまえの三人組はド変態だよ。美久のところの真面目な三人組と大違いだ」
「ハーレムだ。俺と三人、よろしくやってたよ。おまえに内緒で。Sを流せるのは俺だからな。こいつら三人、俺のヤクが必要ってわけさ。まあな、順子、おまえよりもほんとうは美久とやりたかったけどな。おまえよりもずっと上等そうだしな。でもな、今は恭子でいいや。俺の言うままだから。おまえと違う」
「おまえがいなくても、恭子がいれば女は手に入る、おまけに恭子がレズを卒業して、おまえのオジサマを相手にしてくれたんで、おまえはいらなくなったんだ。おまえのオジサマ、おまえに飽きたそうだ。おまえ、気が強いしな。それに比べて、男さえ相手できれば、恭子の体はロリ好きのオジサマ達にはたまらねえんだとよ。こいつガタイが小さいから、おまえよりもずっと締まりがいい。最高だよ、こいつは」

 順子は裏切られて、三人組の前でズタボロに言われて、プライドがガタガタだ。「言うことはそれだけかい?この野郎、あのな、康夫、おまえ知らないかもしれないが、紗栄子が、近くのビルの屋上から智子や他の女の子の売りの動画を撮影してたんだよ。さっきのおまえと智子の動画もバッチリさ。私も見てたよ。そのデータは送っちまった。おまえらの乱交場面も盗撮してたんだよ。ポンプでヤクをおまえらが打って、ラリッておまえとそこの売女三人がケツふっているのもバッチリな。アホが。その動画のデータは美久がもってるぜ」とハッタリをかます。

 順子は康夫と三人組の乱交場面以外紗栄子に見せられていない。智子以外の他の女の盗撮動画があるかどうかも知らない。智子と康夫の動画はいま撮影したばかり。紗栄子のカメラバッグは乗り捨てたバイクの近くの茂みに隠してある。美久はデータを持っていない。

「なんだと?このビッチが」と康夫は順子に殴りかかった。康夫のパンチを数度順子は受けたが、最後のパンチを順子はかわして、康夫のわき腹を殴りつける。怯む康夫に回し蹴りをぶち込む。ざまあみろ、と康夫に美久ばりの踵落としをみまった。康夫は思わずひざまずいた。「ふん、踵落としは美久の専売特許じゃねえんだよ」そこに、恭子、敏子、恵美子が順子にかかって行く。

 敏子と恵美子は弾き飛ばした。思いっきり蹴りを食らわせる。だが、順子は油断した。チビとあなっどっていた恭子が順子の腹に頭からぶつかっていった。プロレスのスピアーをかましたのだ。しまった、こいつ、プロレスやってたんだ。腹を押さえてうずくまる順子。

 タイマンなら順子も負けないが、工場の中でも乱闘していて、体力が落ちている。それに、さすがに恭子のスピアーは効いた。ガタイの大きな敏子に羽交い締めにされて、恭子に腹をしこたま突かれる。ぶっ飛ばされて倒れたところを恵美子に頭を蹴られた。三人で順子の腹を蹴り上げた。順子は意識を失った。「順子ネエ、よっわ~い。わたしが順子ネエのお次だよ。もう、順子ネエ、いらないもんねえ」と恭子が言う。康夫はよろよろと立ち上がった。

第二章十一話 高校三年順子、決戦

 順子が倒されたところに、タケシたちが追いついてきた。工場から駆け出した楓と佳子もタケシたちに追いつく。これで七人。楓が数えると向こうは八人だ。こっちは男二人に女五人。向こうは?え~?男五人に女三人。順子は意識がなく横たわっている。

 ちょっと、分が悪いわね?と楓は思った。

 美久はざっと相手を数えて、タケシに言う。「タケシさん、私は康夫をやる。タケシさんは、あの子牛みたいな浩二を羽生さんとやっつけて。二人がかりじゃないと無理よ、あれは。南禅さんはゴメン、ヤンキー三人よ。節子と佳子は、恭子、敏子と恵美子をやっちまいな」とみんなに言った。「美久お姉さま、私は?」と楓が美久に聞く。「楓さんは後ろにいて。危ないから」と答えた。「美久お姉さま、私は節子さんと佳子さんに加勢するわ」と言った。「カエデ、気をつけて!」とタケシが言う。
 
 楓が節子と佳子に「私、喧嘩なんて初めて」とコソッと言った。節子が「楓さん、危ないよ。私らに任せて、って言っても私と佳子、喧嘩が強くないんだよ」と言う。楓が「あら?ホント?困ったわね。で、この三人、強いの」と聞くと、佳子が「楓さん、私らより強いよ。特に、真ん中のチビが格闘技やっててさ」という。

「それは困ったわ。じゃあ、左右のノッポと可愛子ちゃん、節子さんと佳子さんでお願いね。私は真ん中のチビをやるわ」「楓さん、危ねえよ、チビなめちゃあ」と節子。「なに言っているんですか?二人共。私があげた口紅持ってる?首にぶら下がっているでしょ?」と二人に言った。

「あ!」と節子と佳子。「二人共いくわよ。接近戦でシュッとやるのよ。叩き潰しましょう!」

「三人で何ぶつくさなに言ってやがる。かかってこいよ、ノッポの嬢ちゃん」とチビの恭子が敏子と同じ長身の楓に言う。レスリングの構えだ。楓が恭子に突進する。(陸上部の脚力とステップワーク、見せてやる)恭子が楓を捕まえようとする。横にステップを踏んでヒラッと楓が恭子をかわす。恭子とすれ違いざまに、シュッと催涙スプレーを恭子の目に吹きかけた。途端に両手で目を抑えて突っ伏す恭子。のたうち回る。(ほら、一丁上がり。口ほどにもない)

 左右を見ると、節子が敏子にぶん殴られたがなんとかスプレーをおみまいした。佳子は恵美子に倒されたところで、のしかかる恵美子の目に催涙スプレーをおみまい。敏子も恵美子も突っ伏して転げ回る。

「ヘッヘェ、頭脳の勝利よ」と楓は手近の地面にあったこぶし大の石を拾った。のたうち回る恭子を押さえつけ、馬乗りになって、頭に石をゴツンと叩きつける。「こんにゃろ!」恭子はピクッとして悶絶する。「チビ、よっわ~い。ざまあみろ!って、あら、私ったらはしたない」

 節子も佳子も見習って敏子と恵美子に馬乗りになってぶん殴って気絶させた。節子と佳子は顔を見合わせた。「実は、美久ネエさんと順子よりも楓ちゃんの方が強いんじゃない?」と佳子が言った。

 あたりを見回すと、他のみんなは苦戦している。他の人間の様子を察知した楓が「節子さん、佳子さん、南禅さんに加勢して」と言った。

 楓は康夫と闘っている美久の方に行く。楓は「美久さん、口紅よ、催涙ね」と言って、美久の横を駆け去って、タケシの後ろにつく。「お兄、後ろに手を出して。口紅よ」とタケシに催涙スプレーを手渡す。「私は危ないから、下がっているわね」と言って、距離をとった。

 私もアラフォーで、さすがに男三人はキツイわ。組み手と実践じゃあ違うしねえ、と南禅が思っていると、節子と佳子がきた。「節子、佳子、危ないよ」と言うと、「南禅さん、ほら、催涙」と佳子が南禅にスプレーを手渡す。「私ら弱いからね。南禅さんがシュッとやってよ。私と節子は左の一人をやるから南禅さんは残りお願い」と言う。

「ほほぉ、こいつが役に立つか」と南禅が言って、「ケッ!ゴキブリめ」とあっという間に催涙を浴びせ二人をのした。節子と佳子も二人がかりなら大丈夫だ。蹴りを入れて、股間を蹴り上げる。節子が「ふん、浴びやがれ!」と残りのスプレーを浴びせた。

「いやぁ、この仔牛ちゃん、強いね、タケシくん」と羽生が言う。「ぼくもぶん殴られてフラフラですよ。合気道技なんて効かない」「おっかしいなあ、自衛隊の体技も効かないよ。あの分厚い筋肉でパンチが弾き返される」二人は浩二の両腕のウェスタンラリアートを食らって仰向けざまにのびる。

 浩二は羽生に馬乗りにのしかかってぶん殴り始めた。タケシは浩二の後ろからチョークスリーパーで浩二の首を締め上げるが、太い首に手が回りきらない。しょうがない、最後はこれか?と催涙スプレーを浩二の目に残り全部吹き付けた。

 タケシは弾き飛ばされる。浩二は馬乗りになっていた羽生の上からどいた。目を押さえて膝立ちする。よろよろして羽生は立ち上がり、目を押さえている浩二の側頭部に回し蹴りを食らわせた。タケシも浩二の後頭部に頭突きを食らわせる。さすがに浩二も横ざまにぶっ倒れた。

 康夫は手強い。順子にやられてダメージを受けているがそれでも美久の攻撃を受けてかわしている。こっちは美久一人。そこに、三人組に腹をしこたま蹴られていて、フラフラになった順子が意識を取り戻して近寄ってきて、美久の横に立った。「ケッ!美久、こいつはわたしの相手なんだよ!」と言って康夫に殴りかかる。康夫は弱っている順子の腹に蹴りをみまった。ひざまずく順子。

 クッソォ、康夫は喧嘩なれしてやがる。こいつに催涙吹き付けるスキがない、と美久は思った。美久の突きがかわされる。康夫のパンチがフック気味に美久の顔にめり込む。この野郎、乙女の顔を傷つけやがって。

 康夫のパンチにたじろがず、美久は前に出た。じゃあぁ、バックハンドで首筋に袈裟斬りチョップじゃあどぉかぁ~?橋本真也直伝「ツバメ返し」だぜぇ~!と美久が体を回転させて康夫の首筋にチョップを食らわす。フラッとする康夫。いったぜ、チクショウ!おまけだ!と、美久は康夫の脇腹に回し蹴りを食らわした。しかし、その脚を持ち抱えられた。逆に後ろから羽交い締めにされる。「おいおい、美久さん、こういう場面じゃなかったら、順子や三人組よりもいい女のおまえを犯してやるのにな」と美久の首筋に息を吹きかける。

 いつの間にか楓がどこから探してきたのか鉄パイプを持って前に出ようとする。順子が腹を押さえながら起き上がって手で楓を制止する。「嬢ちゃん、危ないぜ、下がってろよ」という。「じゃあ、順子、このパイプ」と楓は順子にパイプを手渡した。パイプを杖に順子は腹を抑えながら立ち上がった。美久は康夫に後から羽交い締めにされ首を絞められて意識が朦朧としてきた。

 順子は力をふり絞って、美久と康夫に駆け寄ると、「美久、頭を下げろ」と大声で言って、飛び上がりざま、横殴りに康夫の側頭部にパイプを叩きつけた。美久を羽交い締めにしていた康夫の力が抜けた。美久は自由になった。

 さらにパイプをおみまいしようとする順子をゼイゼイいいながら美久は止めた。「順子、それは過剰防衛だ。殺しちゃおまえ重罪になるぜ。その代わりに私がいいものを康夫に食らわしてやるよ」とネックレスを引きちぎって、催涙スプレーを構えて、康夫の目に全量吹きかけた。意識が朦朧となっていた康夫は激痛に転げ回った。

「美久お姉さま、この石、手頃よ」と楓がトコトコとよってきて「こんにゃろ!」と美久が止めるまもなく、康夫の頭にこぶし大の石を叩きつけた。楓さん、やること、大胆、と美久は思った。

 南禅と羽生、タケシがヤンキー共をひとっ所に引きずって集めた。

 順子はぶっ倒れて、腹を抑えている。

 サイレンの音が聞こえ、警官たちがやってきた。楓が警察に通報して、救急車も呼んでいた。

 工場からグラウンドに警官たちがやってきた。楓は腰に両手を当てて「お巡りさん達、遅いよぉー。終わっちゃったよ」と言った。「お巡りさん達、廃工場にいる紗栄子さんと智子さんともう一人は?」と聞くと、節子と紗栄子が拉致された時と同じ警官が「今、救急隊員が手当をしている。しかし、大乱闘だな。こいつらが犯人か?八人か?」と言う。康夫、浩二、ギャルとヤンキーの三人組。

 腹を押さえて横たわっていた順子が半身を起こして言う。「お巡りさん、私もだ。九人だよ」と言った。

 美久が順子に駆け寄る。「痛てて。痛え。クソォ、やってくれたぜ」と順子が言う。「美久、恩になんかきねえからな。笑えよ。康夫と恭子、敏子と恵美子に裏切られた私を。紗栄子と智子は気の毒したぜ。止めようとしたんだがな。信じてもらえないだろうけど」と美久に言った。「このバカヤロウ!順子・・・」と美久。

 楓が「お巡りさん、私と節子さんと佳子さん、救急車に一緒に乗ってっちゃダメですか?紗栄子さんと智子さんがどうなるのか、一緒にいないと。あとで、取り調べ?というのは受けますから」と警官にたずねた。「ああ、この警官と一緒に行ってください」と言われて廃工場に楓と節子、佳子は戻っていった。

 警官が「派手にやったもんだ。早く通報してくれればいいものを」と美久に言う。「お巡りさん、通報するもなにもないよ。紗栄子と順子が智子の後を追って、コイツらにつかまって、こっちはトラッカーでなんとか追跡してここを割り出したんだ。間に合ったかどうか。警察ってのはいつも遅いんだよ。犯罪が発生しないと動かないんだよ」と美久も腹を抑えて言う。

「お巡りさん、ぼくらとコイツラも手当が必要ですよ。追加の救急車とパトカーが必要では?」とタケシ。警察官が「それは手配しています。なんだ、キミは美久の彼氏か。あれ?そこのお二人さんも前の時おられましたよね?」と警官はタケシと南禅、羽生を見て言う。

「ハイ、自衛官です。私が羽生二等空佐、こちらが南禅二等空佐であります」とゼイゼイいいながら場違いな敬礼をする。「お勤めご苦労さまです」と警官も敬礼をし返す。

「南禅、犯人逮捕と正当防衛で言い訳が立つかなあ?自衛官乱闘、なんてマスコミに出るとマズイな。広報にも言っとかないとなあ」と羽生。「まあ、羽生くん、私らはこってり上から絞られますよ」と南禅。

「いえ、お二人は犯人逮捕補助で、まあ、調書は書いておきます。これからどうなるかわかりませんがね。女の子が助かればいいんだが。こっちも所轄の身ですから。千住警察署の生活安全課(少年犯罪担当部署)担当なのか、半グレ絡みで刑事組織犯罪対策課担当なのか、本店(警視庁)が出てくるのか、所轄区域でOK牧場の決闘をやられたんで、こっちも大目玉ですよ」と警官。「お互い苦労しますね?ご苦労さまです」と羽生。

「いずれにしろ、美久、みなさん、みなさんがいなかったら、こんなに早くコイツらを逮捕できなかったでしょう。お礼申し上げます」と警官が敬礼を美久たちにした。

 話のわかる人だわ、このお巡りさん。しかしなあ、これ楓さんがいなかったら、絶対に負けていたね、楓さん、スゲえなあ、と美久は思った。兵藤楓。わたしの義理の妹になっちゃうの?わたしも『兵藤美久』だって!キャッ!おっと、バカなことを妄想してちゃいけない。病院に行かないと・・・

 警官が付近を捜索した所、紗栄子のバイクとカメラバッグを発見した。順子のマンションを捜索すれば、物的証拠も出てくるので、紗栄子が盗撮した動画は副次的な証拠になるが、少なくとも四人がクスリをやっていたことはわかる。紗栄子と順子の会話も動画に残っている。順子の弁護の役にたつだろう。それに、この動画で順子の目が覚めたのが一番大きい効果だった。

第二章十二話 高校三年順子、証拠

 智子と女子大生が打たれたS(スピード、覚醒剤)の主要成分はメタンフェタミンである。お菓子のグミや栄養剤として与えず、注射器を使って首筋に打たれた。なぜ針の跡が残る注射器を使ったのか、動機は不明だ。既に紗栄子から通報をされたと思って、殺害を念頭にてっとり早く殺そうと考えたのかもしれない。康夫の証言によると四本打ったらしい。

 四本打たれたので、智子と女子大生は覚醒剤急性中毒となった。病院のICUで、体内で中毒を引き起こしている覚醒剤の成分を体外に排出させるために、胃洗浄をまず行った。下剤、利尿剤も併用する。強制的にその成分の排出を促そうとした。また、時間が経っている。康夫たちに打たれてから、病院に搬送されるまで一時間。覚醒剤の成分が患者の血液中に吸収されてしまっている。それで、血液浄化装置を利用した。
 
 覚醒剤の致死量は0.5グラムから1g程度。智子が常用していた栄養剤二十本分に当たる。康夫たちは注射器一本を栄養剤四本に仕込んだので、ほぼ智子と女子大生は致死量近くを打たれたようだ。智子と女子大生が楓たちに発見され、救急隊員が到着したときには、彼女らの瞳孔は開きっぱなしになっており、失禁してよだれを垂れ流していた。既に、中枢神経、循環器系に影響がでていた。

 しかし、比較的発見が早かったこと、血液浄化装置を利用したこと、タケシたちの献血もあって、血液を交換したことなどで、どうにか一命をとりとめた。

 紗栄子の場合は、三人組による暴行での内臓破裂だった。腹部、両足と左膝部に擦過傷。一時バイタルサインが安定していた。意識もあった。しかし、医師はWBC(白血球)の異常高値から組織挫滅の可能性、GOT、GPT、LDHの異常から肝損傷、筋挫滅を疑った。医師は緊急開腹手術を決断。なんとか、手術は成功した。
 
 タケシたちは病院のICUから分銅屋に戻ってきた。タケシと美久、楓、節子と佳子。自衛隊組。分銅屋の女将さん。「なんとか助かったが、まだ余談を許さないし、康夫たちと順子の証言もあるものなあ」とタケシはポツリと言った。美久が「これから、どうなっちゃうの」と言う。
 
 羽生二佐が「う~ん、やつらは20才未満だが、これはたぶん殺人未遂と扱われる。殺人にもいろいろあるんだ。故意というのは『犯罪を行う意思を持ってした』殺人、確定的殺意というのは『殺そうと思って、殺した』という殺人、未必の殺意とは『必ず殺してやろうと思ったわけではないが、死んでしまうならそれも仕方がないと思って、殺した』という殺人、認識ある過失とは『死んでもかまわないと思ったわけではないけれども、危険を知りながら殺した』という殺人。検事がどう判断するか、だな。ヤツラの弁護士は『認識ある過失』を主張するだろうけどな」と言う。

 楓が「羽生さん、よくご存知ですね」と言うと南禅が「羽生くんは一時期自衛隊の法務官の補佐をしていたことがあるのよ。法務を掌る自衛官。法曹資格はないんだけど、自衛官の犯罪などで担当していたから知っているのよ。自衛官の採用年齢の下限は18才以上だから、ときたまこういうケースと似たケースが発生するのよ」と言った。
 
 羽生が続けて「今回は成人と同じく逮捕されたね。それで、逮捕から48時間以内に警察官から取り調べを受け、検察庁へ送致される。その後24時間以内に検察官から取り調べを受ける。今、この段階だな」
 
 羽生の說明では、検察官は引き続き少年の身柄を拘束して捜査する必要があると判断すると、裁判官へ勾留を請求する。裁判官が勾留を認めると、原則10日間、身柄を拘束される。未成年は勾留に代わる観護措置がとられる場合がありる。ただ、状況が状況だから、観護措置はとられないだろうと。
 
 もしも、殺人未遂事件で観護措置が決定した場合、少年鑑別所に送致されるケースが多い。検察官は少年をどのような処分にするべきかの意見書をつけて、事件を家庭裁判所へ送致、家庭裁判所は審判を開始するかどうかを判断する。
 
 家庭裁判所が刑事処分にするべきと判断した場合は、検察庁へ送り返される。これを送致の逆の『逆送』という。殺人事件を起こした未成年は逆送される可能性が高いんだ。
 
 故意に被害者を殺人未遂させたと判断された16歳以上の未成年は、原則として逆送されることが法律で定められている。検察庁に逆送された未成年は、原則として起訴される。起訴されると、未成年も成人と同じ公開の法廷で刑事裁判を受ける。
 
 裁判で有罪が確定して実刑となった場合、16歳以上の者は少年刑務所へ、16歳未満の者は16歳になるまで少年院で刑の執行を受ける。その後、仮釈放となれば保護観察所で社会復帰のための指導・支援がおこなわれる。

 美久が心配そうに「羽生さん、後藤順子はどうなってしまうのですか?」と羽生に訊く。「実際、手を下しちゃいないし、本人は刑事に康夫たちを止めようとしたと言っているんだろう?紗栄子は意識不明で証言できないけど、紗栄子の動画に残っていた紗栄子との会話証拠もある」

「でも、康夫たちは、順子が囃し立てて覚醒剤を打たして暴行を促した、と証言している。いい加減なヤツラだ。肝心の紗栄子の意識は戻っていないし。康夫の証言が認められれば、順子は殺人未遂の幇助に当たる。これは幇助犯と呼ばれるが、幇助の意思と因果関係が重要なんだな。順子の主張が認められず、康夫たちの主張が認められた場合、順子は量刑の多寡にもよるけど、最初は少年鑑別所に送致されて、少年院送りになるか、運が悪けりゃ、少年刑務所送りだな。康夫たちは、少年刑務所送りだろう。順子は、少年院送りで済めばめっけもんだよ」
 
 美久が必死で言う。「羽生さん、順子はそんな悪い子じゃない。康夫たちがウソを言っているに決まってます。順子は康夫たちを止めようとしたに決まってます。私は順子をよく知ってるんです。根はいい子なんです」と言う。羽生は「それが刑事を納得させて、検察に回った時どうなるか?状況証拠と証言だけで、あの事務所の中で起こった映像や音声証拠があるわけでもないからなあ。両者の証言のどちらかが採用されるかだよ。それに順子は、売春斡旋、薬物所持なんかがあるからなあ」と言う。

 美久はしょんぼりとうなだれた。節子が「ネエさん、こっちは紗栄子と智子を殺されかけたんですぜ!元はと言えば順子が起こしたことなんだ」と言う。佳子もうんうんうなずく。しかし、美久は「わかってるよ。だけど、節子だって、佳子だって、順子が殺しの行為をほっとくほど悪い子じゃないのは知っているだろう?私は順子を信じたい!」と言った。

 分銅屋に戻って、彼らの会話を聞きながらノーパソをいじっていた楓が「お兄、美久お姉さま、なんとかなるかもしれない、羽生さん、事務所の中で起こったことの音声証拠があればいいんでしょ?」とノーパソを見ながら叫んだ。「なんだ、どう、なんとかなるんだ?」とタケシが楓に聞いた。
 
「それほどまでに、美久さんが順子を信じて、紗栄子さんと智子さんを殺しかけた過剰暴力と過剰摂取に加担していない、あれは康夫たちが勝手にやった、順子は止めていたということが事実だったら、その場面の音声データがあればいいのよね?」と楓が言う。

「そんなものあるわけないだろう?カメラとかマイクとかあの場面でぼくらがデータ入手できるデバイスはないだろ?」とタケシが言うと「あのね、私、みんなに渡したリアルタイムトラッカーのインダラな中国製の回路図を読んだのよ。そうしたら、使われていない振動子が基板上にあって、それがマイクの役割をすることに気づいたの。でも、アプリは振動子のデータを拾っていない」

「だから、アプリのAPIをハックして、振動子のデータも拾うようにアプリを改変したの。データをアップするクラウドに対して、バックドアを仕掛けて、振動子のデータも拾えるようにしたのよ。みんなに教えてなかったけれど、改変したアプリをみんなのアイフォンに仕掛けたの。だって、音声まで拾えたらみんな怯えるでしょう?だから、内緒。もしもの時の保険でね。もちろん、私は聞いていません!」

「クラウドのデータは一定期間で消えちゃうけど、このパソコンに圧縮データを生のパケットデータでDLするように設定しておいたの。今、DLした。それを結合、解凍して、復元すれば、音声データのレゾリューションはどうだかわかんないけど、音声が振動子で拾えていたら、順子が無実か有罪かハッキリするわ。お兄、警官か刑事を呼んできて。警官か刑事の前でその作業をします。警官か刑事が証人よ。クッソォ、康夫ちゃん、このカエデちゃんが地獄送りにしてやるわ!」

 美久が心配そうに楓のパソコンをのぞき込んで言う「楓さん、そんなことができるの?」「美久お姉さま、まっかせなさい!カエデ、この分野で天才よ!」
 
「楓さん、お願い、順子を殺人幇助にさせないで!」「それは、美久お姉さま、音声データを見てみないとわかんないけど、順子が美久お姉さまの言うような人間なら、音声データが証明してくれるわ!」

「よし、警官か刑事を探してここに連れてくるぞ、カエデ!」「それまで、このパソコンは触らないからね。早くしてね!お兄!たぶん微弱な音声データでしょうから、増幅作業して、エンコードして、フィルタリングかけないといけないしね。もしかしたら、科捜研にデータ提出の必要があるかもね」

(あれ?このノーパソ、証拠品で没収されちゃうかも?・・・やばい!パックンとかゴックンの履歴、消さないと!)

 慌ててノーパソを操作し始めた楓に美久が「楓さん、慌ててなにしてるの?」と天真爛漫に聞いた。(この天然!あなたのパックンとゴックンで私人格疑われるじゃん!)「美久お姉さま、このパソコン、証拠品提出になるかもしれないでしょ?だから、わたしの関係ない検索履歴を消去してます」「え?なんの検索履歴?」「あなたの『パックン』と『ゴックン』に関する検索履歴!」美久は真っ赤になった。

 数日後、美久と楓、節子と佳子が鑑別所に行った。順子に面会するためだ。面会は原則として三親等以内の親族、学校の先生などに限られるのだが、順子の事件の当事者であること、楓が順子の音声データを見つけたことなどで、刑事から便宜をはかってもらったのだ。立会人として北千住の美久の知り合いの警察官がついた。特別なはからいだ。面会時間は十五分と定められていた。

 恭子、敏子、恵美子はそれほどの罪には問われていなかった。あの恭子を取り逃がしたのは痛かったが、仕方がない。彼女らはすぐ出所してくるだろう。警察もそれほどヒマじゃない。恭子、敏子、恵美子程度では警察も時間をとられたくない様子だ。売りをやらされていた少女たちもことを荒立てられたくないのだ。もちろん、順子の言っていたオジサマたちは逃げ延びる。これが世の中だ。
 
 彼女らが接見室で待っていると、紺色の鑑別所の制服を着た順子が連れてこられた。(うっほぉ~、映画にあるような接見室なのね)と楓は思った。順子が正面に座る。後ろに鑑別所職員が立った。「接見は15分だからね」と無表情に言う。美久が「順子!」と呼んだ。順子が無表情に美久を見た。
 
「これはこれは美久ネエさん、お久しぶりです。今日はなんすか?鑑別に入れられた私の見学?あれ?この前鉄パイプをわたしてくれたお嬢さんだ。美久ネエさんの彼氏の妹ってやつ?弁護士先生が説明してくれたよ。私が止めたって音声データを提出してくれたんだってね。まあ、お礼はいわなきゃね。ありがとよ」とボソッと言う。

 節子と佳子が順子を睨む。「この野郎、いけしゃあしゃあと。このくそったれ。智子をよくも・・・」と節子が言いかけるが、美久が止めた。「鑑別で乱暴な口をきくんじゃないよ、節子。おとなしくしな。順子、まあよかったと私は思ってる。私はおまえを信じていたからね」

「美久ネエさん、お涙頂戴ですか?止めてくれよ」
「なんでもいいな。おまえは、順子、聞く耳を持たないかもしれないけど、私はおまえを信じていたんだ。おまえはそんなに悪い子じゃなかった。昔はわたしら仲良かったじゃないか。私はずっとおまえを信じる、信じている。刑がどうなるかはわからない。でも、どうなってもちゃんとお勤めを果たして、出てくるんだ。そうして、私ともっとお話するんだ。これでおしまいじゃない。これからも人生は続くんだ、順子」

「ケッ、綺麗事を。まあ、私の身から出たサビだかんな」
「順子、思い出してよ。おまえが万引の犯人に仕立て上げられそうになった時だって、私はおまえを助けたよ。まあ、いいよ。恩になんかきせないよ。じゃあな・・・」こういって、美久は立ち上がる素振りを見せた。

 しばらく下を向いていた順子が「美久ネエさん・・・」と言った。「なんだい?」「あ、ありがとうございます、ありがとうございます・・・ゴメンナサイ」と言って泣き出した。節子も佳子も驚く。あの凶悪な順子が泣くのか?

 美久も涙目になって「泣くな、順子。また面会に来るよ。また来る。じゃあな、楓さん、節子、佳子、帰ろう。もっといると私泣いちゃうよ。警察のみなさん、ありがとうございました」とお辞儀した。振り返らずに接見室を出てしまう。楓と節子と佳子が後を追う。警官が鑑別所員に敬礼をして接見室を出た。順子が美久の後ろ姿に「美久ネエさん、また」と語りかけた。
 
 帰り道で節子がボソッ「ネエさんも人がいいや。順子も鑑別所の職員の心象をよくしたろうね。あの順子がそうそう泣くかい」と言うと、美久が「節子、おだまり。それならそうでいいじゃないか。わたしは相手がどうこうじゃない。自分の信じていることが正しいと思っているだけさ。順子も変わるよ。出てきたら、オマエラはどうでも、私は受け入れてやる」と言った。
 
(美久さん、こういう場面では人格変わって迫力あるじゃん?私の将来の義理のお姉さまは面白い人だこと)と楓は思った。


 紗栄子は、数日の間危なかったが、手術が成功して、持ち直した。回復してきて、ICUを出て一般病棟に移った。面会できる状態になった。早速、節子と佳子がやってきた。

 病室に着くとちょうど刑事が出てくるところだった。例のお巡りさんも一緒だ。「お巡りさん、事情聴取ですか?」と節子が聞くと、「節子と佳子か。おはよう。今日はね、あの順子のマンションを出てから彼女が暴行を受けるまでの間、何が起こったのか、兵藤楓さんの音声記憶もあるんだが、紗栄子から直接事情を聞いたんだ。これでハッキリしたよ。小川康夫と他の連中も相応の罪に問える」

「ふ~ん、後藤順子はどうなります?」と節子。
「なんとも言えないがね。他の罪状はあるが、今回の紗栄子と智子と女子大生の件に関しては、康夫たちを阻止しようとして紗栄子と一緒に尽力したのは明白になったよ。美久の妹分だったし、悪い子じゃないって思ってたがなあ。どこかで道を踏み外したんだろう。人間、運ってことだな。それにしても・・・」とお巡りさんは上から下まで節子と佳子をジロジロみて、「節子と佳子、和服とアメカジか?北千住じゃコスプレが流行っているのか?ヤンキーが和服とアメカジに化けて、世も末なのか、いいことなのか。やれやれ。まあ、キミらもご苦労さんでした」と敬礼をして行ってしまった。

「みんな、私らのこと、コスプレとか七五三とか言っちゃって、失礼しちゃうわ」と佳子が言った。
 
 病室に入ると、紗栄子が半身を起こしてお菓子を食っている。不二家 の贅沢グミ。節子が「おいおい、紗栄子、それ、覚醒剤入ってないよな?」と言うと「馬鹿言っちゃあいけない。病院の売店でクスリ入りのグミなんて売ってねえよ」という。
 
「元気そうじゃねえか?」と佳子が背中に当てた枕を直してやる。「もう、あちこち痛えや。歯もガタガタだよ。グミくらいしか食えねえよ。あんたらもご活躍だったみたいだな?お巡りに聞いたよ。八人に対して七人だって?」と紗栄子。「いや、八人だよ。順子が加勢したからな」と節子。「ああ、順子ネエさんが加勢してくれたのか。やっぱりな。順子ネエさんも昔に戻れればいいんだ」

「だけど、紗栄子、順子は、智子や他の女の子に恭子を使って、クスリでおとして、売りやらせてたんだぜ」と佳子。
「ああ、それはそうだ。だがね、同情の余地もあるよ。美久ネエさんのキラキラで頭がぶっ飛んじまったんだな。私らと真反対の方向にぶっ飛んじまったんだよ」と紗栄子。
「なんだい?キラキラとか、ぶっ飛ぶとか?」と節子が聞くと、紗栄子は順子を探してからのことを一部始終、節子と佳子に説明しだした。


 しばらく経ったある日の土曜日。タケシと美久は東京メトロに乗っていた。タケシの神泉の家に向かっている。またまた、ドアの横で美久がタケシの服の袖を引っ張っている。

「タケシさん、私の格好、大丈夫かなあ?この格好でいい?」
「もちろん、大丈夫だよ。フォーマルすぎず、カジュアルすぎず」
「タケシさんのご両親は私のことどう思うかな。元ヤンだとか、印象悪いよね?」
「カエデがうまく説明してくれてるさ。心配しないで、美久」
「心配だよう。彼氏さんの実家に挨拶なんて、生まれて初めてだもん。ドキドキしてきた」
「え、どれどれ?」とぼくは美久の胸を触る。
「タ、タケシさん、最近、遠慮なくなってきてない?」
「カエデと美久の約束はあるけど、ぼくが美久にこれしちゃだめだ、と約束したことはありません。彼氏が彼女の胸を触ってなにが悪い?」
「いや、そのね、電車の中だよ」
「あれ?美久さん?電車の中じゃなかったらいいんですか?」
「そういう話じゃない!」と腕をバンバンぶたれる。

 神泉の家。ドアフォンを鳴らす。玄関には楓と両親が迎えに出てきた。「美久さん、いらっしゃいませ」と楓の母が言う。「まま、入って入って。美久さん、上がって下さい」とタケシの父が言う。五人でリビングのソファーに座った。正面にはタケシの父と母。対面で美久を真ん中にタケシと楓。

 美久がおどおどとタケシの両親にお辞儀をする。「田中美久と申します。タケシさんとお付き合いをさせていただいています。よろしくお願いいたします」両親も「こちらこそ、よろしく」と言う。

 楓が美久の肩を抱えて「じゃあ、私も紹介するね。こちらは田中美久さん。パパ、ママ、私の将来の義理のお姉さまになる人だよ」と言った。「カ、カエデ、当事者の兄を差し置いて。お父さん、お母さん、ぼくは美久さんと結婚を前提にお付き合いしたと思います。お許しをお願いいたします」とタケシは言った。

 タケシの父が「去年、再婚したと思ったら、もう、新しい家族ができる。こんなうれしいことはありません。美久さん、こちらこそよろしく」と言った。美久はもう涙目。
 
「お姉さま、すぐ泣くんだから。これで、元ヤンの元総長だからねぇ~」と楓。
「か、楓さん、その話は・・・」と美久が言うと、タケシの母が「楓から聞いていますよ、美久さん。この家の将来のお嫁さんは、元ヤンの元総長で、お茶の水女子大の理学部在学で、楓の先輩になるかもしれないのね。面白いわ。人間の肩書なんて関係ないもの。タケシくんはどうでも、この気難しい楓が『お姉さま』なんて呼ぶ人なんだから、大丈夫。美久さん、もう、籍入れちゃって、うちにくれば?」とぼくと美久がのけぞるようなことを言う。

「お母さん、気が早い!」とタケシ。「ママ、それは止めて!今、この二人にこの家でベタベタされたら、私は欲求不満で死んじゃうよ。お兄が私の相手を見つけてくれて、決まったら、そうして!」

「お父様、お母様、楓さん、ありがとうございます」と美久はハンカチを取り出しておんおん泣いている。楓は美久の肩を抱きしめている。

 タケシの父が「こりゃあ、お祝いしないとな。寿司でも取ろう。鰻でもいいかな?そうそう、バランタインの30年、開けちゃおう!」と言った。

 美久とタケシが声を揃えて「バランタインの30年はおやめ下さい!」と言った。

 小さな声で楓が「じゃあ、『神泉いちのや』の上うな重、夜露死苦。追加で肝焼きと骨せんべいも」と言った。


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