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香椎宮を美的面から見つめる

こんにちは。九州ばっかりでうんざりされてしまうかもしれませんが、どうか今回も最後まで読んでいただけると嬉しいです。今回は香椎宮について書いていこうと思います。

1.香椎の歴史

香椎は福岡県の地名です。上のマップを見てもわかるように、神社が多いです。その所以について書いていこうと思います。




時は西暦193年、四代目の天皇である仲哀(ちゅうあい)天皇が皇后の神功(じんぐう)皇后と共に筑後、今でいう福岡県にやってきました。

その時は天皇の権力がまだ九州には及んでおらず、地元の熊襲(くまそ)という人が治めていました。仲哀天皇はこの熊襲を退治しに福岡に来たのでした。

その時、皇后に「熊襲と戦うのはやめて、新羅(今でいう韓国)と戦いなさい」という神からのお告げが降ります。しかし仲哀天皇はこれを無視して熊襲との戦いに臨みました。案の定、戦いのさなか仲哀天皇は熊襲の矢がささり、その後崩御されました。仲哀天皇は橿日宮(かしひみや)で崩御されたので、それが「香椎宮(かしいぐう)」となりました。

仲哀天皇が崩御したことに皇后の神功皇后は嘆き悲しみ、天皇の亡骸の入った棺を、椎の木に立てかけて冥福を祈りました。

この椎の木が「香椎」という地名の由来になりました。

その後、仲哀天皇の皇后である神功皇后は、先ほどの神のお告げに基づいて新羅に攻め、結果朝鮮半島を統一しました。この出来事を「三韓征伐」といいます。(これまでの話は日本書紀にある記述ですのでそれが本当に歴史上で起こったかどうかは定かではないです…あくまで神話なので)




このように香椎宮は天皇家にとってとても大事な神社です。なので普通の神社とは異なる「勅祭社」として大切に守られています。

香椎宮の周辺には、仲哀天皇や神功皇后のゆかりの人物を祀った神社が多く存在します。是非香椎宮に参られたときは、周辺の神社も参拝してみてください。周辺の神社についてこのnoteの最後に写真を載せています。興味のある方はご覧いただけると幸いです。

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↑実際に仲哀天皇の棺を掛けおいた椎の木が残っています!



2.The Art of 香椎宮

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場所 https://goo.gl/maps/ec5ZeA73Dqsv5NYYA

はい、出ました。香椎宮の本殿です。香椎宮は何回か火災にあっていて、現在の本殿は江戸時代後半に再建されたものです。

なぜこの神社を取り上げたのかというと、この神社の建築の様式が、日本でたった一つしかない、とても珍しい建築様式だからです。なのでこの建築様式は、この神社の名前から「香椎造」と呼ばれています。

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正面からみるとこんな感じで左右線対称なのですが、側面から見ると

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このように左右非対称なのです!これが珍しい所以です。前回の天岩戸神社とは全く異なる建築ですよね。


そこで今回は、なぜこのような建築様式になったのか、美術史的、美的側面から考察してみようと思います。



まず、美術史的に考察します。

この神社の本殿が初めて建てられたのは723年です。8世紀初めといえば、飛鳥時代で、日本に仏教が入ってきて少し経ったころです。

このころの美術は「白凰文化」といって、仏教伝来直後の仏像の鉄則であった左右対称、顔の独特な表情がなくなって、より日本風に洗練されてきた時代です。下の仏像は薬師寺にある聖観世音菩薩立像です。白凰文化期の作品の例として挙げておきます。

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このような美術史的流れの中で建てられた香椎宮ですが、やはり左右非対称という面では、当時としてとても画期的な建築だったのではないかと思います。



次に美的面から香椎宮を見てみようと思います。ここからはあくまで私独自の、主観的な見解ですので、このnoteを読んでくださっている皆様は皆様なりに鑑賞していただけると幸いです。



私が図書館で香椎宮について調べていて、ある本の中で興味深いと感じた一文がありました。

「此宮へは大社なりし故、天正の比まて猶神殿美麗にして末社諸堂も幾多あり。」(「香椎宮記事」、貝原益軒)

この文で私がおもしろいと感じたのは「神殿美麗にして」というところで、昔の人も神社を単なる信仰の対象だけではなく、美術作品として見ていたということがわかるのです。


先ほどの美術史的観点からの考察も踏まえて、昔の人は香椎宮のどのようなところを美しいと感じたのかについて、私なりに考察してみようと思います。主に二点あります。



まず、最初に先ほどの美術史的考察からの考えです。

左右非対称というものにもやはり日本人は美を感じると思います。

これは前回天岩戸神社の際にも述べた「不完全さ」の美です。

わざと、シンプルな建築に左右非対称という装飾を加えている。お金もかかるのに。

ということは、建てた人もこの左右非対称に美を感じていたという証拠になるのではないでしょうか。



そして二つ目、美的面から考察します。

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この写真は香椎宮の入り口にある楼門の写真です。

2つ目のポイントは、装飾がすごいということです。もう一つ本殿の写真を上げます。本殿は塀にかこまれていて、きれいに撮影することはできなかったのですが、それも「不完全さ」の美ということで鑑賞してみてください(笑)

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ほんとに申し訳ないです。これが私が写真でとれる限界です。もっと詳しく見たいという方は是非実際に参拝してご覧になってください🙇‍♂️🙇‍♂️

少し本殿が見えると思うのですが、朱色の建築に、金や、その他極彩色の装飾が見えると思います。


先ほど取り上げたの一文で、「此宮へは大社なりし故」美しいとあって、やはり昔の人も、「荘厳さ」というものも美を感じる要因だったのではないかと考えました。

しかし、現在の建物は江戸時代に建てられたものなので、現在の装飾が創建当時のものと同じものなのかはわかりません。江戸時代の寺社建築は荘厳な、派手な装飾が多用されているので、後の時代に付け足されたものなのかもしれません。まあそこは歴史のロマンとして、大昔に思いを馳せてみるしかないですね(笑)





私は以上のように考えました。このnoteを見てくださった方は是非この写真を美術作品のように考えて、いろいろ考察や鑑賞をしてみてください。この写真から考えたことや感じたことは一言でもいいのでコメントしていただけると嬉しいです!!



3.まとめ

ここまで香椎宮について歴史的に、美術史的に、美的に、考察してきました。私もまだまだ知らないことが山ほどあるのでぜひアドバイス等頂けるとうれしいです!




4.おまけ

今回も前回に引き続き、Jinja with Jazz!!

この企画では私の趣味であるJazzから、今回紹介した神社にあった曲を選曲してみたいと思います。

今回紹介した香椎宮に合う曲は.........


Ain't Misbehavin' ~Fats Waller~

Keith Jarrettは吃音といって最初は少し聞くのが嫌になるような声を発します。最初はうるさく感じるのですが、作品を多く聞いていくうちに、だんだん気にならなくなって、美しい音色だけが残る。そんなピアニストです。

しかしKeith Jarrettは最近、二回目の脳卒中で演奏が困難になってしまいました。香椎宮も何回も焼失しています。しかし、いままで様々な形でその美を守り継いできています。そのようにKeith Jarrettもまた回復して演奏をできるようになってほしいと強く願っています。

是非何度も焼けては再生してきた香椎宮と共にKeith Jarrettを聞いていただければ嬉しいです。



5.香椎宮周辺の写真

では最後に香椎宮周辺の神社等の写真を載せて終わります。パンデミック下で、ひと時でもそのことを忘れて、歴史に、美に、思いを馳せていただければ幸いです。


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※今載せた写真での質問やアドバイス等を一言でもコメントしていただけると嬉しいです。

あと、前回のnote「高千穂の神社を美的面から見る」を200回近くも見ていただきました。また、コメントも多数いただき心から感謝いたします🙇‍♂️🙇‍♂️とても励みになります!!

また、だいたい一週間刻みぐらいでnoteを書いていこうと思っています。これからもどうか温かく見守っていただけると嬉しいです。

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