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14歳になった長男に、想うこと

長男が14歳の誕生日を迎えた。

思春期を迎えてる長男と、ここ最近ボディタッチのコミュニケーションなどすっかり疎遠になっていたけど、起きぬけ1日でいちばんテンションが低いタイミングにいの一番におめでとうを言うべく、キッチンにごはんをよそいに来たときに隙をみてギュッと抱きついて、「お誕生日おめでとう」と言ったら、少し照れた顔して「おぅ」と言ってくれた。

身長を抜かされて、華奢ながらも少年から青年らしい体つきになった長男は、もう抱きしめるというより抱きつく感覚で、その変化に少しずつそして着実に、わたしの手から離れていくのを感じる。

あんなに小さかったのにね。

毎年変わらず思う。不思議なくらい彼の誕生日は毎年、今日と同じく雲ひとつない晴れた日ばかりで、それは彼が生まれたその日その瞬間も同じだった。初めての出産で体がバラバラになりそうな痛みを経て放心状態で見上げた空があまりに青くて、そのときと変わらぬ青空を見上げるたびに思う。あんなに小さかったのに。

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あっという間に大きくなったようで、はじめての子どもだからこそ全てが初めてで、全てに迷い悩み、きっと間違えたこともいっぱいあったし、短いようで長くて濃ゆい日々だった。

先日ふとしたやり取りから、いま彼が抱えてる悩みを垣間見せてくれたことがあった。

親の勝手すぎる願いとしちゃ、我が子にはできうる限り楽しくうれしい感情だらけでできるだけ長い時間を過ごして欲しいと思うけど、現実はそうはいかない。分かっちゃいるけど、そんな意外な悩みに戸惑い、ワタワタと上手いアドバイスができないわたし。

そうしたら横から旦那さんが、そんな風に自分が思ってることや悩んでることを口に出せるってめちゃくちゃすごいぞ。なかなかできることじゃない。周りのひとにそうして言葉にして想いを伝えられるって、素晴らしいな。めちゃくちゃかっこいい。と、言った。

目から鱗なわたし。悩みを口に出す中学男子ってそうか、かっこいいんだ。言われてみたらそうかも、と気付く。ひとり悩んで抱えてぐちゃぐちゃにならないように、少ない言葉でも必要なタイミングで自分の体からガス抜きができるって、素晴らしいことなんだよね。

普段母親に対してより父親に対して反抗的で、旦那さんとあまり会話しなくなってる長男も、少しその言葉には感じるところがあったんじゃないかな。母親であるわたしには発想すら持てなかったその視点に、同性として感じて受け取れるだけの器が彼にあることを願いたいなと思う。


14歳、多感な時期だからこそ周りをよく見てるし、感じ過ぎるほど感じてる。そして、少ししんどい想いや経験があるからこそきっと、ひとつまた大きくなるんだよね。

幼いころから落ち着いていて、あまり感情を表に出さない長男。精神年齢の高さや独特の感性が、彼のすこぶるいいところでもある反面、時期や環境によっては息苦しさや生きづらさにもなり得るのだと思う。

これまでのようにもう、手取り足取り助けたりアドバイスして解決に導くことはできない問題。彼が自分で考え、取捨選択していかねばならないこと。親は見守るしかない。


ここ最近我が子はわたし達親の人間としての至らなさを気づかせ、成長させるためにわたし達のところにやってきたのだと思えて仕方がなくて、だからこれだけバラエティ豊かな3人がわたしのもとに生まれてきたのかな、と信じてやまない。(要はわたしが至らないところが多岐にわたってる、てことですね。)

長男は、常々どんなときでも冷静さを失わず、静かに自分を見つめて対処することの大切さを教えてるためにわたしのところへ来てくれたのだと思えて仕方ないのだけれど、

どうやら必要最低限かつ必要充分な表現で本心を伝えることの大切さも、今回教えてもらったような気がしてる。

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あいつ、いい男になってきたな。めちゃくちゃかっこいい。

長男の悩みを聞いて、そのあと夫婦で話していたときに旦那さんが言った言葉。

わたしもそう思う。


すこぶるな親バカだけどね、もうあなたの人生に手出しできない年ごろになったから、ただあなたの力をひたすら信じて、そして14年間変わらずずっとずっと大事な存在なのだということは声を大にして伝えていく。

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いくつになっても、わたしよりデカくなろうとも、おっさんみたいに太い声になろうとも、大好きなのは変わらないもの。


日々共にたくさんの学びを与えてくれる尊き存在に、心の底から感謝します。14年前、わたしのもとに生まれてきてくれてありがとう。

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