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長男と母、パンケーキの朝

昨日、長男の中学校生活最後の大会があった。
リレーと、棒高跳びに出場した長男。
メンバーに恵まれて、3年になってからの大会では上位8位まで出られる決勝戦出場も、表彰台も狙えるようになっていた長男のリレーチーム。

2走の駿足メンバーからバトンを受け取った3走の長男、1番前を疾走していく姿にわくわくドキドキ。アンカーにバトンを渡すところで、失敗した。前に出るアンカーを必死に追う長男、自身の足の回転数とバトンを渡すタイミングが混乱したように、あと少しのところで前につんのめり、転倒してしまった。きっときっと、あそこで上手くバトンが渡せていたら決勝戦に出られていたのかな。

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トラックから引き揚げるとき、数歩歩いてから空を仰ぎ見て全身の力が抜けたように膝をつく長男。一瞬がっくりと項垂れた彼に、アンカーのメンバーがそっと肩に手を置いてくれてる様子が観客席からも見てとれた。

なぜかそのとき、歩きはじめの長男が転んで痛いよーと泣いていた様子がわたしの頭に思い出されて、でもあのときと今では、彼自身が辛さや痛みを消化していく力を身に付けたところに大きな違いがあって、駆け寄り抱っこしてよしよしできた頃は、その触れ合いでわたし自身もずいぶん救われていたんだな、と気付いた。それが彼に必要でなくなったいま、わたし自身が彼との関係性にある一定の線引きが必要になったんだな、と。

子どもの成長はうれしい反面、親にもそれなりの覚悟や成長を強いられることなんだね。
線引き、と言ってしまうとちょっとドライすぎるようにも聞こえるけど、親子という近しい関係性だからこそ必要なこと。彼は彼、わたしはわたし。彼の問題に干渉し過ぎないことで、身に付けていくことも学んでいくこともある、本当は手や口を出したいし、そうしたほうが余程簡単なんだけど。


3年間最後の大会、棒高跳びの最期の跳躍を終えてマットの上で一瞬呆然とした表情をした彼。眼鏡の下を拭う様子に、いつも飄々として、普段からそれほどの熱意を親であるわたし達に見せることはなかったけれど、きっとたくさんの熱意を抱えて臨んできたことが伝わってきた。
コロナ禍の不条理をも淡々と乗り越え、自分たちなりに出来ることを重ねてきたんだね。

高校生になって継続するかは分からないけれど、でもこの中学校生活を大きく支えてくれた場所であったことは間違いなく、そしてそこで得たものは計りきれず。その分、きっとしばらくは喪失感、今日は廃人のようにゴロゴロウダウダしてる。笑

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今の母として彼に出来ること、朝ごはんのリクエストを聞いたらパンケーキだと言うので、生地をぐるぐるかき混ぜていたら長男が生まれたときのことをふと思い出した。

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実家帰省して長男を出産し、退院後1か月間を実家でお世話になっていたときのこと。初めての出産、慣れない授乳と朝夜関係なく起こされる生活に、絵に描いたように髪を振り乱し目をパンパンに腫らせて一杯いっぱいになっていたわたし。とある日の母が用意してくれた朝ごはんがパンケーキだった。

母が焼き立てを用意してくれたけれど、産後すぐは授乳が思うようにいかず毎度悪戦苦闘してたから、そのときもあっという間に時間は過ぎ、わたしが食卓についたころにはすっかり冷めてしまっていた。
すると母は、さっと新しいパンケーキを焼いて熱々をわたしのお皿に、冷めたほうのパンケーキを自分のお皿に移して、さあ食べよう、と言った。

自分が母親になり、想像以上にすべてが上手くいかないことに凹みまくっていたそのときのわたし。その母の些細な行動が自分に向けられることの不似合いさに、温かいパンケーキのほうが美味しいに決まってるのに、と可愛げなく呟いたら泣けて仕方なくて、涙ぐちゃぐちゃになりながら温かいパンケーキを自分の中に押し込むように平らげた。
すると母は、母親ってそういうものよ、と静かに言いながら冷めたパンケーキを美味しそうに頬張ってくれた。

今朝、パンケーキの生地を混ぜながらあの朝のことを昨日のことのように思い出して、きっと今わたしに必要なメッセージなんだなと、思った。

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子どもたちの様々な成長や変化を間近で見ながら、その時々に必要な、必要十分なフォローを。一定の線引きを保ちつつ。

「母親って、そういうものよ。」

母のクールなひと言を思い出す、朝のパンケーキ。
すっかり成長した子どもたちと一緒に食べる温かいパンケーキはすこぶる美味しかった。



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