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朝の瞑想

毎朝瞑想をするようになって、2年ほど経ちました。
きっと何らかの意味があるような気がするけど、わたしのこの朝の瞑想歴はこのコロナ禍と共にあります。

瞑想とはいえ、短ければ5分ほど、ヨガの前後に姿勢を整えて静かに自分の呼吸に意識を向ける時間を持つだけ。
短い時間だけど、毎日繰り返していたら、やらないと気持ちが悪くなりました。継続するって、やっぱり大事です。

深い呼吸を意識して、自分の様子を確認すると
ざわざわしてまるで集中できない日もあれば、
いつもに増してふんわり温かい幸福感を感じるときもあるし
深い呼吸が叶わなくて力任せに呼吸を深めようとしてしまう日もある。
やたらと忙しない気持ちが呼吸に表れてると感じるときもあれば
前のめり気味な姿勢で自分の「してやったろ」感を痛感するときもあるし
自分を信じてないんだなと痛感することもある。

毎朝、小さいながらも何かしらの気づきがあります。
自分自身の体や呼吸の様子から気持ちや心の状態が見えてきます。自分をちょっと斜め横ぐらいから俯瞰しているような感覚。

今朝は、なかなか瞑想の時間に集中できない自分が居ました。
ここ数日、と言ってもいいかもしれません。ずっとそわそわして、集中しようとすると動きだしてしまっていた。
朝、家族を送り出す前にやるべきことをして、自分の身支度や朝ごはんの前の束の間時間。バタバタしている時間だからと言い訳もできるけれど、その時間を敢えて選んでいるのも自分。
いまわたしは、自分の気持ちに向き合うのを避けようとしているんだなと感じた。

ここ1ヵ月ほど、食いしばる癖が強く出ていて頭から肩まで重くなるほど緊張していたのだけど、それを先日解いてもらったときに、一体わたしは何を堪えているんだろう、と感じていた。
堪えていた自分に気付いた今、さらに自分に向き合ったら何かしでかしてしまいそうで、きっとわたしはそれから逃げようとしてるんだろうな。

まったくチキンだな。
と思う反面、いま大事だと思うものを守るためにチキンになってるんだろうな、とも思う。

以前は、その気付きから変わるためには、改善するためにどうしたらいいんだろう、と瞑想後に考えていたけど
最近はまずは日々変わる自分の気持ちや状態に気付いて、どんな自分をもまるっと受け容れるための時間なんだと割り切るようになりました。

焦ったり、迷ったり、怠けたり、逃げようとしたり、嫉妬したり、
そんな自分でもいいじゃないか。まずはどんな自分も受け容れていくから
自分の懐は少しずつ広がっていくんじゃないかな、と思うし

懐広くなっていくときっと、そんな改善したいなと思っていたところも自ずと変えられていくものじゃないかな、と思うのです。考えて変えられるものでなく。


それが2年間継続したいまのわたしが思う、定期的に瞑想する時間を持つことによって得られたもの。
自分に向き合うのは、正直キツいこともあります。自分がいかにイケてないかも受け容れざるを得ないし、だからと言って明解な答えが出せるわけでもない。
でも、自分のすべてを受け容れられるようになるって、この上なく幸せなことかと。

自分の幸せは自分で得ていくものだし、自分の責任は自分で取れる大人でいたいなと思う。
そのために、日々少しずつでも自分の体と心に向き合う時間を持つようにしています。




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