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母、旅に出る

今週、金沢に行ってきた。今夏の沖縄旅に引き続き、姉のワ―ケーションに乗っかる二度目の旅。


来週金沢出張なんだよね、良かったら来る?という姉の言葉に心身が疼いた。そろそろ旅に出たい、という以上にそろそろ自分を半径3キロ以内の生活から解放したい、そんな気持ちだった。

主婦という立場ゆえ、3人の子どもたちをはじめ家族を中心に時間と労力を費やす生活が今のわたしのスタンダード。そんな何でもない日常が日々続くことは、小さくともきっと一番の幸せ。でもね、そんな日々が当たり前になっていくと、少しずつわたしの中に何か堆積していく。まるで毎日使っている部屋でも、窓の桟にうっすらと埃が溜まっていくかのように。そろそろそんな埃を取り除きたい、と心が叫んでた。

出発の朝、金沢で美味しいものをたくさん食べるぞと朝ごはんを抜いたのに、家を出る前にお腹が空いたときのためにとおやつ箱を探る自分がいた。子どもが小さい頃、移動中に空腹で子どもたちが騒ぎださないようにとおやつを持って出る習慣が抜けない自分に、笑いがこみあげてくる。出発前から、家族と離れる心構えがなってないじゃないかわたし、と。

出来るだけ早く出るため最低限の家事に留めるはずだったのに、子どもたちが帰ってきたときにとおにぎりを用意したり、置手紙を書いたりと予定外の動作が増えて、家を出るのが直前となってしまいバタバタとサンダーバードに飛び乗る。ようやく腰を据えて車窓の景色がどんどん田園風景になっていく様子を眺めながら、家族から束の間離れて旅に出るって、まるで大掃除のようだなとぼんやり考えた。

行くと決めるまでは、なんだか煩わしい。家族のスケジュール調整、家事の段取りを想像したらまずは出るのですら億劫になりがち。でも、決断してしまえば旅への想いは高まり、いざ旅先では非日常を味う中で日ごろ堆積していた埃が取り払われていくのが分かる。家族の興味や予定に振り回されることなく、自分自身の感覚だけで決めて動ける清々しさ。そうして自分の欲望を思う存分解放したら、家族に猛烈な愛おしさがこみ上げてくるから不思議だ。美味しいものを食べれば家族に食べさせたいなと思うし、美しい景色を見るとこれを見たら家族は何と感じるんだろう、と想いを馳せる。そう、大掃除をしてぴかぴかになった部屋の中で、よしこの綺麗な部屋をずっと維持するぞと決心するのと似ている。

金沢駅に着いたら、雨だった。北陸ならではの冬空を見上げて、京都は晴れてたのになと傘を広げた。3年前の母の日に、次男が傘を持ち歩くのが嫌いなわたしのためにプレゼントしてくれた超軽量の折り畳み傘は、しばらく歩いていたら北陸の暴風雨にまんまとひっくり返された。勘弁してよ、と思いながら数百メートル歩いたら雨が止んで晴れ間まで差してきた。北陸の冬の天気は変わりやすくて、鬱憤が溜まってるときのわたしの機嫌のようだ。そんな不機嫌な雨から身を守ってくれるのが我が子からもらった傘だというのが、なんだか考えさせられるよね、と思いながら近江町市場まで歩く。

市場で腹ごなしを、と思うもどこもかしこも行列だったのでGoogleMapで検索してランチ時を過ぎても営業している近所のお寿司屋さんに向かう。路地裏の寂れた店の風貌におっかなびっくり扉を開けたら、数席のカウンターの向こうにいた店主のおじさんが、変な時間に表れた女性のひとり客をやっぱりおっかなびっくり迎えてくれた。この店大丈夫かと不安を抱くわたしと、ランチタイム外に来るこの客どうなんだと訝し気な店主。お互いの気持ちを表すかのようなぎこちない注文を済ませると、正面の壁に「この土地で46年営業」の張り紙を見つけた。この狭い店内でおじさんと向かい合い、黙々とお寿司を食べたら美味しいものまで不味くなる。絶好のアイスブレイクネタを見つけた気分でおじさんに話しかけた。

中卒で寿司屋修行に入り、ここで寿司屋をはじめて47年目になること。昔はこの界隈で40軒以上寿司屋があったのに、回転寿司ブームに押されて今や半分以下になっていること。インバウンド需要で近江町市場をはじめ、金沢市内もずいぶん変わったこと。4人の子どもを育ててきたこと、でも寿司屋になれとは思わなかったこと。これまでの、そしてこれからの社会に思うこと。
さすがお客さんと向かい合って50年以上商売をしてきたおじさんの話は面白くて、こういう出会いがあるから旅はたまらないのよねと思う。

みんな足並み揃えて同じレベルで学ぶこと、働くことを求められてきたこれまでの社会。でも、それぞれのペースがあり、ゆっくりのペースだから見えることや出来ることもある。そんなさまざまな個性が、社会の彩を豊かにすると思うんだよね。おじさんから発せられる言葉に頷きながら、わたしはお寿司を口実にこのおじさんに会いに来たんだなとすら感じた。
子どもさん、大事にしてね。僕は子どもが出来たから大人になれたんだよなぁ。最後におじさんが呟いた言葉が、旅から戻った今も耳から離れない。


その後一服した甘味処で2年前に旦那さんと一緒に過ごした時間を思い出し、姉と晩ごはんを食べながらこの魚なら子どもたちも喜んで食べるかなと想像し、翌朝金沢城公園や21世紀美術館を散歩しながら、子どもたちはそれぞれ今日を楽しんでるかしらと想いを馳せていたら、1泊2日の旅はあっという間に幕を閉じた。


家族と離れて出る旅は、物理的な距離は広がる代わりに、精神的な距離はより近づくような気がしてる。
そうして過ごす時間が、母の燻ぶった心の塵を払い心身をリセットしてくれるんだよね。勘のいい我が子にはそれが分かるようで、帰って食卓を囲んでいたら早々に「また行っておいでよ、1泊じゃあっという間でしょ、2泊してきたらいい」と言われた。

そうだね、塵が積もって不機嫌な空模様にならないよう、遠慮なく行かせてもらおう。

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