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そのマスク、いつまでするの?

コロナ禍を表すもの、と言えば何だろうか?

この3年ほどのコロナ禍で、これまで馴染みのなかったキーワードが数々登場し、それが気付いたら生活の中で頻繁に使用されるようになった。緊急事態宣言、PCR検査、ソーシャルディスタンス、三密回避……なんて言葉たちはそれらを代表するものだと思う。一方、これまでも存在はしていたけれど、こんなに日々目にすることになろうとは、というものがマスクではないだろうか。

3年前の冬の終わり、新型のコロナウィルスが中国の武漢で発生し、それは未知ゆえにそれはそれは恐ろしくて、感染力も致死性も高いらしい。やばいやつが日本に来たらしい、そんなニュースと共に緊急事態宣言が出された。子どもたちの学校は3カ月も休校になり、夫は会社に出社できなくなって大型スーパーは突如休店し、かつて観光客で溢れていた街中からは人が消えた。3カ月間もの間、迂闊に外を歩き回れない代わりに家の中は毎日家族の面々が向かい合うことになり、3食の食事作りと家族の小さな諍いが繰り返す毎日に気が触れそうになったころ、学校と職場の再開が決まった。ようやく手にした日常の再開はしかし、マスク着用が必須となった。長男が中学校に、娘は小学校入学のタイミング、マスクをしたままの顔しか知らない新生活のスタートだった。

それから3年、マスクの着用は日本社会を渡り歩くのに必須事項になったきらいがある。1年目は屋内だけ着用、の空気感だったのが2年目には屋外ですら着けるのが当たり前になり、真夏の気温40℃を超えるような暑い日ですら真っ赤な顔をながらなおマスクを着け、3年目に屋外はマスクを外しましょうね、という厚生労働省からの通達にも状況は変わらなかった印象がある。

と、そんな人ごとのような口ぶりなのはきっと、わたし自身がこの3年間ほとんどマスクを着けずに過ごしてきたからなのだと思う。

なぜこのコロナ禍、マスク社会でもなおマスクをしなかったのか?といえば、とにかくマスクが苦手、ということが一番の理由。そして、コロナ禍が始まったころは、未知のウィルスが日本を襲ってきたらさぞかし多くの人びとがバタバタと倒れていくのかと恐れおののいていたのだけれど待てど暮らせど周りで誰ひとり倒れることがないことに疑問を感じ、情報を集めるうちにこの騒動があまりに胡散臭いと感じたことが、もう一つの理由。せっせと着用を推奨されているマスクは、感染予防のためではないのだろう、というのがわたしなりの持論だった。ヨガをしている身として、健やかな呼吸を阻害するマスクを日がな一日することへの危機感も大きかった。

マスク着用が当たり前になっている社会の中で、マスクをしない。思った以上にエネルギーを要することだったし、後ろ指をさされるような目線に遭うことは日常茶飯事、マスク着用を指示されて不快に思うことももちろんあった。マスク着用必須の場所は避ける意識が働いたし、そうすると自然と行動範囲が狭くなるというデメリットもあった。

学校でマスク着用に慣れた子どもたちには一緒に歩くことを避けられもしたし、忖度マスクは主に子どもたちのため、なんていう現実もあった。とはいえ、我が子たちはこの時期に変に尖った母親のおかげで嫌な想いをしたこともあったんだろうな、とも理解している。

そんなこの3年間のわたしの行動は、マスクの着用を自分の意志で決められる立場だったから出来たこととも、言える。子どもたちの学校や夫の会社のように、多くの人と関わる場所、ルールに縛られた世界ではやろうと思っても叶いにくかったこと。
家族が皆、たとえ必要性を感じていなくとも、不本意ながらも着け続けていた姿を見てきたから、自分がどれほど恵まれた状況で生活してきたのかも解っている。だからこそ、3年間も続いてきた顔が半分見えない生活の一日も早い終焉を、心底願ってきた。子どもたちが3年間も、同級生とマスク越しでしかコミュニケーションを取れない日々が一日も早く終わって欲しかった。

そして今年の3月13日、その日程設定の理由は分からないけれど、マスク着用は終わりにしましょうという通達が国から出た。待ちに待ったマスクフリー生活!心躍りながら迎えたその日、外出してみたら相変わらず顔半分がマスクに覆われた人びとだらけの、状況の変わらない街中の様子に驚いた。日本人大丈夫かマジで?!とすれ違う人びとの肩を掴んで揺すりたい衝動に駆られる気持ちだった。

「マスクを着けましょう」「マスクを外しましょう」そんな国からの指示に準じるだけ、というのも所詮おかしな話。そして3年間も日常的に着用してきたマスクを急に外せと言われましても、という気持ちも分からないでもない。ただ「マスクを外しましょう」では指示として弱いから「マスクをするな」くらいの強さがないとマスクを外せないという声を聞くと、常日ごろから自分の意志で自分のことを決めて、人生歩んできているかを振り返ってもいいんじゃないかとすら、わたしは感じている。

3月13日から2週間ほど経過し、それまでスーパーや電車の中でノーマスクはわたし一人きりだった状況から5人ほどになり、さらに日を経て10人ほどに増えたように感じている。日々少しずつ、僅かながらも増えていくノーマスク族に小さな安堵と仲間意識を感じつつ、わたしはずっとずっと願ってる。
自分が周りからどう思われるか、それ以上に大事なことに出来るだけ多くの大人が気付くことを。

顔の半分が隠されだけで、ひととひと、向かい合ったときの距離はずいぶんと大きくなる。そんな社会で、そんな人間関係の中で心身が育まれる子どもたちの影響を考えたら、大人がすべきことが見えてくるんじゃないかな。

その上で、尋ねたいのは

あなたはそのマスク、いつまでするの?


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