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ものごとの“書きどき”について

仕事に“辞めどき”があるように、株に“買いどき”があるように、ものごとには“書きどき”がある。

今まさに悩み苦しんでいることを書くのか、かつて悩んでいたことを書くのか。現在進行形の恋愛について書くのか、終わった恋について書くのか。“今伝えたいこと”を書くのか、“伝えたかったこと”を書くのか。「書きどきをいつと捉えるか」に、その人の美学が反映される気がする。


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ところで、私はかさぶたをすぐ剥がしてしまうクセがある。数日前も、腕のかさぶたをついペリッとやってみたら思いのほか血が出て、わあ!と焦ったばかりだ。

書くという行為は、かさぶたを剥がすことに似ている。

「書く」は、今まで自分にしか見えなかったものを初めて他者に見える形にして、他者に解釈の余地を与えること。つまり、自分の一部を自分の体から切り離すということだ。

まだ自分の中でも処理しきれていないことを書くのは、じゅくじゅくと血が出ているかさぶたをむりやり剥がすようなものだ。逆に、すっかり遠い過去になった、思い出しても痛みを伴わないことを書くのは、乾ききって完治したかさぶたを剥がすようなものだ。

“書きどき”はつまり、かさぶたを剥がす適切なタイミング、ということになる。


私は、完治する一歩手前のかさぶたを剥がすみたいな、ぴりっと少しの痛みを伴う時期を、“書きどき”だと思っている。恋愛で例えるなら、進行形の恋人ではなく、完全になんの感情も抱かない昔の恋人でもなく、過去系ではあるけれど結婚報告を聞いたらちょっとだけ心がざわつくような、そういう人について書きたいなあと思う。

まだ血が流れている状態では痛々しすぎるし、乾ききったかさぶたを何の痛みもなく剥がすのは味気なさすぎる。その、乾ききる直前の、ぽつっと血が出るくらいの一瞬のタイミングを掴みたい。

そして、その一瞬を捉えて書かれた文章には、やっぱりどうしても惹かれてしまうのだ。


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以前、尊敬する某編集者さんが、「『これを書くなら今しかない!』のタイミングを掴み損ねるのが、一番良くないことだよ」と言っていた。ニュースや取材記事は言わずもがな、自分の中にある“書きどき”も、逃さずいたいなあと思う。

あしたもいい日になりますように!