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旅の朝

人生でいちばん最初の旅行はいつだろう、と記憶をさかのぼると、あるひとつのシーンが浮かんでくる。

まだ真っ暗な、夜中と朝方の間くらいの時間。パジャマのまま母親に抱きあげられて、ゆらゆらとどこかへ向かう。半分夢みたいな頭で車のドアが開く音を聞いて、そのまま布団を敷き詰めた後部座席に乗せられる。エンジンの振動を感じながら、そのまままた眠りに落ちる。

たぶん4、5歳くらい。長野に向かう朝の一幕だ。

子どもの頃、わが家には毎年8月に長野県上田市の知人を訪ねるという恒例イベントがあった。まさに『サマーウォーズ』に出てくるみたいな大きな古民家に、何家族もが集まって数日を過ごす。ビニールプール。スイカ割り。花火。畳での昼寝。いま私が「夏」という言葉を聞いて思い浮かべるイメージの原型は、たぶんあの頃の上田が作っている。

そして、私の「旅」のイメージの原型もまた、あの日の朝が作っている気がする。

上田に行くのはいつも車だった。お盆休みで道が混む時期だから、ものすごく早い時間に出発する。夏の盛りなのに真っ暗だった記憶があるから、きっと4時とか、そのくらいの時間だったのだろう。世界が寝静まっている時間に出発するという特別感。楽しいことしか起こらないと保証されている場所に向かう高揚感。今にもはち切れそうな気持ちが、あの朝方の一瞬に詰まっていた。

そのせいか、今でも「旅に出るのならば夜明け前に出発したい」と思っているところがある。早起きが苦手なくせに、旅の朝だけは別だ。空港に向かうスカイライナーの窓から朝焼けを眺めたいし、真夜中に離陸した飛行機が、目的地に着く頃には光に包まれていてほしい。そんな瞬間を経験できたのなら、その旅はもう満点と言ってもいい気がする。

気がする、のだけれど。

私はもういい大人なのに、できればあのときみたいに寝ぼけ眼のまま誰かに抱っこされて、どこかに連れて行ってもらうのが一番だななんて思ったりする。行きたいところがあればどこにだって行けるけれど、あんな旅の始まりはもう経験できないのだ。そう思うと、自分がとても遠いところに来たような、ぽつねんとした気持ちになる。

次に夜明けとともに旅に出られるのは、いつになるだろうか。

「ソファでわたしは旅をする」は、"空想の旅"がテーマの共同マガジンです。


あしたもいい日になりますように!