“幸せ”とか“自己肯定”と呼ばれるものの原型について

長らく彼女と同棲している友人Yが、飲み会でこんなことを言っていた。

「彼女は、自分自身のことをよく知っているのがすごいと思う。たとえば“牛肉を2日続けて食べるとおなかの調子が悪くなる”とか、“ポリエステルが入った服を着ると肌がカサつく”とか、全部ちゃんとわかってるんだよね」

彼女には持病があり、食べるものや身につけるものにはかなりセンシティブなのだ、というのは前から聞いていた。

それにしても、身の回りのものが自身に及ぼす影響をそこまできっちり把握しているのは、たしかにすごい。


その話とはまったく別だけれど、とある起業家の方が「僕は23時に寝て6時20分に起きる7時間20分睡眠が一番合うんですよね」と言っていた。

自分に合う睡眠時間を分単位で把握してるなんて、衝撃である。少なくとも私は、「8時間くらいは寝たいかな〜」程度だ。


そして、それらの話を聞いて初めて、「未だに自分のことを何も理解していない自分」に気づいたのである。


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最近、「疲れたら潰れる前に休めとみんな言うけど、休むって具体的にどうしたらいいの?」という声を聞いた。その気持ち、私もとてもよくわかる。

そして、「自分がどうすれば“休める”のかわからない」という状態こそが一番やばい、それが諸悪の根源だよね、とも思う。


自分のことをわかるのは、究極的には自分だけだ。

温泉に行ってぼーっとするのが最高のリフレッシュだ、という人もいれば、湯船に長く浸かると疲れるからとにかく寝るのがいい、という人もいる。

強引に休みをとってとにかく旅行しろ!という人もいれば、疲れているのに知らない土地なんか行ったらもっと消耗しちゃうよ、と感じる人もいる。


休むってどうしたらいいの? の答えは、テレビを見ても雑誌を読んでも、Googleに聞いてもわからない。

「これ、どう?」と自分自身に問いかけるしかないのだ。

しかも自分というのは意外とクセモノで、「これ、どう?」と聞いたところで的確な答えが返ってくるとも限らない。周りの意見やそのときのブームや、その他ありとあらゆるものの影響を受けて、なかなかくっきりと輪郭を表してくれないものなのだ。


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年を重ねるほど、自分のことはよくわかると思っていた。だけど、周りの雑音もどんどん増えていくから、むしろその逆だ。ということに、最近ようやく気づきつつある。

これは、おいしい。これは、気持ちいい。これは好き、これは嫌い。そんなシンプルなことを、クリアにわかり続けたい。雑音の中から、ちゃんと主音を拾いたい。

自分の中にある音をくっきり聞き取ることが、“幸せ”とか“自己肯定”と呼ばれるものの原型なのではないかと思うのだ。


ある友人が、「朝起きて『あ、今日無理』と思ったら、すぐ会社に『体調悪いので休みます』って電話してから携帯の電源切って、そのまま海に行く」と言っていた。それくらい潔く、自分が気持ちいいと思えることをどんどん追求したらいいよね、と思う。

あしたもいい日になりますように!