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スタディーノート1 副次的

9月5日(木)、シットウェタイ滞在1日目を終える。現在、「Kiss Guest House」というメインロードに面するホテルに滞在している。ホテル検索サイトで調べると出てくるホテルと同じクオリティであるが、約20ドル(他は35ドル)と格安かつ同年代のフロントマンはフレンドリーであり、居心地が大変良い。

実は一年と5ヶ月前にも同ホテルに滞在していたのだが、ここまで心地よさは感じなかった。フロントマンたちやホテル前の食堂の店員たちが私のことを覚えてくれていたからだろうか。彼らが私の顔を見合わせた時、初対面ではないどこか驚いた顔に安堵を感じた。同時に大学三年になる前に訪れたシットウェでの(ビジネスで来ている者はいるが)珍しい日本人であることに対する現地人の目線や整備環境に対する落胆、ホテルでの酩酊具合といった当時の感覚がフラッシュバックした。何はどうあれ、好ましいスタートと言えるだろう。

これから生活を送るであろう部屋ではWi-Fiが届きにくく基本的にホテルにいるときは多くの時間をフロントで過ごす。特に夜など長い時間をそこで過ごすことによってあることが見えてきた。ラカイン州のシットウェから少し離れた働き盛りのゲストたちもいるものの異様に若者が集まるのだ。“コミュニティ”と言われれば誇張に聞こえてしまうが、下位互換の“溜まり場”を連想する。世界共通の“溜まり場”という現象であるが、話の内容は共通でなくその地域ならではの話題となるだろう(下品な話は世界共通であると思うが)。

フロントに集まっていた若者たちは、全員アラカン人である。かつて15世紀から17世紀初頭に存在していたアラカン王国、ビルマ王国コンバウン朝にどうかされてしまった人々の末裔である。今も自分たちがラカイン族であるという認識があり、マジョリティであるビルマ民族とは異なった文化を持ち誇りを持っている。
彼らの主なトピックは現在、ラカイン州の北部ミャウー付近で起きているアラカンアーミーとビルマ軍の紛争についてだった。その紛争によって戦闘員だけでなく、付近の村に居住する人や家畜の殺害や女性であればレイプされるという事態が起こっており、そのトピックに対しビルマ語で交わされる会話は一気に白熱するのだ。彼らはアラカン軍が戦争することに対して賛成の立場をとっている。アラカン軍が戦うことによって無関係の人々が不利益を被るとは思わないのか、という矛盾を感じた。その考えは第三者のものであり、当事者たちは持つはずもない感情である。彼らはミャンマー国内では冷遇される立場にいるのだ。大都市であるヤンゴンで職を手に入れるにもビルマ民族が優先される現状もあるという。さらにラカイン民族であるというIDカードも持たなければならない。IDカードについては一見証明書として、彼らのエスニシティを尊重するものとしては役立つように思えるが、職業選択・旅行・ビジネスにおいて不利になる現状がある以上、国内の一般的判断基準の可視化を促進している一つの原因であろう。これについてはもう少し時間を過ごし、ゆっくり噛み砕いていきたい。
彼らの側で観察者の立場を貫くには、彼らの熱に浮かされないよう気をつけねばならない。

彼らとの会話の中で最も印象に残っていることがある。
「ビルマ軍はとても嫌いだけど、ビルマ人はとても好きだ。いい人たちだ」
民族という副次的なステータスを乗り越えた、簡単かつ壮大にいえば、人間同士の共鳴を感じる瞬間であった。そしてそんな力をもつ彼らは戦争や政治的な理由の元で翻弄されていると悲観的にも思えた。その言葉を放った彼の顔を見ると、街灯に照らされ後光に差されたように見えた。

先ほど書いた「民族という副次的なステータス」を乗り越えたという表現は、私が大学生活を送る中で、多くの人と出会い話を聞く中で持った信条のようなものである。しかし、彼らの自分たちの立場を打開しようとする言葉一つ一つに感銘を受けてしまうのはなぜだろうか。私はその感動を覚える瞬間に快感を覚え、彼らを異様に持ち上げている感覚に陥る。如何なものか。

写真・雨の中帰路につく青年。
大誤算であったのは未だミャンマーは雨 季であることを失念していたことだ。雨男ではない。
#旅行 #ミャンマー #雨 #梅雨

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