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『Beep21』前川正人特別インタビュー『セガハードヒストリア』コンプリート版


メガドライブ後期に彗星のごとく現れた「お宝メーカー」トレジャー

 メガドライブ後期に彗星すいせいのごとく現れ、見たこともない多関節ボスが動きまくるアクションゲームの数々をリリースし、ファンの心をわしづかみにしたトレジャー。メガドライブ参入当時の現場の模様は、トレジャー起業30周年を記念して『Beep21』で連載された「新トレジャーファクトリー」で前川正人社長自身の熱のこもったコラムによって数々のエピソードが明かされましたが、トレジャーが歴代のセガハードで見せたこだわりについても含め、『セガハードヒストリア』特別インタビューの「コンプリート版」として、今回はお届けします。

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 今回の「コンプリート版」では、前川社長がゲーム業界の門戸を叩き、自ら独立した経緯、そしてその後の動向の真相を前川氏自らが明かしていきます。

 最近では「異世界おじさん」の中でも1位『ガーディアンヒーローズ』だろぉおおお!」というセリフで語られた、忘れることのできない数々の名作の産み出した「お宝メーカー」トレジャーの秘話は必見です。

どうぞ最後までご覧ください。

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【前川正人(まえがわ まさと)】1965年9月1日生。福井県出身。東京理科大学理工学部経営工学科卒。1989年にコナミに入社し、1992年独立。トレジャーを起業しメガドライブに参入。アクション、シューティングゲームで数々の名作を生み出す。当時なぜメガドライブを選び、その後もセガハードにこだわったのか? 「セガハードは本体のカラー(色)が、マニア度の濃さだった」と分析する前川社長が、今回は『セガハードヒストリア』で掲載しきれなかった部分まで、存分に語ります。(撮影協力 : まんだらけ変や)

大学時代からゲームは遊ぶほうではなく、パソコンでゲームを作るほうだった

──前川さんは1987年くらいからゲームの開発をされていたということですが、それはどういう経緯で?
前川 ゲームは学生時代からの唯一の趣味でした。当時はパソコン雑誌に載っているゲーム(のプログラム)を打ち込んで、自分で遊ぶとかやっていたんです。”芸夢狂人”さんとか有名な人がいて、その人のプログラムを自分でも打ち込んで、ゲームで遊ぶとかね。そんなことをやっていました。

▼参考▼”芸夢狂人”さんについては、あの中村光一氏も気になっていた存在として挙げています

──すると前川さんはどちらかというと家庭用ゲームというより、パソコン系からだったんですね?
前川 そうですね、完全にパソコン系でしたね。PC-8000シリーズから始まって、PC-88とか...。大学時代は、みんなファミコンとか家庭用ゲームをやってる時に、パソコンのゲームやってました。

──家庭用ゲームはあまりやってなかった?
前川 大学のいつくらいかな。ファミコンを買ってからはコンシューマ(家庭用ゲーム)のほうもやり始めました。確か大学の2、3年の頃だったと思います。

──最初に遊んだファミコンソフトは?
前川 「ドラゴンクエストⅡ (1987年1月)」ですね。ただ基本はやっぱりパソコンユーザーだったので、ゲームユーザーというより、パソコンでゲームを作ってました

──もう最初の頃から作るほうだった?
前川 そうですね。(ゲームを)作るほうに興味があって。大学時代からずっと研究室で研究もしないで、ゲームを作ってましたね(笑)。

最初にコナミに入った理由は好きなゲームがあったから

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