見出し画像

『Beep21』 クリエイター・リユニオン・ファイル Vol.5 遠藤正二朗インタビュー ─鬼才のつくり方 教えます─

過去のセガハードで多くのファンを
魅了した数々の名作、そしてそれらを
生み出してきたクリエイターのルーツと
初公開の足跡をリレーインタビュー形式で
お届けしている『Beep21』特別企画
「リユニオン・ファイルズ」


今回の特別インタビューは鬼才・遠藤正二朗氏が登場!

▼過去のインタビューはこちらから

5回目となる今回は遠藤正二朗氏が登場。

遠藤正二朗氏といえば
2022年に発売された
メガドライブミニ2
メガCDタイトルとして収録された
「魔法の少女シルキーリップ」
知っている人も多いはず。

一度聴いたら耳から離れない
オープニング曲がインパクト絶大だった
本作は当時どのようにして生まれたのか
その生みの親である遠藤正二朗氏
自らに前後編で執筆をいただいたコラム記事は、
当時多くの反響をいただきました。

今回、その遠藤正二朗氏が
『Beep21』で小説の新連載を
スタートします!

新連載小説の開始を前に、
遠藤正二朗氏はそもそも
ここまでにどのような足跡そくせき
たどってきたのか?

そしてそのルーツはどんなものだったのか?
今まで明かされていなかったエピソードも含め
ロングインタビューを敢行かんこうしました。

実は遠藤正二朗氏の父親は
塀の中の懲りない面々』などで
有名な安部譲二氏。

多くの人が知る超個性的な
父親と家庭環境の中、

遠藤氏はどんな幼少時代
そして学生時代をて、
独特な世界観を持つ数々のタイトルを
生み出してきたのか?

今までくわしく語られることがなかった
秘話も含め、当時のメガCDタイトルや
セガサターンタイトル、

そしてその後の作品について
遠藤正二朗作品のすべてを
語り明かしていきます。

若い頃には
あの悪魔絵師・金子一馬氏と同じ
アニメスタジオに入り
ダンクーガ」「ガンダムZZ」などにも
参加していたという遠藤正二朗氏の話からは
当時のリアルな現場の姿が見えてきます。

そしてエピソードの1つ1つがどれも面白い!

新連載小説を読む前に読んでおくと
遠藤正二朗ワールドの理解が深まるはず

ぜひ最後までご覧ください!

【遠藤正二朗 (えんどう しょうじろう) 】1970年3月3日生。父親は安部譲二氏。学生時代からその才能を発揮し、中学生にしてコミケデビュー。金子一馬氏と同じアニメ制作会社に在籍し、人気アニメの原画マンも担当。その後、出版社を経て、日本テレネットに入社。「魔法の少女シルキーリップ」「Aランクサンダー」などをメガCDで出し、セガサターンで「メタルファイターMIKU」「マリカ 真実の世界」「ひみつ戦隊メタモルV」などを手がける。一時期ゲーム業界を離れていたが、2007年以降に復帰し、数々の作品を担当。今回『Beep21』で始まる完全新作小説の話も含め、たっぷり語ってもらいました。ぜひお楽しみに!

『Beep21』で始まる新連載小説についてもメッセージをいただきました!

遠藤正二朗氏の完全新作小説は
2023年8月1日からスタート!
毎週月曜日に公開していく形で
連載をしていきます。

タイトルは「秘密結社をつくろう!」
略して「ひみつく」
です。

『Beep21』で完全新作小説を執筆してくれる遠藤正二朗氏。タイトルロゴにあしらわれた「鍵」が物語の重要なキーとなっていきます。どんな話なのか、少しその内容について遠藤氏からメッセージをいただきました。

【遠藤正二朗氏から新作小説について】
 本作は『もったいない力』を得てしまった男たちが右往左往うおうさおうするクライムコメディです。有り余る『力』というハードウェアを手にしたものの、それをかすソフトウェアという『手段』に悪戦苦闘あくせんくとうするさまをたっぷりと語っていきたいと思います。
 主人公、山田正一(ヤマダマサカズ)君は28歳のフリーターです。彼は『鍵』という具現化された異なる力を手に入れます。マサカズ君は弁護士の伊達隼斗(ダテハヤト)という男と手を組み、手に入れた力の有効活用を試みます。底辺にいる二人が人生の大逆転を目指す物語です。試行錯誤と失敗続きの末、何が見えてくるのか、ご期待ください。

『Beep21』読者の世代に"ドスンとぶっ刺さる"
遠藤正二朗ワールド。

みなさん、ぜひ毎週の連載を
楽しみにしていてください。

というわけで、まずは久しぶりの
遠藤正二朗氏へのインタビュー。

こちらも濃厚で面白すぎる内容ですので
ぜひご覧ください!

※本記事はこちらから最後まで読むことができます(※下の「2023年間購読版」もかなりお得でオススメです)

◆お得な「年間購読版」でも読むことができます!

※『Beep21』が初めてという方は、こちらの『Beep21』2021〜2022年分 超全部入りお得パックがオススメです!(※ご購入いただくと2021〜2022年に刊行された創刊1号・2号・3号・メガドライブミニ2臨時増刊号すべての記事を読むことができます!)

遠藤さんをプロレスで例えると...

──遠藤さんにお会いするのは、実は「魔法の少女シルキーリップ(1992年6月)」や「Aランクサンダー 誕生編(1993年6月)」など、メガCD時代の頃以来ですので、実に30年ぶり...となりますが。昨年はメガドライブミニ2に絡めて、『Beep21』で「シルキーリップ」のコラムも書いていただき、ありがとうございました。非常に楽しく拝見はいけんしました。

遠藤 ああいう機会を与えていただいて、こちらも非常にありがたかったです。

──いやあ、もう全然、昔のまんまというか、30年っても勢いのある文章で本当に楽しめました。今日はクリエイターさんのリレーインタビューという企画での取材をさせていただきますが、ここまでは「パンツァードラグーン」の二木さん、「電脳戦機バーチャロン」の亙さん、「レンタヒーロー」や「シェンムー」をやられていた岡安さん、そしてセガの現役で「ソニック」のプロデューサーをやられている飯塚さんにも、お話を聞くことができました。

遠藤 今日はひとつおうかがいしておかなきゃいけないな、と思ったのが「私なんかでいいのか」と。最初に取材のお話をいただいたときに「インタビューって久しぶりだな」って軽い気持ちで安請やすうけ合いした部分もあるんですよ。ところが、リレーインタビュー企画の企画書を拝見はいけんしたら、今までのお歴々を見ると、プロレスで言ったら全日本プロレスのOBが次々と出てくるような。川田利明から始まって田上明小橋建太井上雅央……渋いとこ来たなと思ったらいきなり遠藤正二朗は「レッスル夢ファクトリー」とかのローカルな得体のしれないレスラー? みたいな空気にはならないのかなと思いまして(苦笑)。

──今回は『Beep21』で新連載予定の遠藤さんの小説企画の予告もさせていただく、というのもあるのですが、このインタビュー企画の主旨としては、それぞれのクリエイターさんが生み出した名作や傑作が、そもそも子供の頃のこういうところからつながって、点が線につながっていく、というあたりもぜひ解き明かしていきたい、というのがありまして。遠藤さんも「シルキーリップ」や「Aランクサンダー」などメガCD時代からその存在は知ってはいたものの、それらがどうつながって生まれてきたのか、そんなルーツにも迫っていければ、と思っています。また、気になっている読者の方も多いと思いますが、お父様(安部譲二氏)との関係とかも今までお伺いする機会がなかったので、そうしたお話もできれば、と。

遠藤正二朗氏の父親”安部譲二”氏について

遠藤 そうですね、父はあの通り? の人だったので(笑)。家にいたりいなかったりみたいな感じで。いたらいたで、元気で威勢いせいのいい人なんですよ。でも家では表向き何(の仕事を)やってるかは教えてくれないんです。会社に勤めてるとは言うんですけど。その勤めてる会社の人たちが新年とかうちに挨拶あいさつに来るんですけど、どう見てもカタギじゃないんですよ(苦笑)。

──もう、見た感じで...?

遠藤 いちおう父が言ってる話には乗っかっておこうかなと思って、こちらからツッコむこともなかったんですけど。だけど私には3つ年上の兄貴あにきがいて、兄はさすがにわかってたみたいで、私に吹き込んでくるわけですよ。「どう見たってあれはカタギじゃねえよ」と。あと私が小さい頃は、母が麻布か六本木の方でジャズのパブをやってまして。その関係で結構家にミュージシャンの方とかが出入りしてまして。その中には作曲家の羽田健太郎さんとかも、ピアノをきにきたりとかしてました。

──羽田さんというと、あの「超時空要塞マクロス」とか「西部警察」とか数えきれない作品をやられた方ですよね。

遠藤 そうですね。あとは、すぎやまこういちさんなんかも出入りされてましたね。

──すごい環境の幼少期ですね。

遠藤 小さい頃はヤクザとミュージシャンに囲まれて育ってた感じですね(笑)。あと3つ年上の兄貴がいたもんで、他の子と比べると私はオタクとして早熟そうじゅくだったんですよね。小学3年生の頃に「機動戦士ガンダム」が始まった時なんかも、クラスメイトが誰も見てなかったですから。

──小学3年生でリアルタイムに「ガンダム」を見ていた子は少ないかもしれないですね。

メンツの世界だから転校も多かった

──ちなみに、お生まれは東京だったんですか?
遠藤 そうですね。赤坂に生まれまして、そこからわりと引っ越しが多かったですね。2〜3年に1回は引っ越しするみたいな感じで。品川だったり田園調布だったり。

──良い所ばかりですね。

遠藤 やっぱりメンツの世界なんで、父親の仕事は。でも転校は本当に多かったです。だから、割と新しく知り合った人にスーッと(仲良く)入っていけるのは、そこで学んだ部分がありましたね。人見知りは人見知りなんですけれども、相手の顔色をうかがったりとか、「この学校だと何が流行はやっているのかな?」っていうのをすぐリサーチしたりとか。すぐに馴染なじんでいくっていうんですかね、そういうのは割とやってきた感じはします。

自分で作ったマジンガーZやボードゲーム

──お子さんの頃はどんな遊びをしてました?

遠藤 遊びとしては、ほんとに小さい頃になると「マジンガーZ」とかが好きだったんですけど、なかなか超合金を買ってもらえなくて。じゃあ「自分で作る」って紙で作るわけですよ(笑)。まず内部フレームを描いて、切り取って、正面の外装と後ろの外装をホチキスで貼り合わせて。

──すごいですね。

遠藤 そうすると破損はそんしたりとかするとメカがむき出しになったりして、なかなか色気のある紙のおもちゃになるわけですよ。そんなので遊んだりとか、もうちょっととしつと、ボードゲームがすごい好きでしたね。小学校高学年から中学生くらいにかけて、アバロンヒル製のウォーシミュレーションがかなり流行はやりまして。あと日本のツクダホビーとかから、いろんなウォーゲームが出されていて。小学校の頃に結構金持ちのお坊ちゃんな友達がクラスメイトにいたんですけど、そいつに「買え買え」ってき付けて買わせて。当然ボードゲームは1人じゃ遊べないから「俺行って遊ぶわ」って(笑)。

それで、仲間を何人か連れて、そいつの家でボードゲームというか、シミュレーションゲームを延々えんえんと遊ぶっていう感じでした。

──テレビゲームとの出会いは?

遠藤 家が都心部だったので、ゲーセンは割と早くから(近くに)あって。インベーダーゲームにはすぐ飛びつきましたね。池袋のサンシャインシティの「ザ・ゴリラ」というデカいゲームセンターがあったんですけど、あれがオープンした頃とかもすぐに行って、お昼ご飯代をもらってるのに、お昼ご飯は同じビルで試食会というか、試食展示があったので、その辺を食べて済まして(笑)。浮いたお金が300円とか400円あるので、それでゲームをやるっていう感じで。

最初はゴルフゲームだと思った「ゼビウス」

──その頃にプレイしたゲームは?

遠藤 当時は「トランキライザーガン(1980年)」とか「ルパン三世(1980年)」とか、あの辺は結構、池袋でやりましたね。麻布十番とかにもゲームセンターが割と早くからできて、そこは本当に通い詰めました。当時のゲームでいうとちょっとマイナーで気に入ってやったのが「赤ずきん(1983年)」というゲームがあって。ライフル持った猟師りょうしがオオカミから赤ずきんちゃんを守るんですけど、ライフルを撃つたびに「アッ」って言うのが面白くて。あとは「スターフォース(1984年)」とか「スカイキッド(1985年)」とか、「エキサイティングアワー(1985年)」とかゲーセンのゲームはやっていて、中2か中3の頃にガーンとやられたのが「ゼビウス(1983年)」でしたね。「ゼビウス」は、最初はゴルフゲームだと思ったんですよ(笑)。なんか芝生が何か続くから、ゴルフとかをやるのかなと思ったらシューティングで、ビックリして。あれは一周するまでやり込みましたね。その当時、「ゼビウス」の攻略の同人誌みたいなのが出回ってて、なんとか手に入れて読んだりして「こういう世界があるんだ、すごいな」と驚きました。

──ビデオゲームにもアーケード黎明期れいめいきからハマっていたんですね。

テーブルトークRPGも自分で作り始めた遠藤氏

遠藤 あとはウォーシミュレーションをすごく楽しんでいた関係で、テーブルトークRPGにもハマったんですよ。最初にハマったのがツクダホビーから出ていた「クラッシャージョウ」で、シナリオがあって自分がジョウとかになってプレイするっていう内容なんですけど、「面白くないな」と思って(笑)。それでオリジナルのクラッシャーを結成しようとして、全部設定から敵からオリジナルのものを作ってやろうと。なんで、そんな発想に至ったかというと、もともと小学校5年の頃に、国語の授業で「小説を書く」っていうのがあったんですよ。原稿用紙3枚ぐらいで、軽く。テーマは「ナスカの地上絵の秘密」で、面白そうだなって書いてみたら、めちゃくちゃ筆がのっちゃいまして(笑)。探検隊を結成して出発するところで枚数がつきちゃうんですよ。他の人はみんな完結してるのに。

──もう小学5年生の頃から作家性が発露はつろしてますね(笑)。

遠藤 「これは面白いな」と思って。そこから結構、小学校の頃は原稿用紙に小説らしきものを書いてたんです。そんな繰り返しが過去にあったので、いわゆるテーブルトークRPGのオリジナルのシナリオとか、オリジナルのキャラクターってのは、割とすんなりやれるようになって。そこから、「クラッシャージョウ」とかがあって。テーマでやっててもすぐ尽きるわけですよね、ネタが。そうすると当時ツクダホビーからウォーシミュレーションで「ガンダム」とか出てきたので、「じゃあオリジナルのガンダムのテーブルトークRPGやろう」ってなって。バトルは全部そのウォーシミュレーション部分でやって、あとはテーブルトークのトークの部分は仲間で集まってやって。パイロット役だとか艦長役だとか、そんな感じで。当時は「ガンダム」だ「マクロス」だ、とかたぱしからその辺テーブルトークRPG化してやるっていう遊びをやってて、ついにですね、同人誌にそれらをまとめまして。中3の時だったかな、コミックマーケットに出しました。

中学2年でパソコン、中学3年でコミケデビュー

──中3でコミケですか?
遠藤 狂ってるって言われました(笑)。

ここから先は

41,590字 / 20画像

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?