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『Beep21』真・セガハード列伝─Vol.10─体感ゲームチームが開発した「VR-1」秘話〜セガのVR開発は想像以上に進んでいた!【後編】


当時のセガハード開発者自身が当時の関係者に直接話をいていく「真・セガハード列伝」。前回は、今まであまり語られることのなかったセガAM開発者たちによるVRへの取り組みについて、レジェンド級の開発者たちが集結。実に20年以上前に最先端を突き進んでいたセガのVR秘話についての記録が明かされていきました。

今回はいよいよ、その後編がスタート!  当時の貴重な資料の数々も含めて、お届けしていきます。ぜひ最後までご覧ください。

「真・セガハード列伝」のナビゲーターを務める戸崎健司(とさきけんじ)氏はセガでコンシューマゲーム機の開発部門に所属し、周辺機器などの開発を担当。セガ入社はメガドライブが発売された1988年。セガ退職はドリームキャスト撤退時の2001年。13年間セガのハード開発部門に在籍した当時の話はこちらの記事で掲載中。今回は戸崎氏の声がけにより、セガAMのレジェンド級の開発者が一堂に会し、当時の最先端を突き進んでいたセガのVRについて語り尽くしていきます。

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現代に至るまで最先端を進んでいたセガVRと筐体

戸崎 エプソンの小型液晶を使うということで、ディスプレイは目途めどが立ちました。次が……筐体きょうたい全体。頭へのフィッティングですかね、技術開発が必要なところは。

松野 そうですね。

松野雅樹(まつの まさき)株式会社ユーノゲーミング 代表取締役。 元セガ 第4AM研究開発部 部長 (機構設計エンジニア)。1985年セガに入社、2000年6月退社。代表作 : 「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」「ギャラクシーフォース」「R360」「スーパーモナコGP」他「アストロシティ」「ブラストシティ」「NEWメガロ50」HMD他。セガ退職後はアルゼ(現ユニバーサル・エンターテインメント)でカジノマシンの開発に当たり、現職へ。

戸崎 この辺はどういうアプローチで?

松野 「VR-1」にせようってことになって、パッケージをまとめようってなったんじゃなかったっけ?

伊藤 違うって。「テックウォー」が先だって。荷宮にみやが企画をやってたやつ。(「テックウォー」は荷宮くんが企画のVRゲームの開発コードネーム)

ⒸSEGA

松野 最初は「テックウォー」で開発したけど、もう「VR-1」の話も進んでなかったっけ? 違う?

伊藤 「VR-1」は、ちょっとお慈悲じひ的なものでせてもらったんだよ。

松野 そうでしたっけ?

(やっぱり神々は記憶が曖昧なのであった…)
※クリックすると動画を見ることができます。

臼杵 (ヘッドマウントディスプレイは)ゲームを遊ばせるので、(頭に)結構しっかり固定させなきゃいけない。(構造的には)ディスプレイ、光学系もあるので、前のほうがかなり重くなっちゃうし、普通にかけたら(頭から重みで)下がってきてしまう...。

伊藤 しかもその「テックウォー」っていうのは立ってやるゲームだったんだよね。だから(プレイヤーのまわりをかこうように)わくをつけたんだけど、立って遊んでて、体や頭を動かすからフラフラする。それでまあしっかりと固定しないといけない。

土手 「テックウォー」ってリリースしたんでしたっけ。

伊藤 いや、ロケテストだけ。

松野 ロケテストだけやったんだよ。何台か作ったんだよ。

臼杵 ロケテストだけで超大変だったよね。

臼杵良直(うすき よしなお)株式会社A.R.S(エーアールエス)代表取締役。元セガ メカトロ研究開発部(元第4研究開発部) 機構設計エンジニア セガ入社:1992年4月 セガ退社:2001年1月。主な開発製品:セガネットマーク、カレンダー倶楽部、UFOキャッチャー800、ドリームパレスⅡ、ブレイヴファイヤーファイターズ、東京バスガイド、18ホイラー等 セガ退職後 アルゼ(現ユニバーサル・エンターテインメント)から、転籍してアルゼゲーミングアメリカインクでカジノマシンの開発に当たり、現職へ。

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