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Before Dark 始まりのつづき

始まりのつづきvol.2を記念して始めました。
参加した作家たちのお話を少し。


宝塚歌劇で有名な宝塚駅。その隣の駅が清荒神。タイムスリップしたような昭和感が残る街。参道沿いの小さな長屋の一角をリノベーションして、二階は住まい、一階を革工房兼SHOPとしてこのゆったりした空気が流れる街で暮らしながら活動しています。

つくることの始まり


18歳まで、特に何かを目指しているわけではなかった。

徳島県の田舎で生まれ育ち、その中では目指すべき目標がどこにも見当たらなかった。

外の世界を見たいと思い立ち、大阪に出た。

「何か」を見つけたくて色々な仕事(接客、飲食、営業、解体屋etc…)に就いたが「何か」はフワフワと目の前を通り過ぎるだけで日が沈み、昇り……また沈む。このままではいけないと思い立ち、もっと広い世界を見たいとカナダへ留学。異文化に刺激を受けたがまだ自分の進む道は決まらずモヤモヤしていた。

きっかけは1年のワーキングホリデー終わりに滞在したニューオリンズ。ボランティアをする条件で宿泊施設を確保してもらい、黒人の方々の居住地区で過ごした。

銃声は2度聞こえた。夜中のバーガーキングで危ない目にもあった(当時はなんとも思わなかったが、振り返ると恐ろしいwww)車はドアがなく走っている、既に被災から9年経っていたが家はハリケーンの被害から復興していない。

そんな人たちがバーに集うと楽器を持ち寄ってセッションが始まる。さっきまでケンカしそうな勢いで愚痴を言ってたおじさんが演奏する楽器の音には活きているぞ!というパッションがあった。

ある人のお家に行けば、絵が飾ってあった。「素敵な絵ですね」と問うと自慢げに「私が書いたのよ」と。

バケツをひっくり返したようなスコールの中、ボランティアスタッフに連れられて何気ない一軒家に立ち寄るとナマズをフライにしてランチBOXを自分達で作って売っていた。とんでもない湿気と熱気の中、彼女たちはずっと歌うようにおしゃべりして笑っていた。決して経済的に裕福ではないが、それでもこれが私の生き方なのだという力強さを感じた。

その彼ら彼女らの原動力は「何か」をつくることに起因しているのではないかと考え始めました。

それで日本に帰って「つくること」を初めてみようと決意したのです。

つくること


日本に帰り、何かをつくる人間になりたくて目標にしたのは靴職人だった。

片っ端から関西の靴職人さんに連絡をとって実際に会いにいくものの、「働きながら教えてください」は通用せず、「無償でいいので」という懇願も相手にしてもらえない。(自分がその立場でもそうするよなと今では思う)

そこで神戸の須磨で靴教室もしている職人さんを見つける。こうべくつ家の森田さん。

そのブログを見て興奮した。靴をつくるという事にとんでもない熱量を費やしていると感じたからだ。

この方なら話を聞いてくれる!そう思い連絡をとり、いざ信楽から須磨へ。

待ち合わせより少し前に着いて路地裏で待っていると古いバイクにまたがり埃を立てながらこっちへ向かってくる風景を今でもはっきりと思いだす。

どうぞ、と工房へ案内され、一通り経緯を話すと、それ以上の熱量で語られる靴づくりへの本気度。人は雇えないと言われたが、この人の元で靴をつくりたいと思い、教室へ通わしてほしいと願い出るも、まさかの却下。

月謝払って教室すら断られるの?と頭が真っ白だったが、「君は仕事しながらその情熱で靴をつくったほうがいい。教室や学校で教わらない方がいい」という言葉をかけられ、それがなぜだか腑に落ちた。

その後、なんとか靴修理工房兼、革小物の製造という特殊な会社で働くことができた事で靴づくりをスタートさせることができた。

5年ほどは休みを返上して靴づくりや革に向き合った。しかし、どう足掻いても森田さんの靴づくりへの熱量を越えれるイメージがつかなかった。

最後の足掻きとも言える作品が今回のイベントで販売するブーツのきっかけとなった一足だ。

シェイプや切り込み、ポンチ穴の位置や距離感、仕上げは柿渋を塗り込むことで最後は風化して消えていくイメージを靴に落とし込んだ。

そこで、自分の靴づくりへの情熱は肺に入り込み吐き出されたタバコの煙のようにその姿を消したのである。

靴職人はもう終わりだと諦めた時にふと気づく。財布やカバンにそれくらいの熱量で取り組んだことはないと。

そこから革作家としてのスタートを切った。なんとなく会社のブランドイメージにあった作品づくりを心がけて作る。

しかし、自分のオリジナルと呼べるものはなかなかできなかった。

どうしても与えられた革、会社が望むイメージが先行してしまう日々が続いたのです。

ある日製作にも新商品の企画にも追われない時間ができ、自由な時間ができた。

何か作ろうとふと思い立ち、ペンをとる。その日は架空の映画の主人公を書いていた。人里離れた山で犬と暮らす人間。必要なものを最小限に備えひとつひとつカバンにしまいベルトで閉じる。出かける直前に玄関に引っ掛けてある斧を手に取りリュックに差し込み、犬に合図し外に出たのを確認すると扉を閉めた。

その彼がもつリュックはこんなのじゃないか?

そういう想像をしながら型紙を描く。その紙の上は宇宙の広がりのように壮大だった。

これがはっきりと自分が「つくること」に広がりを感じた瞬間だった。

「これが私の生き方なのだ」というのをつくることで表現するには誰かの何かではなく自分自身を投影しなければならないのだということに気づいた。

そうやってつくった物には気付かされることがある。その時の感情が形に現れるのだ。

迷い、葛藤、自信、優しさ、哀愁、寂しさ、静けさetc…それらがどこかしらに現れる。

見つけることができるのは自分だけかもしれないが、とても愛おしい。


つくることのつづき


お店を始めたころはとにかく必死で、ひとつ作品をつくっても説明する余裕もなかった。

とにかくお店を維持するのに精一杯。

それから4年。まだまだ精進しなければいけないが、考える時間が増えた。

清荒神のお店をしたことで出会った友人たちと色んな場所に出かけたり出店したりする中で、経験や風景を作品と融合させるとどうなるんだろう?ということに興味が湧いてきた。

ただ作品をつくって売る事に物足りなさを感じ始めていた頃だ。

自分のことを知らない土地で自分の作品とその街の持つ空気、そして自然を組み合わせながら空間を作り、そこで展示販売会をやってみたい。と思うように。

それは、今までの自分の生き方からも納得できる考えだった。

違う環境に身を置いた時、面白いことが起こる。おそらくやる前までは後悔するんだろうなと思いながらも進んだ。

2022年5月、ご縁があり淡路島の志筑で望んだ通りの場所で展示会を開催することができた。今までこっそり自分だけで楽しんでいた商品の由来を文字にして読んでいただき、写真を飾り、近くの山から落ちている木や石を運んでディスプレイ。

森の中を散策し、落雷で落ちていた木や、奇妙な割れ方をしている石に勝手なストーリーを思い浮かべて車に載せた。その作業終わり、車の荷台に座って見た夕日が、「これでいい」と語りかけてくれてると思い込んで展示場へと帰った。

次の日、ご来店くださったはじめましてのお客さまの反応や商品をじっくり見ていただいて手に取ってもらえる姿が。

ディスプレイのために拾ってきた木や石がご来場者様の心を少しでも震わせている風景を見て、これが今自分がすべきことなんだと思えた。

今までは自分の感情や過去の思い出などを元に製作をしてきたのですが、自然を見つめながらものづくりをしてみようと考えている。

木、草、水、眺めていると素直にあるがままで存在している。それを見つめながらつくることに向かっていくと、自分自身がそうなっていけるような気がして。

「つくること」を通して人を想う。「つくること」を通して自然を見る。「つくること」を通して生きることを学ぶ。「つくること」を通して過去を振り返る。「つくること」を通して未来を考える。

ものをつくる時にはこうでなければいけないではなく、こうありたいと願う気持ちが強い。これからも「つくること」に引っ張られながらBeforeDarkは進んでいく。

Before Dark
ADDRESS|〒665-0836 兵庫県宝塚市清荒神3-1-10
OPEN|MON-SAT 10:00-18:00・SUN 14:00-18:00
CLOSED|EVERY WED
ACCESS|阪急宝塚線「清荒神」駅より徒歩5分

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