それでどうなの?Ⓒ

損なの? 得なの? ⓒ

三兄弟で言い表せばどうなるか?そんなふうに考えてそれで乞食王子は駄目で元々で綴っておりますが、こんな感覚は次男か末っ子のものに思える。長男は「しっかりしなきゃ」といった感覚をすり込まれがちに見える。この感覚は兄弟意識が働かない場でも遠慮することを知らない。仮に上からやん坊にん坊とん坊と名づけるとき大概のかたは「シッカリ者のやん坊、暴れん坊のにん坊、かわいいチビ助とん坊」といったイメージで納得されると思うが、あなたはどうでしょう?

もし長男三人が集まってTVで話し合っていたら自分はチャンネルを替えてしまいそうで、次男三人の場合はうるさそうという理由、末っ子三人なら詰らなさそうでとっとと逃げだすかも。今回の「日本の歪み」の御三方にも やん坊・にん坊・とん坊の名称を差し上げたいほど。そんなことを思ったのは乞食王子のタイプがとん坊だから‥かなぁ、昨夜そんなふうに思った。やん坊が歳の離れたとん坊を怒ったことはない‥と思って下さいね。そんなやん坊に甘えはしても逆らったことのないとん坊なのです。いっぽう、にん坊はやん坊に反抗しないまでも対抗意識をもっていて、やん坊の前でヘマをしない気づかいが見えたりも。にん坊に対するとん坊の接しかたはやん坊に対するのとちょっとちがう。

相手次第でこちらの態度・振舞いは変わる、これは日本の文化であり良識と思うが大概の方にもご異論はありますまい。西欧社会由来のコトワザ「魚は頭から腐る」と云いますが、そもそも腐ったものを生み広げようとする文化などある筈なく、その集団のなかで上意下達に則って腐っていくのでしょう。それでです、昨夜のこと、やん坊の立ち位置の養老孟司氏がやさしくとん坊を諭すようにして乞食王子に教えてくれたのです。そのとき、やん坊の横にはとん坊がおりまして、とん坊なりに自分の思いを訴えている。しっかり者のやん坊はなんでも言える「鼎」へ旅してこられたってことでしょうね。正解以外は許さんと云うことでなく、三本の足が強くたくましくなって難にも耐えられるように育てる…これは決して理屈ではありませんよね。

いやいや、本文をゆっくり観ていくとやん坊・にん坊・とん坊の三人ともソコにいらっしゃる。ま、おかげさまで有意義に失敗できましたから感謝の想いしかありませんけれど。それでは今回はこれにて! 拝。(‐ 記.乞食王子 ‐)


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