贊・言の葉Ⓐ

貝の意味・先の意味

マガシン「ことごとに!」は微変更しました。
ここからは「詩編」として進めてまいります。
筆名は「ぞっこん」に致したく存じおります。
 (時に原文と違うかも‥その際はご容赦ください)

 ~ ~ ~ ~ ~ ~

 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
 (ふるいけやかわずとびこむみずのおと)

俳聖と呼ばれているが「発句ほっく」をんだ気がする、
それに合せて私も発句としたが実際はどうなのか‥

この古池や蛙飛びこむ水の音衝撃を受けている!
岡本太郎は芸術は爆発だと叫ぶ‥例えば太陽の塔

芭蕉の発句も芸術を目差したかもしれないけれど、
私は芸術までは考えてなくて分りやすい句がいい。
そうは言っても橋本多佳子返句みたいもの。
それが可能な実力を得たら芸術もいいなあ‥かな。

二句一章じゃないか!‥と最近気づいて吃驚びっくりです。
詩編を作ろうと思い、読み方を替えて気がついた。
二句一章に気づいた方は深い意味を味わえている。

芭蕉の発句を私は呼び掛けと受けとめております。
大事な大事な呼び掛け文がはんもんでは役立てない。
おそらく高弟には通じていたのでないでしょうか。

知識知恵も豊かになり、さらに面白いでしょう?
二句一章は句を二つに分けて、それをぶつけ合う。
地球と月がぶつかるような衝撃しょうげきが起りますからね。

わずか17文字のなかにそれ衝撃を起せるのですからね。
卑弥呼ゆかりの日本語のなんたる威力、素晴しさ。
文字なしの暑い寒い腹へったからそらへ飛べる⁉

国の言葉を大切しないような者は使う資格もない。
言葉が乱れたら国語も乱れる‥心も通じあえない。
知ってることは私もこうして話せるのですからね。

今日は芭蕉さんから極上のはなむけ発句を戴いた気分
詩篇と云えば旧約聖書・ダンテで知られますよね?
私は「さん・言の葉」として及ばずながら‥トライ!

ダンテのは神への讃歌ですね。微力な私のは贊で。
神のための祭壇に供えるべき生贄にえとダンテの神曲。
さらに私の「捉懇と鼎の記事」が思い浮かびます。

捉懇は私めのアイディア、祭壇は旧約、鼎は中国、
この程度が現時点での私めの知識なのです、ハイ。
具体的な違いを御存じでしたら教えてくださいね。

贊とした意味‥自分なりにですけれど、あります。
見た目「讃歌」が豪勢で立派でも、それじゃない。

私の根底思想では人本主義資本主義に優する。
貝に振りまわされる愚か者であってたまるかの

貝の価値は生命の維持、大人は更なる人格昇華を。
人に悪さしながら讃歌を浴びたいなど、狂気です。
貝の上を見上げてごらん!先を目差せの道標しるべかな。
小さな器で満足するな…これ私めの理解ですから。

このあと、明日に続けますね。よろしくです。(筆名・ぞっこん)

 #普遍の大地 #思想哲学 #捉懇 

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