記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【名言と本の紹介と】『失敗の科学』

 ビジネス書界隈は成功体験が溢れている。身ひとつで財産を築き、誰もが知るビッグネームになれば、その成功体験を聞いてみたくなる。同じように行動すれば自分でも成功できるかもしれないという気にもなる。実際、貴方にもできますと書いてあったり、オンラインサロンに誘われたりするのかもしれない。だがその成功体験だけを聴き妄信的に信じ込み行動しても、成功するとは限らない。


真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である

カール・ポパー(哲学者)

勝ちに不思議の勝ち有り 負けに不思議の負け無し

松浦静山(肥前国平戸藩第9代藩主)


 ふたつめの名言は野球の野村克也氏の言葉としても有名なようだ。同氏の書いた本のタイトルにもされているらしい。だが元をたどれば剣術の達人、松浦静山の言葉である。本来の道を尊重し技術を守って戦えば気力が無くても勝てる。だが、道を外れ技術が無ければ負けるのだ。

 この言葉は私の会社内でも使われることがある。ラッキーパンチが当たることも度々あり、「不思議の勝ち有り」だと話すことがある。だが、本当に大切なのは後半、「負けに不思議の負け無し」の方だ。負けの時は「たまたま」「運悪く」「縁が無かった」という言葉が汎用されるが、そんなはずは無い。「必然的に」「なるべくして」「チャンスを失った」のだ。この負けにフォーカスし、改善を図ることで勝率を上げることが書かれているのが以下の本である。



 本書は7章から構成され、各章で具体的なエピソードが紹介されている。描かれ方もドラマティックで「奇跡体験!アンビリバボー」あたりのドキュメント番組を観ているような気持ちになる。第1章の話は本書の掴みにもなり、非常に印象的だったので、要約して紹介しよう。


 2005年のアメリカ。37歳のエレインは夫と2人の子どもに恵まれた幸せな主婦だ。ここ数年は副鼻腔炎に悩まされていて、手術するのが一番だと勧められていた。主治医は「リスクはほとんどありません。ごく一般的な手術ですから」と。
 耳鼻咽喉科の執刀医は30年を超えるキャリアのベテランで評判も良い。麻酔科医も16年のキャリアがある。病院の設備もすばらしく、万事申し分のない状況だった。
 だが手術は小さな予想外が連続で起こることになる。
 手の甲の静脈から麻酔薬を入れる。麻酔は眠らせるだけでなく生体機能も麻痺させる。人工的に呼吸の補助が必要なため、ラリンジアルマスク(咽頭マスク)という、空気を入れると酸素マスクのような形に膨らむ器具を用いる。口から挿入して付属のチューブで酸素を肺まで送り込む。
 だが、口にラリンジアルマスクが入らない。顎の筋肉が硬直していたことが原因だ。しかし、麻酔中にはよくある現象だ。麻酔薬を追加投与し、顎の筋肉を緩めたうえで、より小さいサイズのマスクを2種類試した。だがやはり挿入できない。
 麻酔開始から2分後、チアノーゼを起こしはじめ血色が失われる。血中酸素は75%だ(通常は90%を切ると著しく低いと見なされる)。
 開始から4分後。鼻と口を覆うマスクを使用する。だが肺まで酸素が入っていかない。
 6分後。気管挿管に切り替える。この場合の標準的な措置だ。筋弛緩薬を投与し、顎の筋肉を完全に弛緩させ、口をできる限り開いた状態にする。気管チューブを気管内に直接挿入するため、ライトで喉の奥を照らす。だが肝心の気管が目視できない。本来なら喉の奥に三角形に開いた入口が見えるのだが、患者によっては軟口蓋(口腔奥の壁)によって隠れてしまっていることがある。見えない入口を探って繰り返し気管チューブの挿入を試みる。だが、入らない。
 8分後。血中酸素は40%を切る。脳に深刻なダメージを引き起こす恐れのあるレベルだ。心拍数も落ち、心臓でも酸素が欠乏している。
 いまや危機的な状態だった。ただしこの局面を乗り切る手段はある。気管切開だ。口からの気道確保が困難なら、喉を切開して穴をあけ、直接チューブを指して気管へ通す。ただしリスクを伴うため通常は最後の手段としてのみ行われる。
 12分後。看護師は気管切開キットを用意し、準備ができましたと伝えた。しかし、ベテランの医師たちは一瞬振り返っただけで、何の反応も示さない。口からのチューブの挿入にますます躍起になる。
 血中酸素が90%まで回復したときには、酸素欠乏状態になってから20分が過ぎていた。医師たちは時計を確認して愕然とした。いつの間にそんなに時間が経ったのかと。
 彼女の脳には壊滅的な損傷が見られ、昏睡状態となってしまった。
 医師は家族を呼び、以下のように説明する。


「避けようがありませんでした。こういうことはときどき起こるんです。原因はわかりません。麻酔科医らは最善を尽くしましたが、どうしても状況を変えることができませんでした。大変残念です。偶発的な事故でした」
気管挿管に何度も失敗したことへの言及はなく、緊急処置の気管切開が行われなかったことについても一切触れられなかった。もちろん、最悪の事態になる前に、看護師が気管切開の準備をして医師たちに声をかけていたことも。

マシュー・サイド『失敗の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)11-12頁


 もちろん医師は判断を誤ったのだろう。だが家族に自分たちがミスしたとは言わない。詳細な説明も、この時点ではなされていない。夫であるマーティンが原因を調べ、ここまで詳しい内容が分かったのはもっと後のことである。家族が訴えれば裁判で勝てそうな案件だ。

 だが本書は、医療過誤がけしからん、という話ではない。医者も別に悪意があったわけでも不真面目だったわけでも不注意だったわけでもない。小さな予想外の積み重ねが医者の視野を狭くさせていた。

 そもそも医療行為はとにかく複雑だ。病気の種類も多ければ、気管が目視できないといった条件も異なる。体力や持病も加味しなければならない。加えて日本もそうだがアメリカも資金や人手不足により、過労状態が慢性化している。そんな中で常にとっさの判断を迫られる。治療の選択肢をすべて考え出し、冷静に正しい判断を下す時間なんてない。

 このような医療体制・医者の置かれている状況だけが問題ではない。本当の原因はもっと根深い。このことに気がつけたのは、夫であるマーティンの職業も関わるだろう。彼はパイロットだった。


彼は何度も質問をした。手紙も書いた。そして妻の死の詳細が少しずつ明らかになるにつれて、あの事故は単なる偶発的事故ではなかったのではないかと思い始めた。事故には、特定の「パターン」があるのではないか? 適切な対策を取れば、次の命を救えるのではないか?
しかし医師たちにその「パターン」を知る術はなかった。その理由はシンプルだが衝撃的だ。医療業界はこれまで、事故が起こった経緯について日常的なデータ収集をしてこなかったのである。
一方、航空業界では通常、パイロットは正直に、オープンな姿勢で自分のミス(ニアミスや胴体着陸)と向き合う。また事故調査のため、強い権限を持つ独立の調査機関が存在する。失敗は特定のパイロットを非難するきっかけにはならない。すべてのパイロット、すべての航空会社、すべての監督機関にとって貴重な学習のチャンスとなる。

同26-27頁


 医者もパイロットも失敗が許されない職業だ。ミスは即、命に係わる。そもそも誰だって自分のミスを認めるのは難しい。自分にだけ被害が及ぶことならまだしも、そのミスが他人に責められるようなことなら、なおの事認めようとしない(手が滑って自分のカップが割れた時は諦めがつくが、配偶者のお気に入りのカップだった場合はどうだろう。素直に謝る人が多いと信じているが、証拠隠滅して知らないふりをしたり、落ちそうな場所にあったからだとか飼い猫が突然飛び掛かってきたからだとか、責任を他になすりつける人もいるかもしれない)。
 他人の命を預かる医師が、自分のミスを認めるのはかなりハードルが高いだろう。長年の経験を積み高い地位にある医師は特に。さらには他人からの非難を逃れるばかりではなく、自分自身からも守るため、失敗を記憶から消し去るのだ。


 「クローズド・ループ現象」という言葉が紹介されている。失敗や欠陥にかかわる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない現象や状態を指す。
 例として「瀉血しゃけつ」(血液の一部を抜き取る排毒療法)が紹介されている。


彼らは患者の調子が良くなれば「瀉血で治った!」と信じ、患者が死ねば「よほど重病だったに違いない。奇跡の瀉血でさえ救うことができなかったのだから!」と思い込んだ。

同21頁


 瀉血は西暦2世紀のギリシアの医学者が広めたと言われているが、近代文学でも「悪血を抜く」といった表現を見たことがある。まったく同じものなのかは知らないが、その治療法がきちんと検証され、全く無意味だと実証され広まらなければ、クローズド・ループを繰り返すのだろう(瀉血や悪血抜き自体を知らないので、改善効果があるのならすみません)。


一方、医療業界では当事者の視点でしかものを見ていないため、潜在的な問題に誰も気づかない。彼らにとって問題は存在さえしていない。これがクローズド・ループ現象が長引く原因のひとつだ。失敗は調査されなければ失敗とは認識されない。たとえ自分では薄々わかっていたとしても、だ。

同43頁


 まずは失敗を失敗として認識し、データ収集をすること。これが最初の一歩であり大きな一歩である。
 調査年が若干異なるが、本書には航空事故率と医療事故率が書かれている。


国際航空運送協会(IATA)によれば、2013年には、3640万機の民間機が30億人の乗客を乗せて世界中の空を飛んだが、そのうち亡くなったのは210人のみだ。欧米で製造されたジェット機については、事故率はフライト100万回につき0.41回。単純換算すると約240万フライトに1回の割合となる。
   <中略>
2014年のジェット旅客機の事故率は、100万フライトに0.23回という歴史的に低い率にとどまっている。失敗から学ぶプロセスを最も重視していると言われるIATA加盟の航空会社に絞れば、830万フライトに1回だ。

同14-15頁

しかし、医療業界では状況が大きく異なる。1999年、米国医学研究所は「人は誰でも間違える」と題した画期的な調査レポートを発表した。その調査によれば、アメリカでは毎年4万4000~9万8000人が、回避可能な医療過誤によって死亡しているという。
ハーバード大学のルシアン・リーブ教授が行った包括的調査では、さらにその数が増える。アメリカ国内だけで、毎年100万人が医療過誤による健康被害を受け、12万人が死亡しているというのだ。
   <中略>
この数について、現在世界で最も尊敬を集める医師の1人、ジョンズ・ホプキンス大学医学部のピーター・プロノボスト教授は、2014年夏の米上院公聴会で次のように発言した。
つまり、ボーイング747が毎日2機、事故を起こしているようなものです。あるいは、2か月に1回『9-11事件』が起こっているのに等しい。回避可能な医療過誤がこれだけの頻度で起こっている事実を黙認することは許されません。
この数値で見ると、「回避可能な医療過誤」は「心疾患」「がん」に次ぐ、アメリカの三大死因の第3位に浮上する。

同15-16頁


 日本でも白い巨塔のようなドラマを観ていると、どこまで失敗を客観的にデータ化されているのだろうと思ってしまう。この10年で抜本的な改善と目まぐるしい医療の発展が起こっていれば良いと願っている。


 さて、鼻息荒く本書の内容を語ってきたが、ここまでで1章の途中だ。全部で7章まであるし、何ならここからが本題だ。失敗を認めたうえで顕在化する心理的パターンが挙げられている。

 今回のエレインのケースで言えば「集中すると時間が飛ぶように去っている」ことや、看護師がベテランの医師に対して強く主張できなかったことなどだ。

 他にも、取り違えのような「すでに自分で正しい答えが分かっている失敗」と、試してみないと「答えがわからない失敗」について、目の前に見えていないデータを含めて考慮することなど、多くの事例をもとに様々な視点から解説されている。ご興味があればぜひとも本書を手に取りご覧いただければと思う。



 つい先日、仕事でミスをした。他人から指摘され、ムムムと思ったが、ちょうどこの記事を書き出していたところだったので、素直に謝り対処することにした。「確かに私のミスだが、気づかなかった周囲も悪い」と内心思っていたが、それは心のうちに留めて謝ると、先方から「こちらこそ気づかなくてゴメン」と謝られる。まあ99%が社交辞令だとは思うが、それでお互いの留飲は下がる。ここで謝らず「だったらあの時気づけよ」とでも言っていたら、絶対先方は謝らないし、対処も遅れただろう。

 本書でも「失敗から学ぶことは最も「費用対効果」がよい」とあった。むしろ私の失敗があったからこそ、今後同様のミスが無いように誰もが気にするようになるだろう。むしろ胸を張って失敗を認めよう。もちろん多すぎるのは問題なのだが。


 普段拝見しているYoutuberが本書の解説動画を作っておられます。私よりもずっと全体を捉え綺麗にまとめてあるので合わせて紹介しておきます。


この記事が参加している募集

わたしの本棚

よろしければサポートをお願いします!サポートいただいた分は、クリエイティブでお返ししていきます。